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【映画評】ロマン・ポランスキー監督『フランティック』(Frantic, 1988)ーポランスキーの「パリ」②

 自伝的作品である『戦場のピアニスト』(二〇〇二年、仏/独/波/英)が公開されアカデミー監督賞を受賞した今となっては自明のことであろう。映画監督ロマン・ポランスキーは、ユダヤ系ポーランド人(注1)であり、両親が共にナチスの収容所送りになったという生い立ちを持っている。
 ポーランドで何本かの短編を撮影して後、彼は、映画作りを続けながら、イギリス、次いでアメリカへと渡るのだが、そこで、これまで以上に数奇な運命に翻弄されることになる。というのも、まず、監督作『吸血鬼』(六七年、英/米)でヒロインに起用したのをきっかけに結婚した女優のシャロン・テートが、六九年、かのチャールズ・マンソン教団によって惨殺されるのだ(注2)。
 さらに、七七年には、自身が13歳の少女を暴行したかどで捕えられる(注3)。しかも、ポランスキーは、保釈された途端、映画撮影を口実にヨーロッパへと逃亡してしまう。そのため、彼は今でもアメリカの土を踏むことができない身の上なのであり、アカデミー賞授賞式に現れなかったのにもそういう事情があったのである。
 本人の人生そのものがかくも映画的であるために、一連の監督作を彼の「人生」の反映とみなし、「深読み」したいという誘惑に駆られもしよう。だが、差し当たり、ここでは、彼が『フランティック』の中に切り取った「パリ」だけに注目したい。
 それにしてもこの映画のオープニングは異様だ。画面には、まず、タクシーのフロント・グラス越しにシャルル・ド・ゴール空港からパリ市内に向かう郊外道路が映し出される。後部座席に座るリチャードと妻サンドラの「ツーショット」がそこに重なり二人の輪郭が次第に明確になる。エンニオ・モリコーネによる悲しげなテーマ曲が背景に流れ、画面の下からはクレジットがせり上がる。つまり、これはどう見ても、明らかに、「エンディング」のスタイルなのだ。
 ところが、しばらくするとタクシーの運転手がかけているラジオの陽気な音楽がBGMとなり、カメラはなにごともなかったようにパリの街並みを捉え始める。ウォーカー夫妻がたどり着くのはル・グラン・ドーテル(Le Grand Hotel)という実在のホテルだ(注4)。パリの文化的象徴であるオペラ座の真ん前に位置する老舗の高級ホテルである。彼らの部屋からもオペラ座の正面が見える。
 いうまでもなく、このグラン・ドーテル自体、クロード・ルルーシュの『愛と哀しみのボレロ』(八一年、仏)の舞台として既に知られているのだから、それが観る者に何かしらの感慨を喚起することもあろう。
 とはいえ、例えば、そこにコーエン兄弟の『バートン・フィンク』(九一年、米)におけるあのハリウッドのホテルのような官能を期待してはならないし、もちろん、エドマンド・グールディングの『グランド・ホテル』(三二年、米)以降、「グランド・ホテル方式」などとよばれるようになった、ホテル内だけで物語が完結する類の数多の映画(注5)を想起するべきでもない。
 そのホテルは、ただ、典型的に「パリっぽく」さえあればいいのだ。本作の冒頭におけるこういったパリの特定地域・特定ホテルの提示は、いわば、主人公夫婦がツーリスティックな立場にあることを強調するための、そして彼らの視点を観客に共有させるための仕掛けなのだ。
 この後、妻を捜しにホテルを出たリチャードは、花屋で英語が通じなかったり警察やら役所やらをたらい回しにされたりするわけだが、それ自体がいかにも言葉のつたない外国人がパリで体験しそうな出来事でしかないことは先に触れた通りだ。
 それ以降に彼が立ち寄る「カフェ」も、カバンを取りに往復することになる「郊外道路」も「空港」も、カバンの持主、ミシェルが住む一九世紀の築らしき建物の「屋根裏部屋」も、パリに一度でも住んだことがある者には、いかにも「パリ的」な「イコン」として瞬時に了解されるようなものばかりである。
 ただ、いかに筆者のような人間がそこに凡庸な思い入れをしようとも、ポランスキー本人がこの作品において「ツーリスティック」なパリ、あるいは「パリにおける外国人の孤独」の描写を目指しているということにはならない。つまるところ、ロマン・ポランスキーという映画作家が全精力を傾けてカメラに収めようとしている「イコン」は、ミシェルという「パリ女(パリジェンヌ)」ただ一つだけなのだから。
 何もそのミシェルを演じるエマニュエル・セニェがこの映画が完成した後にポランスキーと結婚するという誰もが知るような「自伝的事実」をまたここで想起させようというのではない。リチャードが彼女の「身体」に「パリ」を見る、その瞬間にすべてが捧げられた映画であるからこそ、この『フランティック』は「ポランスキー映画」になるということが重要なのだ。順を追って説明しよう。
 物語が進むに従って、「運び屋」としての小遣い稼ぎを常とするミシェルの「荷物」が今回はどうやらただの麻薬ではなかったことが明らかになってくる。サンドラがさらわれたのもそのためだというわけなのだが、そのような物語的要請ばかりに目を奪われていてはこの映画の本質を見失う。
 すなわち、実際には、サンドラが失踪するというその設定自体も、「アメリカ男」リチャードと「パリ女」ミシェルとのプラトニックでありながらもどこか危なげな「ツーショット」を成立させるための仕掛けに過ぎないのである。
 とすれば、劇中、ミシェルがいつも極端に短いスカートを履いているのも偶然ではなくなってくる。それはなにも彼女の役柄や監督の個人的嗜好にばかり帰着するものではないのだ。確かに、ポランスキーは、パリに独特な屋根の上というシチュエーションでここぞとばかりに露わになるミシェルの「脚」を懸命にカメラに収めようとはしているのだし、それはまたヒッチコックばりの「高所恐怖症的不安」にこだわる彼らしい演出だもといえる。
 ここでミシェルの短いスカートからはみ出す「脚」は、しかし、そうしてリチャードの彼女に対する性的関心を呼び起こす役目を負いながらも、ここではむしろ、「ポランスキーのパリ」を画面上に出現させるための「伏線」としての機能を果たしているのである。
 さて、ミシェルの「荷物」とサンドラの交換の場はセーヌ川に架かるグルネル橋のたもと、縮小版「自由の女神像」のある岸辺に指定される。アメリカ合衆国とフランス共和国との間の「友好の歴史」を少しでも知る者には、この像がそこでどういった役割を担っているのかは即座に了承されるであろうが、やはり、ポランスキーの意識はそんな陳腐な仕掛けには向けられていない。
 リチャードとミシェル、サンドラと彼女を連れた犯罪者グループ、そして警察が一堂に居合わせるこの場所では、案の定、映画のクライマックスが型どられることになる。それにしてもなぜ彼らの銃撃戦がグルネル橋のたもとという場所で行われるのか。
 それが分かるのは最後の銃声がこだまするその瞬間である。この河岸は橋の下とセーヌの水面との間に「エッフェル塔」を収めるカットを可能にするおそらく唯一の場所なのだが、全てが終わってふらつきながらもサンドラのもとへと歩み寄るミシェルの「脚」が、同じ構図の中にふいにその「エッフェル塔」のかたちをなぞるのだ。カメラはこの一瞬を逃さない。
 パリという町において捉えられたこれまでの全ての「ツーリスティック」な「イコン」が、もつれる彼女の二本の「脚」に集約されて「具現化」されるこの最も官能的なロー・アングル・ショットにこそポランスキーのポランスキーたる所以は見て取られなければならない。
 しかしながら、ミシェルの「脚」が「パリ」のもう一つの文化的象徴をかたちどるや否や、彼女はこの物語からの撤退を余儀なくされる。「アメリカ男」リチャードは、とうとう、その「パリ女」の若き「身体」と交わることができないのだ。初老の「アメリカ女」たる妻が彼のもとに帰ってきた以上、もはや彼がミシェルとの「ツーショット」に収まることは許されない。ミシェルの名の下に受肉したかもしれない「パリ」を捨てて、リチャードはアメリカに帰らなければならないのである(注6)。
 ここで、この映画の「オープニング」がエンディングのようであったということをもう一度思い出そう。はたして、真のエンディングにおいても、パリからタクシーで空港へと向かう憂鬱そうなウォーカー夫妻の「ツーショット」がまったく同じ構図、全く同じテーマ曲のもとに提示される。
 結局のところ、あらかじめ何かを失っていたに違いない彼ら「アメリカ人夫婦」はそこで何も得ることができなかった。リチャード・ウォーカーにとってのミシェル、すなわち「パリ」は一瞬の幻想に過ぎなかったのだ。
 ポランスキーの「パリ」、いつ失われるともしれない危うげなその町は、ついに、エマニュエル・セニェその人である(注7)。

データ;『フランティック』(監督:ロマン・ポランスキー;製作:トム・マウント,ティム・ハンプトン;脚本:ロマン・ポランスキー,ジェラール・ブラッシュ;撮影:ヴィトルド・ソボチンスキ;音楽:エンニオ・モリコーネ;製作国:米;一九八八年公開;一二〇分)

注1:ポランスキーはしかしパリに生まれている。
注2:しかもシャロンはそのときポランスキーの子供を身ごもっていた。
注3:実際には合意の上であったというが、相手が未成年であったため罪に問われた。おまけにそれはジャック・ニコルソン邸での出来事であった。
注4:現在、グラン・ドーテルは日本の資本で経営を続けている。http://www.ab-road.net/EUR/hotel/12950.shtml
注5:例えば最近では三谷幸喜の『THE有頂天ホテル』(二〇〇六年、東宝)などがそれにあたる。
注6:無論、そこにポランスキーの「アメリカ」を読み取ることも可能であろう。
注7:一見荒唐無稽なこの結論は、しかし、エマニュエル・セニェがポランスキー監督の『赤い航路』(九二年、仏/英)において「パリ女」を演じていること、同じく『ナインス・ゲート』(九九年、仏/西)においもジョニー・デップをパリに案内する役であることをもって補強される。しかも『赤い航路』がまたしても「脚」にまつわる映画であることも決して偶然ではない。

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