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継続は「自分の才能の無さを確認する行為」では無かったはず。

そもそも継続が苦手で。

継続したらしたで、その最中は「こんなことやってどうなるんだろう」とか思ったりする。謎すぎる。

自分が喜ぶためにやっているんじゃないのか。自分の行動全てはこうあるべきだーと少なからず思っている。
喜びを受け取るタイミングは短期的だったり長期的だったりするかもしれないけど。

継続に対しての価値が一般的に高いのは、そもそも継続できない人が圧倒的に多いということなんだろうな。

よくよく考えてみる。

継続に対して、特に価値を感じていない割に、自分から継続するっぽいことを仄めかすのは、頭がおかしいからでも、自分をいじめたいからでもなく、自分自身への意思表明と行動頻度を保つ仕組みづくりのためだと思う。

継続すると決めるということは、その対象に対して「行動する価値がある」と認めることなんだと思う。そして「継続」という言葉を使ってその行動への頻度をある程度保証するのだ。

だから、例えばnoteの毎日更新だったら、日付を超えてしまっても大したショックはない。23:59に投稿しても00:03に投稿しても、投稿頻度自体は変わらないからだ。もっというと、一年で365日更新するのと、340日更新することの違いも私にとってはほぼない。

なるほどな!

めちゃネガティブな内容になるかと思ったけど、意外と建設的に思考を整理できた!ありがとうnote。

私はこれを、これこそを継続と呼ぶんだぜ。

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