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争いを好まず、東北に移り住んだ縄文系王族のその後〈生駒神話の続き〉

奈良県の生駒(いこま)市に伝わる生駒神話によると、古代、生駒を治めていたのは縄文系の王族。しかし縄文後期、南のほうから武力を尊ぶ一族がやってきたため、争いを好まない縄文人たちは、生駒を去り、遠い東北の地を目指したと言われています。
詳しくは、こちらに書いています。よろしければごらんくださいね。

生駒の地を去った縄文人たち。その後どうなったのでしょうか?
生駒から旅立った彼らは無事、東北にたどりついたそうです。
そして東北に移り住んだ縄文系王族の末裔たちからは、安東(あんどう)氏や安部(あべ)氏といった有力豪族が生まれていきました。

安東氏の子孫からは、秋田氏という豪族が生まれ、今の秋田県の地名の由来となります。一方、安部氏の子孫からは、平安末期、岩手県の平泉で栄華を誇った奥州藤原氏の初代・藤原清衡 が生まれます。
当時、東北では「前九年・後三年の役」で、10年以上にわたる戦乱が続き、多くの命が失われました。
そこで、東北を治めた藤原清衡 は、戦乱で失われた多くの命を敵味方なく弔い、平和な国づくりを目指します。そして奥州藤原氏として東北を治めます。そこで建立されたのが、有名な平泉の中尊寺。現在、中尊寺は世界遺産に登録されています。
藤原清衡が願った平和な国づくり。それは彼の中の流れる、縄文人の願いでもあったのかもしれません。奥州藤原氏は数代にわたって栄えました。

また、生駒から東北に移り住んだ縄文人のなかには、豪族になることなく、自然と暮らすことを選んだ人たちもいました。
彼らはアイヌ民族となり、自然をともに歩んでいきます。
実際にアイヌ語は縄文系の言語とされ、縄文語とアイヌ語には多くの共通点があるそうです。日本の地名は縄文系の地名も多いですが、その地名をアイヌ語で調べてみると、実際の地名の由来や語源がわかったりするとか。

生駒の語源ですが、縄文語の研究によれば、「イコマ」はもともと「イ・コマ」ではなく「イコ・マ」であり、イコ・マの語源を遡れば、イコ・マ→イク・オマ→ユック・オマー(yuk‐oma)となり、ユック・オマーとは、ユックがオマー(そこにいる。)という意味です。ユックとは、当時、生駒山にたくさん生息していた鹿のこと。

古代、水の豊かな生駒山系一帯は、豊かな原始林でした。そこに住む縄文人たちは、栗や木の実をはじめ、狩猟など、たくさんの恵みを、生駒山からもらっていました。
そこで「ユックがそこにいる」山、すなわち「ユックのオマー(そこにいる)」山→「イク・オマ」の山→「イコ・マ」の山→「イコマ」の山と呼ばれるようになったそうです。その後、イコマには「膽駒、射駒、伊駒、伊古麻、伊故麻、生馬、往馬」などの漢字が宛てられていきました。
また、アイヌ民族にとって鹿は身近な動物。北海道にも多くの鹿が生息しています。

古代、争いを好まず生駒の地を去った縄文人たちは、遠く離れた東北地方で、力強く生きていました。





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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン