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14.毒祖母の子供の区別と差別

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母親を亡くして引っ越してきた従姉妹と、一緒に過ごす時間が増えた。
叔父は引越しの片付けや仕事、新居をどうするかで忙しそうだった。

私の両親がストリップ巡業でいない間、私と従姉妹は祖父母と一緒に食卓を囲んだ。
祖母は私に対しては”お客さん”、従姉妹に対しては”居候”というような区別をつけていた。
おそらく、巡業に行っている間の生活費として両親は祖父母にお金を渡していたのだと思う。
従姉妹に対しては「働かざる者食うべからず」で、家事を手伝わなければならなかったが、私は何もしなくてよかった。
手伝おうとすると注意された。

そんな祖母の対応は、当然私たちの間で軋轢を生んだ。
「なっちゃんは狡い」
「いつも偉そうだしね」
そう聞こえてしまったのは一度や二度ではない。
でもそんな発言さえ、祖母にとっては
「あんた達は性根がひん曲がっている」
と従姉妹を叱る理由となる。
そしてまた私と従姉妹たちの距離は開いていく。

とはいえ祖母も私を可愛がっていたわけではない。
「長男の孫だからねぇ」
と、私のことを話す時には必ず言っていた。


でも夏休みや週末は、私も従姉妹も退屈な毎日だったので一緒に過ごした。
従姉妹は小1と小3、私は幼稚園年長で年齢は近かったけれど、別の生き物のようだった。

従姉妹たちはテレビが好きだった。
私は大人のテレビは内容もよくわからなくて好きではなかったし、一人で家にいてもテレビはほとんどつけなかった。
「本当に何も知らないんだね」
と、驚かれたり引かれたりはしたけど、従姉妹たちが音楽番組のモノマネをしたり、ドラマについて話をしているのを眺めるのが好きだった。

そして従姉妹たちはしょっちゅう喧嘩をした。
手がぶつかった、とか小さな事から
「私のものとったでしょ?!」
と、最終的に叩き合ったりする事に驚いた。
喧嘩がヒートアップするともう手が付けられない。
私は祖父母に助けを求める。
そうすると祖父母は従姉妹を怒る。
「ばぁちゃんに告げ口したでしょ?!」
と、結局私が最終的に怒られて、一人ぼっちになるのだった。

一人ぼっちには慣れているはずなのに、誰かと一緒に過ごしてから感じる孤独は辛い。
従姉妹たちはたくさん喧嘩をしても、最終的には仲直りができる。
一緒にお風呂も入るし、一緒に眠る。
私はいちばん年下なのもあったのかもしれないけれど、疎外感を感じる事も多くなった。

従姉妹たちは、お母さんを失ったのに、普通の生活じゃないはずなのに"あっち側"だった。
普通の人。
近所でも学校でも、すぐに出来たようだった。
"こっち側"にいるのは、私だけだ。

夜ご飯のあと、自分の家に戻った私は、祖父母宅に忘れ物をした事に気付いて戻った。
「なっちゃんといると疲れるわ。
何も知らないし、あんまり喋らないし。」
と従姉妹の妹・サナちゃんが不満げに私の愚痴を零しているのが聞こえた。
「そりゃあしょうがねぇだろー?
親があんな仕事だし、大金稼いでるからな。
なっちゃんは世間知らずのお嬢様なんだよ」
と嗤うのは叔父の声だった。

泣きながら一人ぼっちの家に帰る。
親は”あんな仕事”で、私は”世間知らずのお嬢様”・・・
好きでこんな生活してるわけじゃないのに。
悲しくて、惨めだった。
そういう夜は、いつも以上に長く感じた。



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