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読書日記

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読んだ本の紹介をしている記事のまとめです。
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記事一覧

2024年のサマー・リーディング・リスト

読書の夏がやってくる!  夏といえば読書!という感覚が身についたのはどうしてだろう?小学…

バナナ星人
3週間前
24

"Opening Theory" by Sally Rooney: 新作"Intermezzo"がやってくる!

新作がやってくる  2024年7月8,15日合併号のThe New Yorkerに、Sally Rooneyの新作長編であ…

バナナ星人
1か月前
11

人間を「精巧な機械」に作り替えるには: The Handmaid's Tale by Margaret Atwood

 子供を産むことにはかなり抵抗がある。抵抗というか、けっこうな恐怖がある。ひとたび子供を…

バナナ星人
1か月前
4

死を想えど、悟ったふりもできなくて : “Beyond Imagining” by Lore Segal

 読んだ直後には深く感動せずとも、数日かけてポコリポコリと感想が浮かんでくるうちに、気が…

バナナ星人
2か月前
9

リセットできない世界を生きる話: "Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow"by Gabriel…

 北斎の巨大な荒れ狂う波。ゲーミングデバイスを連想させる虹色のポップな書体。一度目にした…

バナナ星人
2か月前
9

生産的であり続けろ、という声にとらわれて: "How Should A Person Be?" by Shelia He…

"How Should A Person Be?" by Shelia Heti  Productiveという言葉はいつからか魅力的になっ…

バナナ星人
3か月前
14

幼い日々の、痛み苦しみに祈る: ここはすべての夜明けまえ (間宮改依), “Universal Harvester” by John Darnielle, "Allah Have Mercy" by Mohammed Naseehu Ali

 「痛みのない幼少期は無い」というフレーズが頭の中にずっと残っている。どこで読んだのか思い出せないが、どんな人でも、何かしらの(わざわざ人に話さないような)痛み苦しみを幼年時代に持って大人になる、の意だったと思う。子供の頃の記憶や感覚、心の動きというのは萌える若葉の如く、柔らかく剥き出しで、それゆえに鮮烈で、自分自身でも受け止め方がわからないくらいダイレクトに響いてくる。大人になってようやく向き合い方がわかるようになる人もいれば、生涯その記憶に背を向けないといけない人もいるだ

the New Yorkerで面白かった短編フィクション②: 村上春樹 / Souvankham Thammavongsa

 The New Yorkerを自身で購読し初めてから随分経ちました。最寄りの図書館に置かれていないの…

バナナ星人
3か月前
14

記憶の博物館を訪ねる本: "Time Shelter" by Georgi Gospodinov / "The Souvenir Muse…

 私はあまり多くの物を持ちたくない性分なので、不要な物を売りに出したり、人に譲ったり、処…

バナナ星人
4か月前
28

20代のリアルと、ドラマなしに続いていく生活と/Beautiful World, Where Are You(Sall…

 小学生の頃、学校の授業で20歳になった自分へのお手紙を書いて、どこかに託した記憶がある。…

バナナ星人
5か月前
20

The New Yorkerで最近読んだ短編フィクション: 新たな作家との出会いの場

 The New Yorkerを初めて手に取ったのは高校生のとき。「日本のメディアとは切り口の違う記事…

バナナ星人
6か月前
26

Franz Kafka短編集 / Flowers for Algernon / 最近読んだクラシックとか

 言わずと知れた「名作」を手に取る時、いつも心が揺らいでいる。一つ、ここには時の流れによ…

バナナ星人
6か月前
29

Weird Medieval Guys: へんてこな中世の世界を愛する人

 きっかけは、Twitter(X)で見かけたへんてこな投稿であった。 何…………? 暇な中学生のノ…

バナナ星人
6か月前
8

推し、燃ゆ: 魂の死を伴う物語が好き

 推しというものができなくなって久しい。確か中学生くらいまでは、特定のキャラクターが大好きで、推し、に近い感覚を抱いていたように思う。部屋の壁に好きなキャラクターのポスターを貼り、食玩のような可愛らしくデフォルメされたフィギュアを集め、集めたグッズをディスプレイする専用の棚を作っていた。さながら推しキャラクターの博物館である。それも高校生あたりから興味が薄れ、今では完全にやめてしまった。  友達との会話から始まった「推しキャラ」は、幼い私にとって、未発達な自我に部分的に融合し