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79.チャットGPTに「もし私の言葉があなたを傷つけたなら謝ります」は謝罪ではないと質問してみた

【質問】
「もし私の言葉があなたを傷つけたなら謝ります」
という言葉は、謝罪ではないといいます。
説明してください。

【回答】
「もし私の言葉があなたを傷つけたなら謝ります」という文は、一般的に「仮定的な謝罪」や「条件付き謝罪」と呼ばれる表現です。この表現は、相手が自分の言葉によって傷ついた可能性があることを認識しつつ、自分自身の責任を回避しようとしている謝罪の形式です。

この文は実際の謝罪とは異なります。なぜなら、「もし」という言葉や条件文が含まれており、自分の言葉が相手を傷つけたかどうかを確定的に認めるのではなく、あくまで仮定的な状況を示しているからです。この文では、自分の発言が相手を傷つけた可能性があるという仮説を提示しているだけで、実際の責任を取ることや謝罪を行うことはありません。

実際の謝罪では、自分の言動が相手を傷つけたことを認め、その責任を受け入れることが重要です。条件付き謝罪では、自分の責任を相手に押し付けることができるため、真摯な謝罪とは言えません。

真の謝罪では、相手の感情や苦痛に対して配慮し、自分の行動や言葉に対する反省や後悔を示すことが重要です。また、適切な言葉遣いや態度で相手に対して謝罪することも大切です。

ですので、「もし私の言葉があなたを傷つけたなら謝ります」という表現は、完全な謝罪ではなく、責任回避や責任を相手に押し付ける意図が含まれていると言えます。

【感想】
「もし私の言葉があなたを傷つけたなら謝ります」
という言葉、ぶっちゃけて言えば、
「相手が不快に思ったらしいから、とりあえず謝っとこう」
ということだろう。

見事な責任回避の言葉、と言える。

これに関連して思うのが、近ごろ、
「とりあえず謝っとこう」
ということが多くないか?

一番に思い出すのが、いわゆる「カスハラ(カスタマーハラスメント)」だ。
飲食店などに対して、客が理不尽なクレームをつける。
この場合も、
「とりあえず謝っとこう」
ということが多いのかも、と思う。

飲食側のいろんな事情はもちろん、理解できるので、それを「責任回避」だと強く言うつもりはない。
ただ、理不尽なクレームをつけてくる人たちをこのままのさばらせていいのか?
それで世の中が良くなっていくのか、という思いは強くする。

自分に非があるなら、責任を認めて謝罪する。
自分に非がないなら、相手に対して毅然と反論する。

そういう「当たり前」のことが普通になる世の中になって欲しい。
そう思う。

今は、「余裕のない人」が多いのかもしれない。
特に「経済的に余裕のない人」が。
余裕がないと人は怒りっぽくなる。

最近のニュースで、日経平均株価がバブル後最高値を33年ぶりに更新したという。
すごく景気のいい話なのに、私には「豊かになった」という実感がない。
世間の人が「豊かになった」と思えるようなニュースでにぎわう。
そんな時代になることが、まずは必要だと思う。

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