化け物たちのバカ騒ぎ・2

第一話:https://note.com/jolly_lily783/n/n41bc90e00daf


 どれほど時間が経ったのだろう。
 暗闇の中にずぶすぶと沈み込み、完全に埋没していた意識が、少しずつ緩やかに浮き上がっていく。
「……あ……」
 意識の覚醒と共にゆっくりと瞼を開けた私は、かすかな声を漏らした。
「あ、目が覚めた?」
 瞬きを繰り返す私の顔を覗き込んできたのは、少女の姿をした吸血鬼だ。

「……」
 私は彼女の可憐な風貌をまじまじと見つめ、次いで自分たちがいる部屋の中に視線を巡らせた。
 窓の外を白く輝く霧が覆っているせいで、部屋の中は真昼のように明るく見えた。
 私が横たわっているのは、部屋の中央にあるベッドだ。
 衝立に隠れて見えないがおそらく他にも1台、同じように白く清潔なシーツに覆われたベッドがあるのだろう。
 ベッドと、周囲に漂う消毒薬の匂いから、今自分がどこにいるのかおおよそ察した。
「保健室か……」
 まだ若干かすれた声で私は呟く。少し離れたところには、養護教諭が使用するであろう椅子と机も確認できる。吸血鬼はそこにちょこんと腰かけている。
 私が意識を失っている間に着替えたのか、上品なレースをあしらった黒いドレスを纏っている。やや露出度の高いそれを、外見上はまだ幼さが残る彼女が纏うと、瞳に宿る長い年月を生きた者だけが宿す、どろりと深い光と相まって倒錯的な艶めかしささえ漂って見えた。
 
「正解よ」
 独り言のつもりだったが聞こえていたらしく、吸血鬼が軽やかな声で答える。さらにはドレスの裾を軽くつまんで見せて、聞いてもいないことを離し始める。
「これ、いいでしょ?普段の制服も嫌いじゃないけど元々生徒のフリして、学校に忍び込むための恰好だし、気分転換で時々着替えたりしてるのよね」

 私はベッドに横たわったまま、自分の身体を観察する。
 逃亡を図った際には狐の姿に戻ったはずだが、何故か今はまた人の姿になっている。
 だが、どういうわけか指一本動かせない。
「私ね、相手の能力に干渉して操作することができるの。といっても、そのためには手で直接相手の身体に触れないといけないんだけどね」
 私の表情から考えていることを読み取ったのか、吸血鬼が心なしか喜色にはずんだ声でそんなことを言ってくる。
「それであなたが意識を失っている間に触れて、人の姿に戻してここまで連れてきたってわけ」
「説明をありがとう……でもどうして、わざわざ人間の姿に?」
「その方が私の好みだからよ」
 私の質問に、吸血鬼は迷う様子も見せずに即答した。
「……好み?」
「そう、狐の姿もふわふわしててとってもチャーミングだとはおもうけど、私としては、人間の姿の方が目の保養になるもの」
 その言葉の意図を図りかねて、私は思わずまじまじと吸血鬼を見つめるが彼女の方は笑みをたたえたまま、私の訝しそうな視線をまっすぐに受け止める。
「それともう一つ、聞きたいことがある」
「なんなりとどうぞ」
「……この格好はなんだ?」
 ベッドに横たわっている私は、何故かドレスに着替えさせられていた。
 意識を失っている間に、流血に汚れた白いロングカーディガンも、その下の空色のシャツも、黒いタイトスカートや裂けたストッキングも脱がされたらしい。
 女吸血鬼の来ているそれとは対になるような、レースをあしらった純白のドレス。
 
「意識を失っている間、私が着替えさせたの。よく似合っている。私の見立てに狂いはなかったわ」
 そういう吸血鬼は、可憐な面差しに邪気のない笑みをたたえていた。お気に入りの人形に着せ替えをして遊ぶ童女のように。
「ねえ、せっかくだから少しお話でもしない?私、あなたのこともっとよく知りたいわ?代わりに私の名前も教えてあげる」
 吸血鬼の甘く可憐な声を聞き、私は少しの間沈黙して考えを巡らせる。
 身体の方はいまだに麻痺したように動かせない。おそらく吸血鬼の催眠術か何かで、動きを封じられているのだろう。
 だが起きた直後と違い、指先程度ならわずかに動かせるようになっている。催眠術が苦手なのか、私を完全に敗北させたと思いそれほど強力に催眠術をかける必要はないと判断したのかは分からないが、こちらにとっては好都合だ。
 もう少し体が動かせるようになるまで……せめてこの場から逃走できるようになるまで、時間が必要だ。そのためなら、話でも何でもしよう。
「……いいよ」
「やった、嬉しいわ」
 言葉通り、吸血鬼は嬉しそうに笑み崩れる。
「じゃあ、さっそくだけど質問。どうして人間じゃないあなたが、私を捕縛しに来たの?」
「依頼された」
 私が簡潔に答えると、さらに質問は続いた。
「誰から?」
「陰陽師」
「……え、陰陽師ってあの陰陽師?日本の漫画やアニメとかでよく出てくる?」
「そう、その陰陽師だよ」
 私が特に抑揚も持たずに答えると、吸血鬼は目を丸くした。
「びっくりしたわ……。でも、どうして彼らが直接来ないの?エンタメ作品では、よく彼らは化け物退治のエキスパートとして出てくるのに」
「そりゃエンタメ作品ではそういう設定で、出した方が面白いだろうしね。……でも彼らは、天文学や神道だけではなく、仏教や方位学や占術にも精通した国家公務員だからね。戦いの専門家じゃない」
「そうなの?」
 そう言って小首をかしげる吸血鬼に、私はなおも説明を続ける。
「そうなんだよ。だから実際の退治や討伐は、戦いの専門家……つまり武士がやるんだ。酒吞童子討伐だって、京の若者や姫君が行方不明になった事件を占いで酒吞童子の仕業と突き止めたのは安倍晴明だけど、実際に討伐したのは源頼光と『頼光四天王』と呼ばれる4人の武人だし。それに……」
 と私は一瞬言いよどむ。
「それに?」
 と少女が鸚鵡返しに問うと、私は言葉を続ける。
「有名な玉藻前討伐だって、陰陽師が退治したみたいに勘違いしている人を見かけるけど、実際は妖狐の化身と言う正体を明かしただけだ。退治や討伐の現場には居合わせていない」
「ああ、玉藻前……九尾の狐ね。そういえば、しばらく前に殺生石が割れたってニュースで話題になったわね」
 そう言った吸血鬼は私の表情を見て、眉をひそめた。
「ねえ、あなた……どうしたの?」
「え?」
「なんだかひどく嫌そうな顔をしている。『苦虫を嚙み潰したような』って言葉がよく似合いそうなくらい」
 吸血鬼にそう指摘されて、私は思わず苦い笑いを浮かべてしまう。
 殺生石。原点である伝承や古典文学では、玉藻前の亡骸や執心が変じた、あるいは身を守るために自ら石になったとされており、『誰かに石に封じ込められた』などとは一切言われていない。だが――

「……いや、何でもない。いやなことを思い出しただけだ」
「そう?」
 私の顔を見て、吸血鬼はそれ以上追求しなかった。代わりに、別のことを聞いてくる。
「それで、武士がいなくなった今は貴方のような子に依頼するってわけ?」
「そう。と言っても、戦いに向いてない妖怪もいるけどね」
 満足げに頷いたカーミラは自分のことを話し始めた。
「それじゃあ今度は、私のことを話してあげる。私の名前は色々あるんだけど……そうね、『カーミラ』この名前が一番有名だと思うわ」
 一瞬、私は言葉を失った。
 カーミラ。作家アイルランド人作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが書いた小説の中に出てくる女吸血鬼。
「……退治されたんじゃなかったっけ?」
「そうよ。でも言うじゃない?『お化けは死なない』ってね。これって確か、有名なアニメのオープニングソングの歌詞よね?」
 おどけた様子で言う吸血鬼――カーミラ。その言葉に私は眉根を寄せる。
 確かに、知名度の高い妖怪や魔物等の超常的な存在は一度倒されても肉体が修復されて復活することがある。
 時にはわざと一度倒されたり、人間の作家に自分の物語を描かせることもあるらしい。自らがより畏怖され、あるいは信仰されるように。
「それに復活してからは、獲物を殺したりしてないわよ、この学校の生徒たちだって、気分が悪くなって倒れただけで命に別状はないはずよ」
 悪びれずに言い放つカーミラに、私はいささか呆れを含んだ視線を注いだ。
「だからって野放しにするわけにはいかないよ」
「そうね、でもあなたに私をどうにかできる?」
 カーミラの問いに、私は答えることができずに歯噛みする。自分の無力さと未熟さを思い知らされて、ただ悔しさだけがつのるばかり。
「誤解しないでね、別にあなたが弱いと馬鹿にしてるわけじゃないのよ、私相手じゃなく、並みの吸血鬼相手だったら問題なく捕縛できていたと思うわよ。吸血鬼の弱点をよく熟知してる」
 私の心情を読み取ったのか、カーミラは慌てたように言い添える。
「私ね、昼間の日光は苦手だけど、人間が作る映画みたいに日差しを浴びたら即消滅するわけじゃないのよ……最も、身体能力や回復能力が大幅に落ちてしまうのは困りものだけど。まあそのおかげで、人間の振りができるんだけどね」
 そう言ってカーミラは、むき出しの細い肩をすくめて嫣然と微笑む。
「でも、吸血鬼って日光以外にも弱点が多いでしょう?だからね、何とかして一時的にでも弱点を無効化できる術を編み出したの」
「それがあの霧?」
 私が尋ねると、カーミラは嬉し気に相好を崩しながら頷いた。
「そう。あの霧が私の周囲を漂っている限り、ニンニクやトネリコや西洋サンザシを食らっても、ほぼノーダメージ。苦労して編み出した甲斐があったわ」
「……そう」
 意識して内面を顔に出さないように努めるが、私はかすかに表情が強張ったことに気づく。
 カーミラと話としている間も、気づかれないように時折体がどれほど動かせるか確かめていた。身体の方はほんの少しずつではあるが、麻痺が解けたように少しずつ動かせるようになっていく。
 あの霧は、学校全体をすっぽり包み込めるほど広範囲に漂っていた。それをどうにかして除去するような手段を、あいにく私は持ち合わせていない。
 なら、どうする。どうすれば……。
「まだ、自分だけでこの状況をどうにかしようと考えてる?」
 必死で思考を巡らせている時に、それを見透かされ思わずカーミラに視線を向ける。
 可憐な面差しの中で紅い瞳が、かすかに呆れを含んだ優し気な表情を浮かべている。自分の無力さを認められず、必死にもがいている幼い子供を微笑ましく見守るように。
「およしなさいったら。第一何故そこまでするの?」
「金銭のため」
「……け、結構俗っぽい理由なのね」
 迷わず即答した私に、カーミラは若干戸惑ったように小首をかしげる。
「私も表向きは人間として、人間社会の中で生きていく以上、どうやったってお金は必要だ」
「……そりゃそうなんだろうけど、もうちょっと高尚な理由とかあるのかと思ってたわ、人間が好きとか」
「いや別に」
「……そ、そう。その表情からするに、どっちかというと人間嫌いなのかしら?」
 先ほどよりさらに迷わず即答した私に対して、カーミラはさらに戸惑いの色を深めていく。
「嫌い……な面もあるかな、全部が嫌いってわけじゃないけど」
「そう。どういうところが嫌いなのかしら?」
 雑談のつもりなのか、カーミラがさらに質問を投げかけてくる。
「……あー、そうだな。さっき君が、言ってたろ?殺生石が割れたって。あの時に……」
「ああ……そういえば、あの時インターネットのあちこちで、変な勘違い膨らませてる子たちがいたわね。殺生石が割れて封印が解けただの、たまたま近い時期に起きた戦争は、封印されていた妖怪が起こしただの」
 思い出しながらしゃべっていたカーミラも、呆れ交じりの苦笑を口元に浮かべる。どうやら彼女は、玉藻前や殺生石の伝説を一通り知っているらしい。
 ――殺生石が割れた当時、『殺生石が割れたから封印されていた九尾の狐が復活した』などという勘違いによる書き込みが、インターネット上ではよく散見されたのだ。無論、割れたことにより玉藻前が成仏・解脱したとされる元の説話・伝承とはほぼ正反対の勘違いなのだが。
 挙句の果てには、その数日前に勃発した戦争を結び付けて『九尾の狐が某国の大統領を操って戦争を起こした』などという愚にもつかぬ妄説まで出る始末で、私はそれを目にした時は呆れかえってしまった。

「人間って、時々信じられないくらいのおバカさんになるのね。調べればわかることを調べなかったり、戦争は人間がやらかしたことだから、戦争を起こしてはいけないと戒める言葉が人間社会のあちこちにあるんだって、ごく単純なことにすら気づけなかったり」
「……ああ、うん。君に共感するのは不本意だけど、ほぼ同じことを思ってた。後、自分の家族を汚されたようで、すごく不愉快だった」
「……家族?」
 私が返した言葉に、カーミラは黒い柳眉をひそめた。
「そう、家族。その殺生石に封印されたって勘違いされてる妖怪……玉藻前は私の母さんだよ」
「え……?」
 呆然と声を漏らしてカーミラはしばし、きょとんとした顔で絶句する。
 静寂が保健室の中に垂れ込めるが――
「……て、えええええっ?」
 程なくカーミラのあげたした声に、その静寂は引き裂かれた。
 珍しくその声音には、掛け値なしの驚愕がにじんでいた。
「いや、正確には『養母』なんだけどね」
「ちょ……ちょっと待って……え……えーと、確か玉藻前とやらは、何とかっていうお坊さんに……ええと、確か『成仏』させてもらったんじゃなかったかしら?」
 私が説明を加えるが、カーミラの表情と声音には、未だ驚愕と混乱の色が濃い。
「ああ。でも君も言ったろ?化け物は倒されても復活が可能だって。それに福島県のお寺には、君が言ったお坊さん……玄翁和尚に、成仏させてもらった恩を返すために現れたというエピソードもある」
「……そ……そうなの?」
 いくらか冷静さを取り戻したカーミラは、ややきょとんとした様子で尋ねる。
「ああ。それに、玉藻稲荷神社や九尾稲荷神社、玉雲宮……祭神として祀ってある神社も結構多いんだよ」
 と私は説明する。余談だが多くの説話や伝承では玉藻前を成仏させたのは玄翁和尚ということになっているが、栃木県の喰初寺に伝わる話では日蓮上人が成仏させたということになっている。
「そ……そうなの、知らなかったわ。私も長生きしてる割に無知だったのね」
「そうでもないよ。少なくとも君は殺生石を封印だと勘違いしていないだろう。調べれば分かることを調べているなら、君は無知でも何でもないよ」
「あら、ありがとう。……でも、祭神として祀られる存在をおバカで不謹慎な妄想の為に利用するなんて、人間たちも随分なことをするのね、吸血鬼の私がこんなこと言うのもなんだけど」
 くすりと笑いながら、カーミラは肩をすくめる。
「多分、そんなことどうでもよかったんだと思う」
「……どうでもよかった?」
 カーミラは不思議そうに、私の言葉を鸚鵡返しにつぶやく。
「ああ。……言い方は悪いけどただ、自分に直接的な害が及ばない場所で起こった戦争を心のどこかで面白がって楽しむために、殺生石が割れたニュースを利用してる。ただそれだけなんだ。自分じゃ気づいていないのかもしれないけど。元の伝承とか知らないし、調べようとするほどの関心も持ち合わせていない。そんな人たちを見て私は思ったよ。ああ、人間もある意味化け物なんだなって」
 淡々と私は語る。その時、抱いた嫌悪感は今でもくすぶり続けている。
 自分に被害が及ばないのをいいことに、多くの人が傷つき苦しんで死ぬ戦争を楽しめる、グロテスクでいびつな怪物に対する嫌悪感。
「ふうん?それで人間に失望した?」
「いや、そこまででもないかな。私だって、普通の人間からしたら薄気味悪い存在だろうし。それまでは、人間のフリしてる引け目とか劣等感も抱いていたんだけど。『ああ、人間って別にこっちが引け目を感じなきゃいけないような生き物でもなかったんだな』て思えるようになって……少し気が楽になった」
 カーミラが尋ねてくるが、私はそう答える。特に嘘偽りのない言葉だ。
「ふうん。でも別に、人間が好きで戦ってるわけじゃないんなら……」
 とカーミラが赤い瞳で私の眼差しを覗き込む。
「私の側についてくれる気はない?」
「……は?」
 私はやや呆気にとられた声を出して、彼女を見つめ返す。
「本気で言ってるのよ、だって私、あなたのこと気に入ってるもの。それに、年下の女の子に『君』って呼ばれるの、なんだかぞくぞくするわ……」
「……ああ、そう」
 陶然とした表情を浮かべながらそんなことを語るカーミラに、私は思わず心底どうでもよさそうな言葉を返す。
「でも、ごめん。無理だ。さっきも言ったけど、私も一応人間社会の一員として生きている以上、何らかの形で社会に貢献しないと」
「私これでも、死者は出さないように最低限の配慮はしているのよ?」
「知ってる。けど、だから野放しにしていいわけじゃない」
「……そう、でもこの状況であなたができることなんてあるの?」
 カーミラがそんなことを言いながら、私に近づいてくる。
 やるなら今しかない。私はそう決意する。今なら、油断しきっている彼女に一撃入れることぐらいはできる。その程度には体の麻痺も解けている。
 色々と言葉を交わしたが、それはすべて行動可能になるまでの時間稼ぎでしかない。
 私の中の、彼女への戦意はまだ消えていない――
「あるさ、割とね」
 私はそう答えるや足を跳ね上げて、近づいてきたカーミラの顎に蹴りを淹れる!
「ぐっ!」
 まともにくらったカーミラは、小さな呻きをあげてかすかによろめく。


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