虹の橋

お久しぶりです。
しばらくお休みしておりました。
と言うのも、愛玩動物看護師国家試験があったわけで…
と言い訳しておきます。

さて、今回は大事なことを書こうと思います。
言葉足らずだったり、誤解を招く表現だったり、少し不愉快に感じる方が少なからず出てくる内容かと思います。
が、丁寧に書き切ろうと思います。

タイトルの虹の橋。聞いたことがある方はいると思います。
愛するペットの死後の世界のお話です。
虹の橋、自体は作者不詳となっており伝承として伝わっているような内容になります。宗教観によって少し捉え方に疑問が残る方はいるとは思いますが…。
概ね内容としてこの世を飼い主より先に去ったペットが心残りの飼い主を待って、幾年後にやってきた飼い主と再会し一緒に虹の橋を渡るというようなものです。

私が書きたいのは、死生観とか、宗教観、哲学的な内容ではなくて。
愛するペットへの死の受け止め方です。

受け止める、というのは達観した物言いになってしまい、今まさに亡くした方には不適切な表現かもしれません。

すこし、話題を変えます。
ペットロスという精神の病気があります。
ペットを亡くした悲しみにより仕事や学業、また日常生活もままならくなってしまう精神の病です。
昨今ではグリーフ(悲嘆)という言葉も使われています。

ペットロスというのは死後にのみ訪れるのに対し、グリーフというのは日常に転がっています。
例えばペットに病気が告げられた時。ペットはいなくなってはいませんが飼い主様には「健康なペット」の喪失に対する悲しみがあります。
そういうグリーフを生前から少しずつサポートすることによってペットロスから身を守ることができます。
というのがグリーフをケアする理論として確立しています。
仕事として我々は飼い主様に生前ケアするように努めています。
が、飼い主様目線からどのように死と向き合えばよいのか、考えて書いてみようと思います。

ペットを亡くした時に得る衝撃、私も当然理解しています。

今まで数多くの動物をお迎えし、みんな私より先にこの世を去ってしまいました。

グリーフに対するケアの理論は勉強している身としても、やはり喪失感や絶望感は必ず感じてしまいます。

当然、飼い主様も感じています。そしてそれは私より遥かに深く、暗い悲しみ、絶望を感じていることかと思います。

ペットを失ったときに起こる反応は正常です。
何も考えられなくなったり、感じられなくなったり、そんなわけないと思ったり。
あの時ああしていればとか、早く気づいてあげれば、とか。私のせいだ、あの病院のせい、あの先生のせいだ、という自責や他者への怒りも正常な反応です。

それは防げるものではありません。正常な反応ですので防ごうとしたり、我慢しようとしたりするほど、受け入れたり立ち直ったりすることが難しくなっていきます。ペットロスが重度になってしまいます。

まずはペットを失ったときの自分の感情。それを一番大事にしてください。
そしてあんまり人に会いたくなくなるかもしれませんがゆっくりで大丈夫です、できれば親しい人にお話ししてください。どのように出会ったとか、どういう子だったとか。大事な思い出を共有してあげてください。

確かに肉体は死んでしまえばいなくなってしまいます。が、思い出の中のペットは誰かが覚えている限り思い出の中で生き続けることができます。
私はその思い出で生きている場所が飼い主さんと一緒に虹の橋を渡るために待ってくれている場所だと解釈しています。

辛いから忘れようとか、悲しみを我慢しようとか、考えなくていいと思います。
多少感情を爆発させてもいいと思います。
死、という大きなイベントを肯定できるように。

あなたが虹の橋のところに行くまで愛したペットを忘れないでいられた時、自分を褒めてあげてください。そして、ずっと待ってくれていたペットのことも褒めてあげてください。


長くなってしまいました。
大切にしたい内容なので今後、この内容については間違いや不適切な表現があればまた追記や訂正もするかもしれません。

また次回、よろしくお願いします。

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