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【映画評】ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の生活』(기생충, 2019)

 ナラティヴ(物語)のレベルではなくて、容赦なく天から降り注ぎ、高きから低きへと(不可逆に)とめどなく流れる水のモチーフを用い、視覚的な落差のうちに半地下、地上(豪邸)、地下を提示できるところにポン・ジュノの才はあるのだし、漂うはずのない匂いが漂ってくるのものもそこからなのである。果たして、我々の、いや私の匂いはどんななのか。
 それにしても、「洪水」前後に散りばめられた水のモチーフの連鎖——たった一杯の焼酎から、豪邸の庭のスプリンクラー、お茶、半地下前の小便とペットボトルあるいはバケツの水の乱舞、レッド・ソース、ミネラル・ウォーターのボトルが転がりゆく風呂、あらゆる種類の酒、そして豪雨、遂には血混じりの梅酒へ——の見事さよ。そして、すべては凍りつき(雪と化し)、地下生活者とその息子の動き、すなわち時、いや映画それ自体が止まる。かの雪は『グエムル-漢江の怪物-』(2006)のラストで父と息子の上に降り積もっていたそれと同じものである。
 雪といえば、『スノーピアサー』(2013)が、凍りついた世界において(高低差ではなく)列車の後ろから前へという運動を(停止しないはずの)列車の停止へと連結させていたことを想起したい。ここで雪は溶け出すものとしてあった。つまりポン・ジュノの作品世界にあって、雪とは静止であり、水とは運動(流動)そのものなのである。

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