行きたいお店に行けなくなった話。と、8月29日の日記
すごく好きなお店があった。思い出も少なからず詰まっていて、いろんな人を連れて行っていた。
でも、行けなくなった。もちろん、出禁とかじゃない。
ある日、店員さんに言われた言葉で、行けなくなったのだ。
『神田ちゃん、彼氏はいるの?もう良い年なんだから、良い人見つけないと。』と、他のお客さんがいる前で公開処刑だ。
私は後で思った。自分は結婚して、子供がたくさんいるからって、マウント取ってんじゃないよ、と。
仕事に貴賎はない。でも、少なからず私が新聞社で仕事をしてて、忙しくしてて、いろんな人との付き合いがある事に対して、なんらかの引目があるのか?そう勘ぐってしまう。ホント。
この言葉たちには空いた口が塞がらず、おっさんマジ憎し。と思った。こういうおっさんばっかりだ、世の中。人の心に土足で入り込んでくる。
年齢や容姿、肩書き。自分のことは棚に上げ、人のことにはイチャモンつけてくる。そういう人ほど、自分の人生に自信がないことも、もちろん私は知っている。
そのくせ、隙あらば体に触れようとしたり、酔った勢いでという言い訳ができるから酒の先に持ち込もうとする。おっさんが嫌いだ。
ただでさえコロナで先々の不安やイライラが溜まりがちなのに、そのイライラをあなたも私にぶつけてくるなよ。
私が最近、そうなのかもしれないけれど。
そう、自分に対しても言えることだ。
自分が言われて平気だからって言って、他の人もそうだなんて思っちゃいけない。
あーあ、あのお店、美味しくて好きだったのにな。年齢を取ったからって、女はおっさんに色々言われないといけないのかよ。
と、ふてくされて街に出なくなる。
こういう店員さんがいると、お店にとっても不利益なんじゃないのかな。だって、人を連れてこなくなるし、ただでさえ今、お客さん少ないのに。
お店のマーケティングに失敗してるよ、この時点で。評価を自ら下げてどうするんだろう。
コロナっていういう時期だから、通ったんだけどって、また悲しくなる。
世間が早く、マイノリティに対して優しくなりますように。
自分が全てなんて、常識だなんて、思う人が少なくなりますように。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
アルベルト・アインシュタイン
だとしたら、大体の人が18歳までに体験した歴史が重要になりその常識が人生を左右する事になる。
となるとやはり、子供の頃の教育や、多くの経験はいろんな多様性の中で培われた方が、将来マイノリティに対しても優しくなるのだろうな。
あ、そういえば日本科学未来館。もう一度行きたい。明日、行ってこようかな。
今日も真夏日で、寝てると思っていたけど熟睡してないのか、昼間でも涼しいところにいると心地よくなって寝てしまう。
仕事の時は別だけど。休日は特にね。
のんびり過ごせるの、最高に幸せ。
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