見出し画像

J’s STORY #0

33歳を迎える半月前。
仕事のプレッシャーに押し殺されそうになりながら毎日を走っていた。
何かを求めることもなく、何が欲しいのかわからず、夢がなんだったのか。答えはあるのに、毎日「できない」言い訳を探していた。ただ、何かを求めている「モノ」は心の奥底にあった。

それを言葉にすることはしなかった。

八方美人の人たらし。良い表現ではないが、誰にでも合わせられる。そうやって人の「顔」「心」を伺って幼少期を過ごしてきた。その習慣は、大人になっても困ることはなかった。
いつもニコニコしているせいか人は集まるが、結局のところ『いい奴』『都合のいい奴』として見られている。そんなことはわかっていたし、別にそんな自分が嫌いなわけではなかった。
そのかわり仕事は回ってくる。

人に優しくしていたら、自我が欠如してしまった。親の想いが詰まった「名」に恥じない優しい男になった。

仕事はラグビーの試合をマネージメントをしている。

前職は中高の体育の教師をしていた。
人の成長を見ることや、人を導くことが向いていると思っていた。姉には「松岡修造」並みに無駄に熱いと言われた事がある。

なんでもそうだがなりたいものには必ず試練がある。そう。
社会の仕組みは「試験」。
それをパスすることが出来なく臨時教師を10年続けた。

20代は、明確な夢があり、
それを叶えるために何かを犠牲にすることは特にいとわなかった。

25歳の時もう一度現役のラグビー選手を夢見て
なんのあてもなくオーストラリアに留学した。
誰も何も自分の「カラー」を知らない場所に行くのは嫌いじゃなかった。
不安よりもむしろ期待の方が大きかった。

シェアメイトに自己紹介をするときに
発音が悪すぎて、
オーストラリアで有名(?)なサーフィン俳優の名前「ジョニー」をニックネームにされたりした。

シェアメイトのビリーは、ルームメイトでもあり、チームメイトだった。
はじめての練習で一緒に行った時も、
自己紹介をしようとするものなら、
ビリーがみんなに
「こいつはジョニーだから、よろしくしてやって!」
と言っているかのようで、
口角を上げて面白半分で、私に変わって紹介してくれた。

帰国し、伝統のあるチームにトライアウトを受けないかとエージェントから連絡があり、受けた。
ラグビーに熱い土地がら、
自分の想いは根付いた。

2年間プレーをしたが、
大した功績は残せなかった。
しかし、指導者になるという目標ができた。

その矢先の東日本大震災。

目の前の受け入れがたい光景。
風景もそうだが、
人と人がパニックになる様は、
生きていた中で感じることのない経験だった。

ライフラインは全て止まっている状態。
情報は何も入らない。
朝になり何か情報が欲しく途方もなく歩いていた。

停電していたので、
信号は指示を出す明かりを出せず、役目を成すことなくオブジェとして聳えていた。

老夫婦が猛スピードで走る車の
ひきりなしに行き交うなか、
目の前のスーパーに行けないでいたのを手を取り横断歩道で、小学一年生が元気よく高々と手を挙げるように渡った。
周りの渡れずにいた人たちも一緒に渡った。

スーパーで老夫婦と並んで話しながら、
入り口の売店ブースまで100mほどの4列に並んだ。
10人ずつブースに入り1人10点までという制限はあったが、
最低限のものはあった。
次のローテーションで入れそうな順番まできた。
老夫婦に先に順番を譲り、
老夫婦がブースに入った瞬間に店員が、
「本日はここまでー!」
メガホン片手に100mの列に向かって叫び始めた。
罵声を浴びせる者、落胆する者といたが、
なんの感情もわかなかった。
最後に入った老夫婦は、
申し訳なさそうに見ていた。
私は笑顔で応えた。
そのあとひたすら歩いて情報をかき集めた。
あてもないガソリンスタンドの渋滞。
安否確認の掲示板を見る、自分の親ほどの歳の親御さんらしき人が指で記載されている他人ばかりの名前を指でなぞり、意中の人を探している。
めちゃくちゃに荒らされているコンビニエンスストア。
赤く染まっている海。

この景色は後にも先にも最後であってほしいと切に願う。

さまざまな光景を目の当たりにして、
感情が薄れた。

なんとかして地元に帰郷し、
2年ほど臨時の講師をして、
今の仕事に就くことになる。

しかし、
好きな事を仕事にするというこたは、
「そのもの自体を嫌いになる」と誰かが言っていた。
その気持ちを就てみて理解した。

とにかく運営とは、
きっちり正確にやらなければいけない。
仕事は、自分の性格には合わなかった。
指導者の時は授業計画を作るが
それがその生徒達にとってできてもできなくても、1ミリでも経験して、
「次の授業またやりたいな」って思ってもらえば良いと思っていたので、結果オーライでもよかった。
しかし、今の仕事は「興行」。
お金を払って観に来てくれるお客様、
選手、お金を払ってテレビのチャンネルを買ってくれている向こう側の人たちに、安全に参加してもらうことが重要なのだ。
だから、結果オーライではダメなのだ。
緻密な計画をし警備、ボランティア、役員、チーム、中継などの関わる全ての人間と共有し、
大会がどのような大会なのかなどを
「マニュアル」として誰が観てもわかるモノを作成していた。

to be next story…


(あとがき)
稚拙な文章ではありますが、
ご覧いただきありがとうございます。
こういった文章を載せたり、いろいろ考えていることなど、ハマっていることなどを載せていければと考えております。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?