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別府は美味しい歴史がある

その昔、明治になって、大阪商船が、別府へ定期便の船を運行し、別府に大阪の人達が随分
移り住み始めたらしいです。
その中に別府の観光を作ったと言われている
『油屋熊八』がいました。
別府駅に銅像がある人です。
彼は、日本初のバスガイドを起用し、観光バスを運行しました。
「地獄めぐり」も観光にしました。
別府の「亀の井ホテル」や「亀の井バス会社」果ては由布院の「亀の井別荘」は、『油屋熊八』が作ったものです。
別府から、阿蘇まで延びる「やまなみハイウェイ」も彼の構想です。
『油屋熊八』のお陰で別府は、日本でも有名な
温泉地になりました。

第二次世界大戦が終わり、別府にアメリカ進駐軍の基地がありました。
別府のど真ん中。今は、別府公園としてみんなの憩いの地になっていますが、戦後から1957年迄12年間、“キャンプ チッカマウガ”と呼ばれていました。
アメリカ軍が住んでいた基地で、兵舎、教会、学校まであったそうです。

基地内のバー

アメリカ軍の人達と別府市民は交流があったとの事で、また、戦後引き上げてきた負傷した人達の保養地として、戦争中、空襲が無く、被害を免れていた別府には人が溢れて活気があったそうで、他の地域からの食べ物も入ってきていた為に、
別府に行けば色んな料理が食べられる。と言われていた様です。

1990年頃まであったと思いますが、国道500号線沿いにきっちゃないタコス屋さんがありました。
店は、お爺さんとお婆さんの2人で営業していました。
そこのお爺さんが、アメリカの軍人からタコスの作り方を習ったと言って、本格的な柔らかいタコスを出していました。
ちょっと衛生面では不安がある店でしたが、味は最高に美味しいタコスで、チリソースが本格的でした。
メキシコには行った事無いけど、メキシコにいる様な気にさせる店でした。
もう一度、食べたいなぁ

タコス


その様な、アメリカ軍から教えてもらった人達が、本格的な店を営業している所も良くありました。
コーヒーなどはこだわった店がかなりあります。

その後、2000年に「立命館アジア太平洋大学(APU)」が出来て、国際的な街になっていっています。

別府の山の天辺にあるAPU

私は昔から外食には別府にまで行っていました。
温泉だけでは無い、食べ物が美味しい街です。

“観光都市別府”

別府に食べに行く選択肢もありだと思います。


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