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吉田寛(かん)という人

大分の中だけでは、有名人の
『吉田寛』(よしだかん)という人物。
生業は、“コピーライター”でした。
Wikipediaも持ってます。
大分弁を操り、大分の人しか受けなさそうなコピーを次々に出していました。

広告会社で、デザイナーをしていた時、同じく、近所で同じ様な、広告会社があり、そこに勤めていました。
私がフリーで、仕事をしていて、若いカメラマンと仲の良かった『寛ちゃん』達とクリエイティブグループができました。
職種は、広告業界ですが、「コピーライター」「デザイナー」「カメラマン」「ディレクター」など、飲み会をすると、最低でも10人は集まりました。
飲み会では、今からの大分の広告業界をどうやって良くしていくか、真面目な会話が多かった(?)です。

そのうち、『寛ちゃん』が家を買いました。引っ越しを手伝っていた、デザイナーのMさんが、隣の家がまだ、売り出しているのを見て、衝動買いで、買ってしまい、週末の溜まり場になってしまいました。

『寛ちゃん』の家では、六畳程のリビングにスピーカーを天井四角、フロアー四角と8台もセットしていて、その頃流行っていた「レーザーディスク」で、映画を観るのが流行っていました。
特に「トップガン」など、音が8台のスピーカーから四方八方聞こえてきて、本当に頭の上を戦闘機が飛んでいる様な迫力ある音響で、観ることができました!

音の迫力がハンパなかった


ある夏の日、突然、Mさん家で、みんなで“焼きそば”作ろうとなり、人数が人数だけに(確か10人はいた記憶があります)家のホットプレートではたりないと
それから、急きょ「ユナイテッドレントオール」に鉄板を借りに行き、スーパーで食材を買い求め、庭で“焼きそば大会”になりました。
そこへ、一升瓶を抱えた『寛ちゃん』がやって来て、宴会が始まりました。

そういう事が度々、あっていました。

ある時、『寛ちゃん』のコピーがヒットします。
大分の「八鹿酒造」から麦焼酎“なしか!”が発売されたのです。

焼酎 なしか!
「なしか!」のコピー


大分弁でのキャッチコピーが、流行りました。
本人も「すげーなー」と言っていました。

話はヨレますが、「八鹿酒造」さんの天気予報の最初と最後の軽快な歌は「南こうせつとかぐや姫」です。
最後の「でした。」が有名です。


そのうち、「なしか!」というラーメン屋さんが
あちこちにできました。元は「くるまやラーメン」だったところ、フランチャイズ展開で、大分で「なしか!ラーメン」に変わったそうです。
本人もビックリです。

その頃はもう、私は大分を離れていたので、みんなと集う事もなくなり(私が抜けた頃、みんなも徐々に集まらなくなったそうです)
縁遠くなっていきました。
その後、ラジオに出演する様になり、テレビにも出る様になり、フリーになった『寛ちゃん』はタレント業もして、『大分弁』の伝道師の様になりました。
本も何冊も出版しており、かなり、忙しく仕事をしていた様です。


何年かに一度、電話連絡したりしていたのですが、本人は全然変わらず、大分弁で
「よだきいけん、適当に仕事しちょんわ」
(訳)「おっくうだから、適当に仕事をしてるよ」
と言っていました。

3年前、亡くなったのですが、その時も突然亡くなり、『寛ちゃん』らしいと思いました。
みんなで集まっていた頃が懐かしいです。



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