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丁寧に生きる 〜ていねいな暮らしの向こう側〜

須山ゆず@ライター様の記事を見て、
「ていねいな暮らし」と「丁寧に生きる」ということについて考えました。


「丁寧に生きる」というのは、
「自分も他人も尊重しながら生きる」ってことだと思います。私の原風景は川村結花さんの歌


大事な人にちゃんと大事だって伝えたり
云えなかったアリガトウを云ってみたり
ていねいに生きてみようって思う
ていねいに生きていこうって思う

川村結花 "お引越し"より

「ていねいに生きる」というのは私の中では
「物事にちゃんと向き合う」とか、
「ひたむきに生きる」ってことかもしれません。

一方で、「ていねいな暮らし」というものが
"ごはんを土鍋で炊いたり、味噌を自分でつくったり、お漬物を漬けたりする生活"
であって、
逆にそういう生活をしていない人が
「私の生活は荒んでるってのかい?」と
感じてしまうとしたら…

そんなもの、気にすることはないと思います。

もちろん、
「ご飯を土鍋で炊くのが私の心の潤い❤️」
って人はそうすれば良いです。心の潤いを大切にするのは「丁寧な生き方」です。
でも、「心の潤い」なんて人によって違うので。
それが「掃除をすること」だろうと「仕事の完成度を上げること」だろうと「誰かとあたたかい時間を過ごすこと」であろうと、そういう時間にしっかり向き合うことができているなら、その人は「ていねいに生き」ている。私はそう思います。

たとえ多少部屋が散らかっていても、食事がレトルト中心であっても、そこに時間をかけることで自分のコンディションが下がり過ぎてしまうなら手をかけることはできない。
「自分のコンディション管理をしている」時点でその人は丁寧に生きています。もちろん課題は放っておくわけにはいかないから、解決できそうなシステムやテクニックを探す必要はありますが、
「今」「全てが」「完璧に」できていなくたっていいんです。「完璧とは程遠い今」をベースに少しずつでも「改善に向けた努力をしている」なら、その人は十分に「ていねいに生きている」と私は思う。

もちろん人生という限られた時間の中で、
そのペースでどこかにたどり着けるのかどうか、それはわかりません。
でも、自分の人生は自分で歩くしかないので。
何かにせき立てられるようにペースを上げても
多分良いことはなくて、一歩ずつ積み重ねた結果が自分の人生。そこに行くまでに自分の周りに笑顔が増えていたら、きっと私はその人生を振り返って、「満足」するかどうかはわからないけど「納得」はすると思う。そしてその「納得」こそが、「その人の人生の重み」なのだと思う。
だから、「ていねいな暮らし」なんて私にはできないけれど、「ていねいに生きていこう」、そう思います。

あなたはどんな「今」を積み重ねますか?
みなさまの心に潤いが増えますように
では、また


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