休職日記 〜イヤホンを捨てよ、街へ出よう〜

 都会にいると、街頭演説、胡散臭い募金活動、ポン引き、バ○ラ高収入のトラック等の音が鳴り響きとてもうるさい。そうした世界に蓋をするように、いつしかイヤホンをするようになっていた。もっとも、上京する前からも一人で外出するときはほとんどイヤホンをしていたが——。東京では冒頭の喧騒が一層拍車をかけていたような気がする。

 この前、街中に出た時に久しぶりにほとんどイヤホンをしなかった。偶然かどうかはわからないが、お年寄りに「今何時ですか?」、「〇〇駅に止まるバスは何時に来ますか。」と立て続けに2人に話しかけられた。後者は聞きたくなる気持ちがわかるが、今何時かなんて聞いてくるのはタイムスリップしてきた主人公か桑田佳祐ぐらいだと思っていたので少したじろいだ。道をよく尋ねられる人というのがいるらしいが、20代の頃よりイキっておらず、イヤホンもしていないからかこんなに果敢に話しかけられると思っていなかった。ただ、心当たりがないわけではない。有名な竹下通りの黒人の兄ちゃんからはイヤホンをしていても百発百中で話しかけられていた。そうやって、繰り返されていくうちに一つの結論を導き出した。多分、話しかけられやすい(≒なめられている)のだなと。

 そうやって思い返すと、なぜか初対面の電話(例えば、お店の予約やインフラ関係の問い合わせ等)でも下手に出過ぎてるのかわからないが、いつの間にか下手というより完全に”下”に観られているような話し方に相手が切り替わっていることがある。「いやぁ〜当店は飲み放題やってないんすよw」みたいなこちらが無知なのが当たり前な事柄にたいして常識ですよといわんばかりの半ば半笑いみたいな態度で接せられることが多い。被害妄想なのか。相手がただの陽キャなのか。電話じゃなくて、実際の対面でもそういう風に感じることが多い。確かに喋りや挙動に抜けが多いことが認めるところなのだが、その抜けがよっぽどなのかもしれない。ただ私は傷つく。お年寄りにいくら話しかけられても構わないし、知り合いにいじられるのも構わないが、なぜか『なんであなたに下に見られているんだ?』という人にまで鼻で笑われるのは納得できない時がある。そんな時、タトゥーでも入れたら舐められないのかな、と考えなくもないがなんだか反則行為のような気がするし、温泉に入りたいので我慢している。

 と、ネガティブな意見をかなり述べてきたが、イヤホンを外すという行為で周りから話しかけられやすくなったのは確かだ。こうやって休職して一人の時間を過ごすことが多くなったからかなんだか日記に記そうと思うぐらい良い体験だったのかもしれない。音楽の向き合いかたに関しても昔よりも、イヤホンで聴くよりみんなで一緒に曲を聞きながら談笑したいと思うようになった。コロナのせいかな。

 今度街へ出る時はまたイヤホンを外そう。街の声、空気、匂いにもっと五感を傾けよう。そしたらまた新しい体験ができるかもしれない。

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