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悔しかった思い出と「ノンバイナリー」について

序文

 また思い出したことがあるので書く。これは人生で一、二を争う悔しかったことと言ってもいいし、ある意味では人生のターニングポイントになったとも言うべきことだ。例の如く中一の時分に起きたことで、それ自体は大変些細な(と表現していいと思う)出来事だったのだけど、その後に及ぼした影響がとんでもなく大きかった。
 なお、この話に出てくる登場人物の誰一人として悪くないということは事前に申し添えておく。


経緯①

 中学受験をして一貫校に入学し、文化系の部活に入った、というところまでは以前にも書いた通りだ。そして、当時そこに所属していた女子生徒は新入生の私がひとり、それ以外の全員が最高学年となる高校二年生、という構成だった。これがどのくらいのことかと言うと、四月の部活見学の際に部室を訪れた際、出てきて対応してくださった女子の先輩が室内に向かって大声で「おーいお前ら女の子が来たぞー!!」と謎の先触れを出すほどの激レアぶりであった。
 男子の先輩方は「女子の後輩」という初めて見る生き物に対してやや困惑しつつといった感じだったが、そもそもその年の新入生が私だけだったということもあってとても丁重に扱ってくださったと思う。道具の運搬など、力仕事系のタスクは基本的に「やらなくていいよ」と免除され、運ぼうとすると途中で別の先輩が受け取って持って行ってしまう、ということもしばしばだった。
 この丁重さがネックであった。端的に言えば、気に入らなかった。

 前提として、小学校の担任の先生に「信じられないくらい男女の仲がいい学年だった」と評された環境から来ている、という要素が挙げられる。実際中学に上がってすぐ、男と女というだけでこうも口を利かないものかと思ったし、小学校では男子の友達の方が多いまであった私からするとなんとも変な環境だと感じた。
 ただこれに関しては、六年生の時のクラスの特異性というものもあったと思う。当時のクラスはいわゆる「受験組」を一ヶ所に集めたところだったから、恐らく同性というよりも「頭のよさが近い子」と仲良くしていた、だから結果的に男女という区別は二の次だった、という方が正しいと思う。まあ仲良くしていたと言いつつ豚女と罵倒されることもしばしばだったので(これは本気でこちらを嫌ってきていた女の子と、「好きな子にツンケンするタイプ」の男の子が主に乱発していた。後者はなんとも甘酸っぱい思い出である)、単なる仲良しこよしというよりも「言った悪口に対して一定レベル以上の頭のよさで返してくる」というところの評価で仲間認定されていた、とでも言う方が近いのかもしれない。いずれにせよ、性別を理由に区別、制限されるというのはあまりない経験だった。
 そして、学級委員だのなんたら委員の委員長だのなんたら部の部長だのをどんどん受けてきた人間だった。豚女だかなんだか知らないが、自分が明らかに豚より賢明で有能であることを示し続ければどちらが愚かかは誰の目にも明白だろう、とまあそんな理屈である。人の役に立ちたいという高尚な理由ではなく、ただただ自分の能力を周囲に見せつけて認めさせることに貪欲だった。
 また同様に、当時の私は五歳で始めたクラシックバレエをそのまま続けており、生徒の中では年長の部類にあった。教室には女子しかおらず、下は幼稚園生までいる。特に発表会などがそうだったが、そういった後輩たちの面倒を見るために率先して動くというのも教室では当たり前だったし、バーの準備や高所からの道具出しなどの「力仕事」も当たり前に担ってきた。勿論環境的に男性がいなかったというのはそうだけれど、仮にいたとしても一緒に動いていただけのことだと思う。男だからやってもらおう、女だからやらずに任せちゃおう、などというのはまずなかった。

 というような状況にあったので、「女の子だから」という理由で流れるように自然に力仕事から外されるのはまあまあ嫌だった。勿論先輩方が過剰なくらいこちらを大事にしようとしてくれているのは分かったし、文句を言ったこともない。ただ、先輩方がせっせと仕事をこなしている横で私だけが棒立ち、という状況も少なくなく、どうにも居心地が悪かった、ということは鮮明に記憶している。
 せめて「運ぶのはやっとくから掃除頼む」とか他の仕事を回されていれば私の能力誇示欲求は満たされたと思うがなかなかそういうこともなく、どうやってこの人たちの役に立てばいいんだろう、という気は少ししていた。部からすれば「唯一の新入部員」というだけで十二分な貢献ではあったのだろうけれど。

経緯②

 思うように仕事を任せてもらえなかった私は、「どうすれば先輩方は私に仕事を回してくれるか」についてぼんやりと考えるようになった。真っ先に思い浮かんだ原因は「新入生だから」だ。まだ私は半ばお客様の扱いで、だからメインの活動だけを「体験」させてそれ以外の雑務は回してもらえないのではないか、という仮説を立てた。だとすると急務は、「とにかく馴染む」ことになる。もう立派な部員です、あなた方の仕事仲間だ、ということを示せればお客様期間は終了するはずだし、そうなればどんな作業も気兼ねなく回してもらえるだろう、という算段だ。
 ということで、とにかく可能な限り部室に通った。バレエも継続していたので時間的な制約はあったが、とにかくめちゃくちゃ通った。活動のメインになる作業について早く正確に処理できるように練習したし、提出物も高いクオリティで仕上げたし、覚えてこいと言われたマニュアルはほぼ完璧に網羅して先輩を驚かせるなどした(これはマジで気持ちよかった)。部のメンバーとしての実力を十二分に示したと言っていいが、それでもまだ「お前はいいよ」と待機を命じられる場面は少なくなかった。

 ここで仲良くなったのが、「サボり癖のある先輩」である。
 サボり癖というと聞こえが悪いが、要は作業の人手が足りていると見るやしれっと現場を離れて雑談やゲームに興じるタイプの人だ。そうしてこの人が抜けてきたところにしばしば棒立ちの私がいたわけで、暇潰しにか声をかけられたところから何となく話すようになり、何となく仲良くなった。当時は某ひと狩り行くゲームが爆発的に流行った頃で、他の先輩方もこっそりゲーム機を持ち込んではマルチプレイに興じていた(勿論校則違反である)。私はそういうものを持っていなかったし、持っていたとしてもアクションゲームの腕前的に足を引っ張ることは目に見えていたのでいつも遠目に眺めていた。この人はそれに気付いて「やろうよ!買いな!」と声をかけてくれたことがある。マイペースで開けっぴろげな人だった。

 ちょうど文化祭の直前だったと思うが、かなり大規模な運搬作業があり、総動員でかかりたいが部室を空にするわけにもいかないということで、例の如く待機を命じられた私と、「じゃあ俺も残りまーす」と流れるように休みを勝ち取ったこの先輩が二人で部室に残る機会があった。まあやることはない。暇を持て余した先輩は「おーしひと狩り行くかあ」とニッコニコでゲーム機を取り出し、床に腹這いになって狩猟に興じ始めた。「買った?」「まだです」「そっかあ」といったやり取りから先輩によるゲームの販促が始まり、気付けば私もその隣で腹這いになって画面を覗き込んでいた。
 途中で物音がし、戻ってきた先輩方が隣室で作業をしているらしい気配に気付いたが、「まぁー行かなくても大丈夫っしょ」との言葉にそうなのかなと思い直し、狩猟の見守りに戻った。そこに、様子を見に来た部長がやってきた。大サボり中の我々が目に入り、何故か半笑いで持っていた紙束を緩く丸めて握り込む。
「サボってねえで手伝、えっ」
 ぽこん、と頭を叩かれた。狩りをしていた先輩がである。いったあ、と大げさに頭を抱えた先輩と私をその場に残して、「はよ来い」と笑い混じりに言い残した部長が部室を出ていった。
 私は叩かれなかった。

 これがまあ、おかしな話かもしれないが本当にショックだった。
 別に叩かれて興奮するから叩かれなくて残念だったとかいう話ではなく、同じようにサボっていたはずなのに私だけが叩かれなかったというのが衝撃だった。なんなら先輩が叩かれた後、私と部長の目があったと記憶している。あの時、部長は叩かないことを明白に選んだのだと感じた。「サボっている後輩」ではなく、「女の子」を叩くことを回避したのだと。それが本当に、これはもう「本当に」と七百回くらい書いてもまだ足りないくらい、悔しかった。大切にしてもらえているのは分かるし、むしろ叩かれずに済んだのだから感謝してもいいくらいのことだけれど、これだけ頑張っても私はまだ「後輩」である以上に「女の子」なのだと思うと、流石に本気で悔しかった。
 思い返すとつくづく些細なことではあるのだが、この出来事の齎した結果はかなり大きかった。

「女ではないなにか」

 これはもう「男」になるしかないな、というのが少し後に出た結論だった。勿論身体的に性転換をするという意味ではない。男である先輩方が「仲間」として自分を認識するようにするためには「クラシックバレエを習っている年下の真面目な女の子」ではダメだ、ということに気付いたという話だ。
 学校にいる時だけ一人称を「俺」に変更し(これは先駆者がクラスメイトの女子にいたので比較的容易だった)、先輩方の雑談に常に聞き耳を立て、下ネタで盛り上がっているのを感知すれば分からなくても取り敢えずにやついておき、漏れ聞こえてきたアニメや漫画のタイトルについては調べて古本屋で集めて読んだ。この時出会った作品の中には今なお大好きな「ぼくらの」や「ひぐらしのなく頃に」といったものもあり、少なくともそういう意味でただの徒労ではなかった。
 とはいえ、この「女を感じさせない、特別なものとして尊重する必要性を感じさせないなにかになっていこう」という努力は、後に女子の後輩が入ってきて「同性の先輩」という立ち回りが要求されるようになった辺りから雲行きが怪しくなる。ある意味では自分の相対評価を下げるための努力でもあった(安心して気兼ねなく扱き使える存在だと認識してもらうための努力だった、要はシンデレラを逆再生して灰かぶりにするようなものだ)ので、先輩として尊敬され頼られるような存在にならなければならないというオーダーはまあまあ矛盾する。同級生がなかなか入ってこず、お前は部長になるのだという期待も継続してのしかかっていた。
 その板挟みに長距離通学と進学校カリキュラムのストレスが乗り、あと恐らく中二の頃だったと思うが親友と呼ぶべき間柄の友人が人間関係に悩んでいるのを聞いたりもしてその面でも神経を使っていた。そして三年に上がって後輩ができ、部長になる覚悟を決め、かといって先輩方の「仲間」になろうとする努力も欠かさず、バレエを辞めて発散の場がなくなり、というので次第にメンタルが傾いていった。これが後に爆発して自傷癖になっていく。
 余談だが、最近自己表現の場が多いからか単に忙しすぎてか、もしくは他人に怒りの矛先を向けていたからか、かれこれ一年半以上切っていない。カッターや絆創膏はまだ持ち歩いているのでハッピーエンドとはいかないが、結構いい傾向なんじゃないかなとは思っている。何かを他人のせいにするという行為がちゃんとできるようになってきたらしい。

 一方、「女の子ではないもの」を目指すというスタンスは今もなお変わらない。どちらが根本的かというのは難しいというか、ずっととってきた態度だから染み付いてしまったという話なのか、元々自分の性に違和感のあったところにそのスタンスがしっくり来たという流れなのかは分からないが、「女だからという理由で自分の何かを評価されたくない」と思っているのは変わらない。思えば幼稚園での降誕劇で慣例的に男の子が担ってきた東方三博士を志願したり、母に勧められてバレエを習い始めはしたけど本当は弟がやっていた空手をやりたかったりと、傾向としては幼い頃からそれがあった。
 かといって、自分が男だと思ったことはないし、そうなりたいと思ったこともない。先輩方に馴染む努力をしていた時に「男になりたい」と思ったことは数知れないけれど、これは別に自分の性自認に合った肉体が欲しかったのではなく単に「自分が男だったらどれだけ話が早かったか」という程度のものである。幼稚園の頃のお気に入りはさくらんぼのワッペンがついた真っ赤なスカートだったし。
 嫌なのは「女だから」と言われることだけであって、やっていることは「真面目だから」と言われることにうんざりした優等生がプリントの紙吹雪を窓からリリースする程度のそれでしかない。基本的には今のままで問題ないのだ。性別を理由になんやかや言われるのが最高に嫌いだから、それを避けるためにある程度の「女じゃなさ」を出していこう、というだけの話である。

 ただ、アンケートなどで性別を回答させられる時に「男」と「女」の中間にある「・」に丸しちゃいけねえのかとは常々思っているし、「その他」や「無回答」があれば積極的に選ぶようにしている。この、「私は女だ」ときっぱり言い切りたくないという感覚が、「女じゃなさ」の演出のためなのか、もっと根本的な違和感によるものなのか、というのは未だにはっきりしない。

ノンバイナリーという概念

 性自認のひとつに「ノンバイナリー」という区分があるらしいが、どうやらそれに近いのではないか、とも最近思う。男-女というバイナリーな性別観に当てはまらない、言わば「どちらでもないし、どっちかとかでもない」性のあり方を指すような言葉だそうだ(語弊があるといけないのでちゃんと自分でググッてほしい)。このnoteに一番最初に上げた記事の冒頭でも「セクシュアリティについてはよく分からないが肉体的には女」という書き方をしたと思うが、基本的にそのスタンスで生活しているし、割とこの考え方が近いのかもしれない。

 具体例で言うと、この前初対面の人から話しかけられる機会があった時に、「そこの彼」と指名された。一瞬別の人かとも思ったがばっちり目が合っているので恐らく私だろうと応じると「ああ彼女か、ごめん」と訂正された。これに対して、私からするっと出た答えが「いえ、どちらでも」だった。
 これはマジでどちらでもいいと思った。肉体的に女だし名前も女性的だから「彼女」と呼ばれても当然だけれど、「彼」と呼ばれた時は正直ちょっと嬉しかった。かといって「彼」と呼んでくれと主張するほどのことではないし、そう考えるとわざわざ女という字をつけ加えた「彼女」で呼ばれるのもなんかちょっと癪だ。男や女である前に私というひとりの人間なのだから、その個体識別用の名前で呼んでくれればと思わなくもない。そういう意味では、まあ自分で決めた名だからというのもあるにせよ、「ハンドルネーム」というのはなかなか好きな呼ばれ方だ。私のことも是非原稿さんとでも呼んでほしい。
 一人称も未だに「俺」を使っている。というより、厳密にはここで書いているように「私」も使うし、口頭では伝わらないが「おれ」とひらがなのイメージで喋っている時もある。他にも「僕」「わたし」「あたくし」、ハンドルネームを使って「原稿さん」など、まあまあな種類の一人称を極めて適当に使っているし、おふざけではあるが「それがしはねえ」などという場合もそれなりにある。言葉自体も「そういうのもあるのわね」などと極めて適当に使っているし、よく知りもしない方言を見よう見まねで喋ったりするので時々無駄に出身地を推測される。全国の国語の先生がブチギレそうだが、ご覧の通りまともな日本語も使えるは使えるしTPOもそれなりに弁えているので許してほしい。

 これらの言葉の問題には、「自分というものを固定化したくない」という意識がかなり強く共通していると思う。
 だいぶややこしい話になるのだが、私という個体は「私である」ということが既に一つの個性である、と思っている。テセウスの船という、「ひとつひとつパーツを交換していった船が最終的にすべてが新しい見た目も全く異なる船になった場合、それは元の船と同一と言えるのか」という話に対してあれこれと色々な回答が与えられてきたけれど、あれと同じことが人間の個性にも言えるのだと思う。要するに私は「船」であり、入れ替わるそれ以外の細かな属性が「パーツ」だ。
 かつては勤勉だったかもしれないし、バレリーナだったかもしれないし、どこぞの部長だったかもしれないし、中学生だったり高校生だったり大学生だったりしたし、或いは日によってさえ寛大だったり狭量だったりと私を構成する「パーツ」は入れ替わる。が、それでも別に「私である」という属性は変化しない。それは入れ替わる属性よりもいわばひとつ高次元にあるもので、下位の属性がいかに変動しようともこの「私である」というところだけはよくも悪くも変化しないわけだ。憧れのアイドルの真似をして服や化粧などの「パーツ」を入れ替えてもそのアイドルになることはないし、私の口調という「パーツ」が急におじいさんのそれになったからといって私がおじいさんになるわけではない、というのと同じ。これは創作のキャラクターにおいては当てはまらないというか、「キャラ崩壊」や「解釈違い」といった形で拒絶される場合も多いのだけど、現実の人間に関してはこのくらいラフでいい。
 だからなんなのかというと、「別に女だからといって女の子らしい言葉遣いとかしなくてもよくない?」という話だ。言葉というのは自分の属性ではなく、感覚や気分に合わせて使っていいものだと思う。丁寧にしゃべる時は「私」、強気に出たい時は「俺」、ふざける時には「あたくし」や「それがし」で特に問題ない。台詞を書くように喋っているというとかなり格好つけだけど、別にそれだっていいじゃないかと思う。逆に言えば、そういう自分が自分であることよりも数段些末な問題で自分のことを決めつけられたり評価されたりするのはたまらない。女というだけで特別扱いされてしまうのと同じように。
 そういった理由で、人称も口調も性別も流動的に、「どちらでもないし、どっちかとかでもない」スタイルで暫くはいってみようと思う。常人からするとかなり変なスタンスに見えるのかもしれないが、まあ性に合っていることは確かだ。

 以上、人生で一、二を争う悔しかったことについて書いた。
 重ねて書いておくが、今回登場したすべての人物はそれぞれに魅力的ですべからく優しかったし、誰もこの件に関して責任などない。

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