【️小説】白いすな

「なんでこの仕事してるの?」

「あたし母親がこないだ死んだんです、そのお墓を立てるためです…」

「そんなの聞いたらお母さんあの世で泣いちゃうよ。あなた親思いなんだね」

「違うんです、あたし嫌いだったんです、母のこと…供養しないと母親があの世から私を苦しめるんじゃないかって…だから安からかに眠って貰わないと困るんです」

というと客のおじさんは、あぁ、そうなの…困った顔をした。

どうしてこの仕事してるの?とは、この仕事をしていると何十回聞かされる。お母さんにお墓を立てる、というと勝手に頭の中で感動的な物語をつくって押し付けられる。

今日のはよかったなぁ、と、今日の接客を思い出しながら暗闇でオナニーをした。あたしの声は生きている。あたしの性欲に塗れた声は簡素な部屋の中で一瞬響くと、宙に吸い込まれていった。エロいことしてる時の声っていったいどこから出るんだろう、お腹とも違う、喉とも違う、声帯とも違う場所からどこからともなくやってくる喘ぎ声はわたしの性衝動を増幅させた。

子供の頃から母親はあたしのやることにはなんでも口出ししてきた。ピアノを習いなさい、あの子と友達になっちゃだめ、成績のいい子だけ友達になりなさい…

遺骨の入った壺を切り倒してドブ川に捨ててやりたい衝動に駆られる。そうしたら楽になるだろうか。後悔したらどうしよう、と私は何も出来ずに遺骨の入った壺の前でいつも小さな子供みたいに泣いてしまう。お母さんが死んだことによる悲しみの涙と、生前の憎しみの涙と、あとなにがあるだろう。

「今日の客親父ばっかだったよ。」

「いいじゃん。あたし若い人よりおじさんの方がいい。気を遣わなくていいし、自分のしたいこと一通りして満足して帰ってくもん。若い人は気遣うし彼女がいるからキスはしないでとかいうし」

「音声付きのラブドールみたいなものだよあたしらなんか」

あたしは壊れた人形のように、馬鹿の一つ覚えみたいにセックスを繰り返す。あたしは生きているから。生きていると色んなことが起きる。親が死んだりするのは生きてる証拠。生前母親は私によく死ねと言っていた。死ねばかり言っていた母親は50際の若さで死んでしまった。

早く死にますように、私の中で早くお母さんが死にますように。

今日のラストの客はテクニックがしつこくて上手だった。あたしは二回もイッてしまった、生きてるって気持ちいい。そう思えたのだった。


30万、50万、100万…

「お墓って高いのね」

今日の稼ぎは8万円。そのうちの六万円を手にしてあたしは一思いにびりびりと札束を破いてしまう。お札を破りさえしなければお墓を買えるくらいのお金とっくに貯まっているのだ。私はシンクの中に破ったお札を撒き散らし、母の遺骨を少しだけ取り出してそこにふりかけ、マッチの火を灯して燃やしてしまう。なんの儀式か自分でもよく分からなかったけどこの時の私は私をそうさせた。ただお金は想念の世界に行くと思えた。お母さんの元に行くと思えた。故人は火を食べる、と何かで聞いたことがあった。私はタバコに火をつけてお母さんと一緒に火を食べた。


幼い頃母親と花火をしたことを思い出した。その夜夢をみた。私は小さい子供で、母親と近所の河川敷で花火をする夢だった。

「火なんかたべてもおいしくない…」

私はまいにち身体を売ってお母さんに火を食べさせている。


私は私の中でお母さんが生きていて欲しいのか死んでいてほしいのかわからない。







「愛さん、今日九万二千円ね。惜しいねもう少しで十万乗ったんだけどねぇ。この仕事してからもう100万円くらい貯まってるでしょ?お金の管理は店長に相談してよ、口座分けたりタンス貯金したり女の子それぞれだけど、俺その辺無知だからさ…」

遅番フロントの人はそう言った。私は毎日のようにお札を破っている。手元にはほとんど残っていない。

「愛さんはお金何のために貯めるの?ホストとか、通ってる子もいるんだけど…」

「供養のため、です」

「供養?愛さん変わったこと言うね…」

フロントの人は曖昧に笑った。








その人は昼過ぎに出勤した日の最初の客だった。

「外、暑かったですか?」

「暑いね、今日三十七度だって」

不思議な感じのする客だった。誰か知り合いに似ているような、どこかで出会った事のあるような。

「なんでこの仕事してるの?」

「お母さんが死んだんです、その、お墓を立てるためです…」

「何それ、面白いね」

おもしろい、とその男は言った。

わたしはその男とベッドに腰掛けて服も脱がずにおかあさんの話をした。妙に洞察力があり論理的な人だと思った。しばらくしてタイマーが鳴った。

「あっ、時間になっちゃった…」

「いつもこうだから。僕好きなんだよソープとかこういう仕事してる人と話すの。前なんかも服脱がないで終わったからね」

「僕医者なんだ、精神科医。個人でクリニックやってる」

「良かったらきてよ」

精神科医は名刺を差し出しながらそう言った。



次の日の昼前、双子の妹に会った。葬式以来だった。双子の妹は何故かお母さんによく懐いていて、葬式では生気がなくて死人のようだった。今もそんな様子は続いている。

「愛ちゃんね、お母さんが亡くなったとき、魂抜けたみたいになってたから…」

お母さんが生きてる時、私の中にいたのは私だったのだろうか。それともお母さんだったのだろうか。そういう妹は今もずっと魂が抜けたみたいになっているけれど。

「今は?魂ちゃんと入ってる感じする?」

「うん、なんていうか生き生きしてるよ。」

生き生きしている、ソープで働くのは嫌だとは思わなかった。裸になってセックスしてると生きていると思える、絶頂を迎えるときは死んでもいいとさえ思える。死んでもいいとさえ思えるのは生きてる証拠。私はお母さんが生きていた時きっと死んでいたんだろう。お母さんが死んでから私は本当の自分を生き始めているようだった。


接客をしてたら全然気持ちよくない時でも嘘でも声を出さなきゃいけないから、そうやって嘘の声を上げれば上げるほどこの世の鎖とおもりがあたしにまとわりついて来てしまうようなきがした。アダルトビデオの女優のように人工的な声を上げても、その日の夜にお札を破ればわたしはこの世の鎖とおもりから遠ざかれるような気がした。ソープで働くわたしのからだはあの世とこの世をいったりきたりしている。

「ねぇ死ぬ瞬間ってすごく気持ちいいんだって」

「死ぬって、縁起でもないこと言わないでよ」

六十すぎくらいのおじいちゃんのお客さんはそう言って顔を顰めた。

あたし嬉しいの、あたしが生きてて嬉しい。 なんだかこの日のあたしは躁状態みたいな日で、その日最後の接客が終わってお辞儀をしたときだった。

「愛さん、バックから何か落ちましたよ」

ボーイが拾ったのはあの精神科医だという客からもらった名刺だった。ニュートンが重力を発見した時ってこんな感じだったんじゃないかと思った。

「やぁ、よくいらっしゃいました。…あの名前って本名だったんだね」

「はぁ」

「今日はどうしました?」

「お母さんの遺骨、まだそのままなんです」

「あぁ、お墓のことね、言ってたね。」

「あたしソープで働いたお金を破いちゃって、お墓買うお金も貯まらないし、かと言ってソープ辞める気にもならないし、なんだかぐるぐる悪循環してるみたい…でもねソープで働いてると生きてるって思えるんです」

「お金破くの?愛さん変わってるね…」

そう言って精神科医はパソコンに何かを打ち込んだ。

「なんでお金破くの?」

「破いたお金は想念の世界にいくから」

「想念ってなに?あの世とか?」

「想念は、想念です、あの世も含まれるかもしれないけど」

「なにそれ、…愛さんってお母さんのこと嫌いだったの?好きだったの?」

「分かんない、死んじゃったから…」


ゴッホのように死を持って輝くじゃないけど、母親が死んでから思い出すのは良かったことばかりだった。学生の時に毎日車で送り迎えをしてくれたとか、私の好きなごはんをよく作ってくれたとか。だったらみんな死んじゃえばいいんだ、ゴッホの絵のように死んでから素晴らしさに気づくかもしれない。この世の鎖のようでおもりのようだったものもみんな、こうして供養してしまえば私も浮かばれるのだろうか。

死んじゃった、死んじゃったから分からなくなった。憎んでいたのが正しい感情だったのかさえ分からなくなった。死んだら憎しみがポロリと欠けてしまった。死んだ人はずるいと思う。






「愛さんはお母さんの何が嫌だった?」

お母さんの嫌なところは、ヒステリックに私を否定するところとか、そのくせ何にでも鑑賞してくるとか、情緒不安定なところとか、いろいろあった。

「あたしのお母さん変な人だったんです、毒親って言葉が当てはまるような…」

そう、と短く言って精神科医はまたパソコンに何かを打ち込んだ。

「あなたのことを支えてくれる誰かいたらいいのにね、恋人とかはいないの?」

「いません」

「いたことは?」

「…ありません」

「好きな異性のタイプは?」

「あたしを愛玩動物にしてくれる人…」

「愛玩動物?また面白いこというね…」

よーしよしよし、って、犬や猫にするみたいに些細なことでも褒めて欲しいとおもう。そして私を育て直してほしいとおもう。そしたらきっと良い子になれるから。

母親は私を心配してくれたけど褒めてくれなかった。

「私が欲しいのは恋人じゃなく飼い主とかお父さんとかなんだと思います」

「君は愛を知らないんだよ」

「愛…」

愛さん、なんだから愛し愛されないとね、と精神科医は冗談を言った。

私は愛を知らない。愛の正体がなんだかも分からない。性欲の交じった愛さえわたしはまともに受けたことがない。だって音声付きのラブドールなんだから。

私がお母さんの葬式のときに泣いてしまったのは愛だと言えるのだろうか。



「ソープはどう?嫌じゃないの?知らない人に触られたりしてさ」

「べつに…」

「まぁ誰かがやらなきゃいけない仕事だけど、体を売るような仕事ってね、女性の最後の仕事、ファイナルジョブっていうんだよ」

精神科医はそう言ったけれど私はそうとは思えなかった。ソープは私のファーストジョブなんです、というと精神科医はいいねそれ、と言った。だって私はお母さんの死を持って始まったんだから、と。


ソープの仕事にも少しずつ慣れてきた。

「部屋のセット終わりました」

「OK、愛さん、ちょっとまだお客さんいないから、待機ね」

お風呂、冷蔵庫、リネン類、ベッド、小さなテーブルが揃ったソープの部屋はまるで独房そのものだった。客が来るのを待つ間一人で独房のなかに閉じ込められていると死刑囚にでもなったみたいに思えた。

たまらなくなって近所のお寺に電話をした

「あの出家したいんですけど…」

「はぁ、あなたいくつ?」

「二十一歳です」

「えぇとうちは〇×宗っていう宗派でね、葬儀なんかを執り行ったりしてますが…出家ですか」

「出家、です」

「尼さんになりたいってこと?」

「分かりません…」

「大丈夫?誰かお亡くなりになった?」

「そういう訳じゃ…修行をしたいんです」

「えっとねうちは坐禅をしたりしてるんだけど…体験なんかもやってるわよ。良かったらそちらの方へどうぞ」

「はぁ」


その頃芳賀さん、というお客さんが三日に一回のペースで来てくれていた。芳賀さんは論文を書いたり不動産屋をやったりいろいろしているらしい。

「僕24ヶ国語話せるんだ。神様の言葉を入れたら25カ国語かな。」

そういってお天道様みたいな笑顔で笑います。

「死んだ後人はどうなると思う?」

部屋のドアを出る前に芳賀さんは私に尋ねました。

「魂だけの世界に行く…」

「違うよ、天国か地獄に行くんだよ。この世でどう生きたかであの世でどっちに行くか決まるんだよ、だからあなたもこの世で頑張るんだよ」

お母さんはどちらにもいないような気がした。

「大好き」

わたしをぎゅうっと抱きしめて子供のように言った芳賀さんが可愛く思えてあたしはただうん、と言った。




「ねぇ先生、人って死んだら天国か地獄に行くんだって」

「そんなのないよ、人は死んだら腐るの」

「腐る…」

「僕完全に唯物論者だからね…魂とかはある意味ある様なものだけどそれは生きてる人が勝手に想像するの。心の中で故人を思い出すためにそういう概念を、生きてる人が作ってるだけ。」

「物の反対は何か知ってる?」

「魂とか…」

「ちかいね、心だよ、心。唯物論の反対は唯心論って言って…全ては心から出来ているっていう意味」

「全ては物から出来ているとしたら、生きてる意味がなくなっちゃう」

「意味なんてないよ、生物として生まれて生物だからっていう理由で腐って死ぬ。僕達は生物なんだよ」

白いすなになってしまったお母さんが、お母さんの遺骨が脳裏に過ぎった。

「囚われてちゃいけないよ、お母さんは死を持ってこの世から消えたんだから」


生きるって死ぬことと同じことだと思う。それを先生に言うと、

「生死同一って言葉があるよ、愛さん勘がいいね、哲学やったらいいんじゃない」


お母さんがなくなってから四十九日が過ぎようとしていた。本指名の芳賀さんにこう尋ねられた。

「お墓参りした?」

「まだ、お墓を買ってないんです…」

「そう、ちゃんと供養できる場所はあったほうがいいからね、ご先祖さまはちゃんと見てるからね」

芳賀さんは穏やかなお天道様みたいな顔で言った。



「愛さんと話してると分からなくなるよ、愛さんはお母さんのこと好きだったのか嫌いだったのか…」

好きとか嫌いとかじゃないのだと、親子ってそういう物なのだと少し思えた。

「俺も…あぁごめん僕もね、父親が変わった人でさ、変な人だったのよ。統合失調症じゃないんだけど、物事を独特な解釈する人で、僕それがすごい嫌だったの。僕が医者になる前に父親が死ぬ前には絶縁状態でね。」


「僕も大分親のことで苦労したけどなんていうか親が死ぬと世界が変わるよ」



「いつまでこの仕事続けるの?」

二回目本指名のおじさんは服を着替えながら、私に目を合わせずにそう聞いた。

「いつまで…死ぬまで?」

というと、おじさんは死ぬまでかぁ、と笑いました。

「可愛い子ってすぐやめちゃうからさぁ、君はやめないでよ」

可愛い子、と言われて少し嬉しかった。私は死ぬまで、と答えたように死ぬまで売春をするんだろうか。

私はその頃先生のクリニックに週に一回通うようになっていた。

「私お母さんなんてこの世に居なければよかったと思うんです。」

「人は一人で生きてる訳じゃないからね、愛さんだってお母さんに育てられてきたわけだし…」

私がじっと黙っていると先生はこう口を開いた。

「愛さんは一人で生きてると思ってる?蛇口ひねったら水が出るのだって当たり前じゃないんだよ。水を管理してる会社の人がいなかったらなにもできない。」

「蛇口をひねったら水が出るのなんて当たり前じゃない?水道の蛇口をひねる時に水道局で働く人の気持ちなんて私は考えない、先生だってそうでしょ」

「そうじゃなくて、もしそういう人たちがいなかったらなにもできないんだよっていうこと。

「水が無いならないなりの世界で生きます。」

「水がなかったら人は生きれないじゃないか。」

「水がなかったら無くても生まれてないか水がなくても生きられる生物になってたかのどちらかだけどとにかく私は水のある世界に水がないと生きていられない生物に生まれて文明の発展した今に生きてるんです、あたりまえに」

というと先生は不服そうな顔をした。

水を綺麗にする仕事をしている人が水を綺麗にするのは人々のためじゃない、紛れもなく自分だけのためにそうしているのだ。自分の生活とか、その他諸々の自分だけのために。

「まぁいいや、それでお母さんのことはどう?ちょっとは気が晴れた?」

「まだ…生前言われたこととか思い出しちゃって」

「なんていうかねぇ、愛さんはお母さんを信仰してるんだよ。母親だってそんな、愛さんが望んで求めるような完璧なものじゃないんだよ。」

信仰、という言葉が頭の中に残った。

「何かやりたいことはないの?」

「ハリウッドスターと恋に落ちてみたい…」

「そういう非現実的なことじゃなくてね…愛さんも冗談とか言うんだね」

ふざけてるんじゃない、だって私は生きているんだから、生きているんだからハリウッドスターと恋に落ちる可能性だってあるじゃないか。

「外国に行ってみたいんです、」

というと先生は

「あぁいいんじゃない、愛さんいいね、いい傾向だ。そう世界って広いんだよ」

外国だってこの世のうちだけど、外国に行ったってお母さんがいる訳じゃないのだけど私は生きているからどこにでも行ける、近所のコンビニでタバコを買うことも、偉大な哲学者になることももしかしたら出来るし、私の住むアパートからもっと果てまでいけるのだ。

先生に出会ってから私の世界を明るくなったように思う。

「この世は紛れもなく自分のためにあるんだからね、人生ってもっと大きく構えられるよ、世界っておかあさんよりずっと大きくて広いものなんだよ」


それでもわたしは母親の遺骨を破いたお札にふりかけて燃やすことがやめられなかった。お母さんと一緒に火を食べることが供養という感覚があった

よく知らずに買ったタバコはミントのフレーバーで喉に染みて苦しくなって、早く全て燃えカスになることを祈りながら私はタバコを吸った。幼い頃母親と花火をしたことを思い出した。お母さんと火を食べたあと、喉に残る匂いでいつもそれを思い出す。

それを先生に話すと、先生は

「愛さんって喫煙者だったんだ」

と言った。

「違います。」

「お母さんが喫煙者だったの?」

「違います。故人は火を食べるって、聞いたことがあったから…」

花火してるみたいだった、というと、精神科医は

「そんなの迷信だよ」

と眉間に皺を寄せながら言った。


「神なんていないし、亡くなった人は消えるだけ。…こんなこと言っててもし天国と地獄があったら僕は地獄に行くのかな」

「そしたら私が先生に蜘蛛の糸たらしてあげる」

というと、先生はいいねそれ、とまた言った。






タバコの煙が肺に入るのが苦しくてあたしはまたしても生きていると思えた。苦しいと思えるのは生きてる証拠、悲しいと思えるのは生きてる証拠。お葬式で泣かなかった妹は母親が死んでから同じように死んだようになっている。あんな人のどこがよかったの、とは聞けなかったけど。


生理になったので欠勤の連絡を入れなくてはならない。

生理の日のお風呂ってだるい。私の体からは生臭い匂いがした。生きた匂い、女の体が生きている匂いだと。私のマンコからは鮮血のいろした経血が流れ出てシャワーの水と混ざって排水溝に流れて行った。その直後にどろりとした血の塊が出ていく感覚がした。それと同時に私のお腹はズキズキと傷んでまたしても生きていると思えた。マンコから血が流れ出るのもお腹が痛くなるのも生きてる証拠。人は死んだら腐る、といった精神科医の言葉を思い出した。私は鮮烈に今生きていると思えた。古くなった子宮内膜が剥がれて私の細胞は同じように古い細胞から新しい細胞に生まれ変わっている。生きているから。日々生まれ変わっている私はいつかお母さんを私の中から死なせられるだろうか。お母さんはしろいすなになった。わたしは赤い液体を体の中に毎月飼い慣らしている。生きてる人は血の入った袋、死んだ人は白いすな。お母さんは今どこにいるんだろう。魂になってどこかにいるんだろうか。

タバコは吸うと頭と肺がくらくらするから好きになった。雨の日に河川敷で私は一人で火を食べた。風が煙を目に当てるから私はそれが染みてなんだか雨の中鼻水垂らしながら泣いてるみたいになった。心臓がドキドキドキドキして私はやっぱり生きていると思った。

私は次の日風邪を引いた。風邪をひくのは生きてる証拠。

河川敷でタバコを吸っていたら知らないおばさんが危ないわよ、というので、わたしは川の中でタバコを吸った。ひんやりした水が私の子宮を冷やしていった。タバコの灰は川の中にじゅうじゅう音を立てながら落ちていった。私は川の水が冷たくてなんだか物悲しくなって、タバコのミントフレーバーが喉にしみて、タバコの煙が風で目に入って、たくさん涙を流しながらタバコを吸った。私の涙も川の流れもタバコの火もお母さんの供養になるのだろうか。

死んだら私も白いすなになるの?私はお母さんの遺骨の灰を見ながらそう思った。

このままじゃキッチンのシンクがお墓になってしまう。それでも私はこの行為が辞められずにいた。私のタバコを吸い終わった口の中には、線香のような花火のような匂いが残って、供養、とかお墓とかそういう言葉ばかり連想してしまって、私はこうやって生きていくんだろうか。

「先生わたしは死んだら白い砂になるのかな」

「君はならないよ。愛さんはそうだな、天国に行けるよ」


「天国?先生、人は死んだら腐るだけ、じゃなかったの?」

「君が信じるならどこへでも行けるよ」

もし僕が地獄に落ちたら蜘蛛の糸を垂らしてもらわなきゃ行けないからね、と先生は言いました。


それから二年後のこと。私は留学をすることになった。二年前から語学学校に通い英語を勉強し、留学することにしたのだった。



「愛さん外国に行くの、じゃあ暫く会えなくなるね」

「先生また会おうね、天国か地獄か、それか生まれ変わったらまた会おうね…先生もしも私が死んだらお葬式に来てね」

白いすなになった私を見てその時先生は何を思うんだろう。


「お元気で。君は偉大な哲学者になれるよ」

先生はぶっきらぼうに短くそう言った。



私はお母さんの魂と生きることを選んだのだと。


今もお母さんは私の魂の中に生きてしまっています。


外国に行く日の朝、忘れかけていた遺骨をシンクに流してしまった。

ただの白いすなのようにさらさらと下水管に落ちていった。私は水道のノズルを上げてその上から水を流した。蛇口からはあたりまえに水が流れ出し、あたりまえに下水管に落ちていった。わたしはその絶え間ない様子をいつまでも眺めていた。


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