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【映画評】黒沢清監督『地獄の警備員』(1992)

 松重豊演じる高層ビルの警備員が一人で食事をするのを邪魔されてブチ切れ、社員を皆殺しにする(ちょっと嘘)。
 よくよく考えると、深夜に警備員と12課の面々と人事部長(課長?)だけがたまたま会社に残っていたというシチュエーションはかなりご都合主義的なのだが、前半のうちに廊下やエレベーターで別の課の社員とのやり取りをさりげなく提示することで、それを不自然に思わせないようにしている。
 舞台となる総合商社の高層ビルもその外観・全体像は明らかに模型(あるいは別撮りの写真か)によるもので、エントランス、4階、資料室、警備員室、給湯室、部長室、地下室、階段といった各々の場所は恐らくはほとんど別々に撮られているように思われる(少なくとも一つの高層ビル内ではない)。つまり、このビルは(編集の効果によって)スクリーン上にのみ生起・屹立する、極めて映画的な「空間」なのだ。
 冒頭からシンメトリックなショットが続くのだが、いつの間にか(というか警備員が本領を発揮するに従い)そうではない不穏なショットが増えていくように見える。特に「我が子を食らうサトゥルヌス」が出てくることからも分かる様に(ヒッチコック的あるいは表現主義的というよりは)ゴヤ的明暗法が多用されるようになる。
 誰もが気付くように、この映画のベースは『フランケンシュタイン』(1931)で、そこに『サイコ』や『悪魔のいけにえ』(1974)の要素(とりわけ地下室というホラー映画に特権的なトポス)が継ぎ木されている(他にペキンパー、フライシャーの影響もあるか)。倫理観を全く持ち合わせない警備員は『羊たちの沈黙』(1990)のレクター博士のようでもある(つまりサイコ・スリラー的だ。まぁ、レクターはフランケンシュタインの怪物 (労働者) でなくてドラキュラ (貴族) なんだけどね)。
 あとは『帝都物語』(1988)の加藤保憲(嶋田久作)か、似てたのは。つまり警備員は魔界というか異界に通じる怪人にも見えるということだ(それ以前にカーペンター『ハロウィン』[1978]のブギーマンか)。
 などと自分で書いてるうちに気づいたが、つぎはぎの(ショットを編集して構成した)ビル自体(延いては映画そのもの)が、いろんな人間と動物の死体をつぎはぎしてできた(生き返った)フランケンシュタインの怪物の身体そのものなのではないだろうか。

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