見出し画像

『伊賀者、推参』第一話

あらすじ

 天正九年(1581)。伊賀は、天下布武を掲げる織田四万の大軍に怒涛のごとく攻め込まれ、修羅場と化した。すべては伊賀忍びを忌み嫌う織田信長の意向である。伊賀勢も砦を築いてゲリラ的に抵抗するが、衆寡敵せず、無残に敗北する。
 城戸弥左衛門は、鉄砲術と遁走術を得意とする伊賀随一の忍びである。織田家への憎悪を募らせていた彼は、恨みを晴らす千載一遇の好機を得る。信長が、織田家の領地となった伊賀を視察に訪れるというのだ。
 印代判官と原田木三という凄腕の伊賀の仲間とともに森に潜み、弥左衛門は油断している信長を鉄砲で狙う。暗殺成功は目の前と思われたが──


本文

 緑の木々、豊かな草花。鬱蒼としているが、差し込む木漏れ日はまばゆい。 
 この森の情景には、畏怖と神々しさが同居していた。
 綺麗な泉が湧いており、一頭の若い女鹿がその水を飲んでいる。
「!」
 と、不穏な気配を察し、ビクッと頭をあげて耳を澄ます。
 迫りくる巨大な殺意──
 怯え、駆け去っていく。

 伊賀国、阿波村。
 森に面した場所に簡素な物見台がある。
「カーン! カーン! クヮーン!」
 年老いた野良着姿の男が叩き鳴らす半鐘の音は、まるで恐怖の悲鳴のように響きわたる。
 それを掻き消したのは、
「ドウォーーン」
 という地鳴りのような鬨の声。
 騎馬。
 侍。
 足軽。
 雑兵。
 森の中から溢れだした雲霞のごとき軍勢が、怒涛のように丘陵地を駆けおりてくる。
 掲げている軍旗には、織田木瓜の紋と〝天下布武〟の文字。

 ──天正九年九月。
 織田方総勢五万による、伊賀国への侵攻。いわゆる〈天正伊賀の乱〉である。

 あちこちで激しい戦闘が繰り広げられる。
 東部の荒地では、横列している織田の鉄砲隊がいっせいに発砲している。耳をつんざく雷のような銃声。
 発砲を終えた一列目の鉄砲隊が、後方で待機していた二列目の鉄砲隊と入れ替わる。訓練で磨かれた機敏な動作。
 鉄砲頭が采配を掲げて、
「狙いを定めえ―っ!」
 鉄砲足軽隊は火縄銃をいっせいに構える。
「放てぇ―っ!」
 再び、凄まじい一斉射撃。
 奇襲に失敗して敗走していた伊賀兵たちは、背中を撃たれてバタバタと倒れていく。

 織田方が欲しているのは、たんなる勝利ではない。此の国をすり潰すように蹂躙し、壊滅させたうえでの征服だ。
 そのためには、最新の兵器をも繰り出す。
 織田の陣に備えてある巨大な大砲が、凄まじい轟音とともに火を噴く。
 砲弾が塀に命中し、伊賀衆多数がたてこもる丘の上の寺院の一部を破壊する。
 もう一方の巨大大砲が、間をおかず凄まじい轟音とともに火を噴く。
 またも命中し、破砕して、屋根の半分が倒壊する。
 そこへさらに、弓隊が放った火矢が雨あられと降りそそぎ、寺院は激しい炎に包まれる。

 ──その頃。
 伊賀より北へおよそ十五里。安土城、評定の間にて。
 重臣二十名が、二列にわかれて対座している。緊迫した空気。軍評定の最中だ。
 上段に鎮座しているのは、総大将織田信長。
「ええい、手ぬるい!」
 信長はカリスマ的な威圧感を強烈に放ちながら、吠えるように指示する。「闇夜を跋扈し、卑怯を宗とする魔性の一族に合戦の作法なぞ無用じゃ!」  
 さらに激しい嫌悪の情をむきだしにして、
「根を断て! 葉を枯らせ! 彼の地に生ける者は、たとえ女子供といえども容赦なく斬り捨てよ!」

 再び伊賀。
 中央に田畑が広がっており、周囲には転々と民家がある。実に素朴な典型的な伊賀の農村である。
 だが今は、織田勢の一方的な襲撃により修羅場と化している。
 織田勢は隊列を組まず、兵士各々が好き勝手に凄惨な殺戮を繰り返している。村人たちは恐慌状態に陥り、ただ逃げ惑うばかりだ。
 民家の陰では、若い娘が織田兵たちに着物を剥ぎ取られ、強姦されようとしている。
 畑では、幼子を抱いている女が槍を構えて追ってくる織田兵から必死で逃げている。だがつまづいて転び、背後から織田兵に槍で一突きにされる。その切っ先は胴体を貫通したらしく、泣きわめく幼子をも無惨に沈黙させる。

 伊賀西端、大和との国境付近。
 伊賀音羽の村民およそ三十名が、林の中を懸命に走り逃げている。皆、必死の形相。大半が女子供老人などの非戦闘員か、怪我人または脆弱といった戦闘に不向きな男たちである。
 集団から少し遅れた位置で殿しんがりをつとめているのは、城戸弥左衛門きどやざえもんとその弟分である五郎ごろう
 後方から、二騎の騎馬武者を先頭に、五十もの織田勢が猛然と迫ってくる。
 弥左衛門と五郎にむかって矢がひっきりなしに飛んでくるが、放つ側も放たれる側も疾走しているせいで狙いが定まらず、命中にはいたらない。弥左衛門は冷静だが、十六歳の若輩である五郎はあからさまに恐怖で震えている。
「五郎、菱じゃ!」
「しょ、承知!」
 二人は走りながら腰に下げている竹筒の蓋を外し、逆さに傾ける。中から鉄製の撒き菱がボロボロと落ちてきて、地面にばら撒かれる。
 織田勢の先頭集団は、まんまと撒き菱を踏んで痛みでのたうち回る。
 弥左衛門はサッと振り返って立ち止まると、すばやく手にしている火縄銃の狙いを定めて発砲する。
 馬の片耳が見事に撃ち抜かれ、一方の騎馬武者はいななく馬とともに横倒しとなる。
「天下の織田勢なぞ、かほどのものか!」
 弥左衛門は、大声で笑い吠える。 

 音羽の村民たちの先頭を走っているのは、御歳七十になる長老の才蔵爺さいぞうじいである。さすがにゼイゼイと息が苦しそうだ。
 前方に古びた吊り橋が見えてくると、振り返って村民たちに大声で指示する。
「急げ! 橋をわたるんじゃ!」 
 才蔵爺に続いて、村民たちも次々と吊り橋を駆けわたっていく。下は、深い谷底になっている。
 織田勢はすぐそこまで迫っている。
 最後尾である弥左衛門は、自分がわたりきるとすぐさま火縄銃を投げすて、腰の脇差を抜いて、吊り橋の縄をバスバスと切り落としていく。五郎はかたわらで、その様子をオロオロと眺めているだけ。
 先頭の織田兵は吊り橋の中央近くまで迫っていたが、血相を変えて引き返す。
「よし!」
 吊り橋は切断され、谷底にむかって派手に垂れ落ちていく。
 先頭の織田兵は間一髪でむこう岸にたどり着き、命を拾う。
 これ以上はどうすることもできず、織田勢はむこう岸で指をくわえてこちらを睨んでいるだけ。騎馬武者は部下たちに下知し、すごすごと退却していく。
「さらばじゃ!」
 弥左衛門は愉快そうに手を振りながら見送る。
「よくやったぞ、五郎。大働きじゃ」
 五郎は力なくうなずく。安堵しすぎて全身から力が抜けてしまっているらしい。
「行くぞ。大和の地はもう目の前じゃ」
 五郎はまたうなずき、おぼつかない足取りで林の中の道に駆け入って村民たちの後を追う。
 一人になった弥左衛門は、振り返って眼前に広がる光景を見つめる。
 崖上にあるこの場所からは伊賀の里全域を眺望できるが、いたるところから黒煙がもうもうと上がっている。そのせいで、空が鉛色に濁るほどに。「これも時勢か…」
 諦観を込めてつぶやく。

 *

 朝山。
 大和の地にある、奥深い山々のうちの一つ。
 竹林が辺り一面に広がっており、外部からは獣道さえ見あたらない。
 それ故に、追手の目を逃れて隠れ住むには、ここほど絶好の地はなかった。 
 山の頂には、隠れ集落が形成されていた。
 小さな古い民家が一つと、あとはにわか作りの簡易な竪穴式住居がいくつか。
 わびしく質素でありながら、生き残った音羽の村民たちは、この地で新たな生活を営んでいた。 

 弥弥左衛門が集めた柴を背負って集落にもどってくる。
 才蔵爺は、孫の五郎を使って縄張りを行っている。新たに掘立て式の民家を設けるための準備作業だ。
 弥左衛門は立ち止まり、
「才蔵爺、小さいが泉を見つけた。沢よりここから近い」
「腹は下さぬか?」
「良い水じゃ。それと北のほうに猪の通り道があった。みなに旨い鍋を食わせてやれるぞ」
「弥左殿、わしもお供をさせてください」
「承知した。五郎、おぬしは追いたて役じゃ(笑)」
 そこへ四、五人の童たちが、弥左衛門を慕ってわらわらと寄ってくる。
「弥左さま、おなかへったー」
「またか。ほら、これでもみなで食え」
 懐から丸薬のようなものを取り出してわけあたえる。童たちは、クチャクチャとおいしそうに頬張る。
「弥左さま、手裏剣の打ち方おしえて!」
「ああ、そのうち稽古をつけてやる」
「あ、ヤマドリ!」
 童たちは、騒ぎながら駆け去っていく。
 弥左衛門も立ち去ろうとするが、五つくらいの男の子が一人だけそばに残っている。
「弥左さま、とと様は?」
「ん?」
「父様はいつ帰ってくるの?」
「おぬしの父は勇ましう戦って戦場いくさばで死んだのじゃ。おぬしや里を守ろうとしてな。だからもう帰ってはこぬ。往生してあの世におるのじゃ」
「じゃあわしも〝あの世〟に行く!」
 その無邪気な物言いに嘆息し、
「いかん。童は行ってはならんところじゃ」
「弥左衛門」
 耳慣れた声で名を呼ばれ、ハッとして振り返る。
 少し離れた場所に、深網笠をかぶった地侍姿の二人の男が立っている。手足が異様に長い痩身の者と、岩を思わせる巨躯の者だ。
 二人は深網笠をとって顔を見せる。
「判官! 木三! 無事であったか!」
 弥左衛門は嬉しそうに二人を出迎える。
「もっともおぬしらが、織田兵なぞに不覚をとるはずはなかろうがの」

 五郎は縄張り作業の手を止めて、弥左衛門たちのほうを不可解そうに眺めている。
「あの二人、どうやってここまで…」
 音羽村の者以外が、この集落にまでたどり着けるはずはないのに。
 しかも予期せぬ来訪者たちは、そこにいるだけで只者ではない不穏な空気を放っている。
「五郎は初めてか。あれが印代判官いんだいほうがん原田木三はらだもくぞうじゃ」
 才蔵爺も手を止めて、二人の姿を見つめている。
「あれが、弥左殿の下忍の…!」
 五郎は畏敬の声を上げる。弥左衛門を頭とする伊賀三人衆の輝かしい功績の数々は、幼い頃からなんども聞かされていたのだ。そのたびに幼い五郎少年は、胸を高鳴らせたものだった。
「あの三人が寄れば天下無敵じゃが、今さら何用じゃ?」
 才蔵爺は首をひねって訝しんでいる。

「伊賀は降伏した。織田家の分国になり下がった」
 判官がそっけなく報告する。だが骨に直接皮が張りついているような髑髏のごとき面相には、陰鬱な憎悪の念が静かに浮かんでいる。
 対照的に、木三は己の情を隠さない。怒りのあまり、全身をブルブルと震わせながら、
「暴虐非道の限りを尽くされ、里を焼き尽くされておきながら…! 腰抜けの頭衆どもめ!」
「そうか…」
 弥左衛門は落胆しない。敗北は時間の問題だったからだ。
「もはや関わりなきこと。わしらはこの地で一からやりなおすだけじゃ」
 判官は決然と、
「非道な織田家に一矢報い、伊賀の無念を晴らさねばならん」
「かような山奥に引っ込んでおる時ではないぞ!」
 弥左衛門もこの戦で、数多くの同胞を失った。その中には、まだ幼い年頃だった血を分けた弟妹も含まれている。二人の言葉は、ずっと弥左衛門が抑えていた怒りの感情を一気に爆発させた。
「どうせよというのじゃっ! 天下を覆わんとする織田家を相手に! 里に居座っておる織田兵どもでも誅殺していくかっ!?」
「雑魚どもを屠っても詮なきことじゃ」
「手立てがある。おぬしの力が必要じゃ」
 判官が、弥左衛門の耳元で何事か伝える。
 弥左衛門は雷に打たれたような表情。
 判官と木三の顔を覗き込み、
「二日後に…まことか!?」
「確かじゃ」
 判官がうなずく。
 弥左衛門は湧き上がる興奮を抑えることができないまま、重大な思案を巡らしていく。
 やがて口元に高揚とした笑みを浮かべる。

 *

 伊賀。
 田園地帯。
 織田家の旗印が掲げられた、大規模な武者行列が進んでいる。
 隊列の真ん中あたりに、巨漢の男たちに担がれた華麗な黒漆塗りの駕籠が見える。
 内側から小窓が開かれ、信長が顔を見せる。
 外の景色を眺めながら、
「駕籠は息苦しくていかん」
 むしろ機嫌が良さそうにつぶやく。

 小城の建造工事が行なわれている。まだ石垣作りが始まったばかりのようだ。
 数十人の人夫は、すべて伊賀の男たちである。誰もが過酷な労働に疲労困憊している。
 大石を乗せたシュラ(運搬用のソリ)の綱を、人夫たちが懸命に引っ張っている。だが大石はわずかずつしか動かない。
 現場を監督している普請奉行は織田の武士である。
「もっと腹の底から力を込めろ! 日が暮れてしまうわっ!」
 人夫たちにむかって尊大に怒鳴り散らす。
 そのとき、遠くの田園地帯を武者行列が進んでいる光景に気づく。
「おお、上様が伊賀見物に参られたか」
 普請奉行は畏敬の念を込めて頭を下げる。    

 南宮山頂。
 大勢の従士たちが警固のために配置されている。物々しい雰囲気。
 伊賀統治を任されている脇坂安治わきさかやすはるの姿もあり、周囲を警戒している。
 眺望にもっとも適した場所に、豪奢な御座が設けられている。
 そこに着座しているのは信長である。
 御座のそばには、森乱丸をはじめとする小姓衆と馬廻り衆、合わせて七、八人が控えている。
 信長は、目の前に広がっている景色を悠然と望んでいる。
「伊賀を〝秘蔵の国〟とはよく申したものじゃ」
 緑に覆われた里は、終戦直後とは思えぬ美しさだ。
「あやつら山猿にはすぎたるものよ」
 口元に傲然たる笑みを浮かべる。   

 南宮山の麓に広がる森の中で、弥左衛門は飛ぶように歩き進んでいる。木三と判官が、その後に続く。
 三人とも、近づきがたいほどの緊迫した雰囲気。毛皮の半纏を身にまとい、猟師に化けている。それぞれ火縄銃を長刀のように背負っている。
 やがて三人は森の浅いところで立ち止まり、木の幹を陰にして潜む。
 森の外には野原が広がっており、その先には敢国あえくに神社が見える。建物は半焼してしまっているが、それでも霊的な威厳に満ちた神社である。
 三人が注視しているのは、その敢国神社の前を横切る道である。
「織田の行列は、必ずあの道を通る。信長を乗せた駕籠も一目でわかろう」
 判官が静かに作戦の内容を確認する。
「距離は一町に少し足らずか…」
 弥左衛門は背中の火縄銃を抜きとり、
「この大鉄砲ならば的の内じゃ」
 両手にずっしりと持つ。銃身が通常のものより一・五倍ほどもある。 

 それから一刻半が過ぎた頃──
「見えたぞ!」
 判官の声に、弥左衛門と木三もハッと顔を上げる。
 敢国神社の前を横切る道に、南宮山麓の坂道を下りきった織田家の隊列の先頭が姿をあらわす。騎馬で先導しているのは脇坂だ。
 弥左衛門は左手を振って、
「よし、備えろ!」
 三人は機敏に配置につく。
 弥左衛門を真ん中に、約五メートル間隔で三人が横に並ぶ格好。
 それぞれ点火済みの火縄銃を構え、狙いをさだめていく。
 だが弥左衛門はすぐにターゲットの異変に気づき、
「ん? 何をしとるんじゃ?」  

 織田の隊列の前半分が、敢国神社の前で立ち止まっている。信長の駕籠はまだ姿を現していない。
 脇坂が従士たちに下知している。
「一同、見張りにつけ!」
 従士たちは、神社周辺のそれぞれの持ち場へすばやく散っていく。
 そのうちの四人は、森にむかってまっすぐ駆けてくる。 

「いかん…!」
 弥左衛門と木三と判官は危険を察知し、顔を見合わせる。
 森の中にわけ入ってきた従士たちは、立ち止まることなく、周囲を油断なく観察する。
 やがて従士たちは安全確認に満足したらしく、森から駆け去っていく。
 弥左衛門は、たった今まで駆けまわっていた従士の頭上の木の上からすべり下りてくる。
 木三と判官も、それぞれ別の木の上に身を隠しており、静かに下りてくる。
「さすがに用心深いな」
 弥左衛門はふたたび敢国神社のほうに目をもどし、そして息を飲む。 

 敢国神社の目の前の道で、床机に腰掛けた信長が、のんびりと周囲の景色を眺めているのだ。さっきまで乗っていたであろう黒漆塗りの駕籠が、すぐそばに下ろしてある。
 小姓の一人は朱色の大きな唐傘を開いて、日除けのために信長の頭上に差しかける。
 景色見物の邪魔になるからであろう、森乱丸をはじめとする残りの小姓衆と馬廻り衆は、信長の背後に立っている。そのため、床机に腰掛けている信長の姿は、距離があるものの丸見えになっている。

「駕籠の中より狙いやすうなったな」
 判官が冷静につぶやく。
「大うつけめ! あれは格好の的じゃ!」
「天がわれらに味方してくれたのじゃ!」
 予期せぬ幸運に、弥左衛門も木三も色めき立つ。
「よし、おのおの狙いを定めろ」
 弥左衛門の指示で、再びそれぞれの配置につく。
「申し合わせたとおり、まずわしが放つ。それを合図におぬしらがとどめを刺してくれ」
 木三と判官は無言でうなづく。いやがおうにも緊張感が高まってくる。
 火蓋を開き、三人は火縄銃の狙いをさだめていく。
 三本の筒先が横一列に並ぶ。
 信長とその家臣たちに特に動きはない。床机に腰掛けている信長は、あいかわらず景色を眺めている。
 獲物を狙う鷹のような弥左衛門の目が、ギラリと鋭く光る。
 そして引き金に掛けている指に力を込め、発砲する。
 放った弾丸は、信長の頭上をすれすれで越え、日除けの唐傘の柄に当たってしまう。柄はボキリと折れ、唐傘は前向きに倒れ始める。
 木三と判官は、ほぼ同時に発砲する。
 前向きに倒れてきた唐傘が、信長の姿を覆い隠している。木三と判官の弾丸が、唐傘を突き破って二つの穴を開ける。そのまま唐傘は地面に倒れ落ち、横に転がる。
 再び信長の姿があらわれる。床机に腰掛けたまま、顔を伏せた格好。
 弥左衛門と木三と判官は、息を飲んで狙撃の結果を見つめている。
 信長は伏せていた顔を、ゆっくりと起こしていく。
 恐れやおののき、苦痛の表情は微塵も浮かべていない。
 信長の背後に立っていた小姓のうちの二人は、それぞれ脚に流れ弾を喰らったらしく、続けざまにくずおれる。信じがたいことに、弾は二発とも逸れたのだ。
 他の小姓衆と馬廻り衆は、すばやく信長の周りに円陣を組んで盾となる。

「仕損じたか…」
 判官が無念の声を漏らす。
「馬鹿な…!」
 弥左衛門は我が目を疑い、呆然自失する。
 信長のもとへ、血相を変えた脇坂が飛んでくる。
 信長はすっくと立ち上がって脇坂に何事か指示してから、腰の脇差を抜いて弥左衛門たちがいる方向を正確に切っ先で指し示す。
 弥左衛門は、こちらをまっすぐ睨んでいる信長の強い視線に囚われ、目が離せない。信長の目は冷酷な虐殺者のものだ。
 しだいに悔しさがこみあげてきて、弥左衛門は奥歯が削れるような歯軋りをする。
 脇坂にわめき散らされた従士たちが、刀や弓を手にして、全速力で森にむかって駆けてくる。その数およそ二十。
「弥左っ!」
 と判官。
退く!」
 弥左衛門はすぐさま森の奥にむかって駆け出し、木三と判官もそれに続く。

 南宮山より北へ十里。
 林の中にまぎれるように、板ぶき屋根の質素な民家がある。
 家内では、宮田長兵衛みやたちょうべえとその妻の菊が囲炉裏で食事をしている。
 ポソポソと慎ましく食べる小柄な長兵衛にくらべ、菊の食欲と目方は夫の二倍はあるようだ。
 突然、ガラッと木戸が開けられ、弥左衛門と木三と判官が土間に乱入してくる。
「長兵衛! 化け用の装束を借してくれ!」
 開口一番、弥左衛門の下知が飛ぶ。
「あと水じゃ!」
 狙撃失敗の退却から、今の今まで走り詰めだったのだ。
「弥左衛門さま、何事ですか!?」 
「訳は申せぬ。急いでくれ!」
「は、はい!」
 わけもわからぬままに立ち上がり、長兵衛は部屋の片隅にある長櫃ながびつの蓋をとる。彼は、物聞きに使っている弥左衛門の下忍であった。
「菊殿、騒がせてすまぬな。こたびのことはくれぐれも他言無用に願う」
 菊は無言のまま、露骨に迷惑そうな視線をジトッと弥左衛門にむけている。夫を手伝おうともせず、デンと座ったまま。
 長兵衛は従順に命令を実行している。長櫃の中から次々と衣装を取り出して、床に並べていく。
 
 脇坂の屋敷。
 伊賀の名族から接収したもので、立派な造りである。
 その奥の間。
 脇坂は上段に座り、憤懣やるかたないといった剣幕で、
「ええい、まだ搦め捕れぬのか!」
「ははっ、申しわけございません」
「ぐずぐずしとるから、上様はもう安土に帰られたではないか!」
 傍らの直臣は、おずおずと顔を上げ、
「国境をかため、昼夜を問わず大がかりな山狩りをしておりますが…まるで煙のごとく影も形も……」
 脇坂は正面に顔をむける。
 頭衆筆頭の滝野吉政と、同じく頭衆の小泉左京、家善上総がかしこまっている。
「あの鉄砲礫てっぽうつぶて、そちら伊賀者の仕業であろう!」
 滝野は額を畳に擦りつけんばかりにぺこぺこと平伏し、
「滅相もございません。伊賀の民はわれら頭衆から幼子にいたるまで、織田家に忠節を尽くしております。おそれながら、信長さまのお命を頂戴せんと欲するふとどき者は他国に大勢おりまする。こたびのことは、そやつらがわれら伊賀衆に罪を着せんとしての卑怯なるはかりごとかと…」
「神仏に誓って、伊賀者の仕業でないと申せるか!」
 滝野は大慌てで、
「もし万が一伊賀の輩であっても、それは思慮分別のつかぬ跳ねっかえりが勝手におよんだこと。われら頭衆の下知とは一切関わりはございませぬ」
「ええいっ!」
 脇坂は、判断しようがなく、さらに苛つく。
「断じてあの刺客を逃してはならぬ! 捕らえた者、密訴した者には金子を与える!」

 朝山。
 民家の庭に、五郎があわただしく駆け込んでくる。
 その物音を聞きつけ、家内から才蔵爺が飛び出してくる。
「して首尾のほどはっ!?」
 五郎は悔しそうに、
「天運に恵まれず! 信長誅殺は失敗にございます!」
 才蔵爺は目に見えて落胆する。
「何故じゃ。何故天はわれらに味方してくれぬのじゃ…!」
 力なく顔をあげ、
「こたびのことは、村の者らに話さぬほうがよいじゃろう。それで弥左衛門はどこに?」
「御無事でございます」
「一緒ではないのか? 一刻も早う身を隠さんと…」
「さような手筈てはずでございましたが…」
 言い淀んで、
「弥左殿は安土へむかわれました」
「安土へ!? よりによって何故じゃ!?」
 才蔵爺はわけがわからず狼狽する。
 五郎も首をひねって、
「さあ、ただ安土へむかうとだけ……」

 *

 近江。
 伊賀との国境付近にある隠し道。
 弥左衛門と木三と判官は、山伏姿で山中の難路を進んでいる。
 やがて、前方の景色が開けてくる。
「見えたぞ」
 弥左衛門が指差す先に、安土城が小さく見える。                    

 安土の城下町は、活気に満ちた大都市だった。
 中でも大通りは大変なにぎわいで、整備された道路に沿ってさまざまな店が軒を連ね、商品を積んだ荷車が盛んに行き交っている。
「また人が増えとるな、この町は」
 大通りを歩いてきた弥左衛門は、ある店の前で立ち止まる。
 正面口の暖簾に染め抜かれた〝河井屋〟の文字。
 弥左衛門は暖簾をくぐって店内に入る。
「ごめん」
 河井甚助かわいじんすけは、帳場机で帳面をめくっている。いかにも生真面目な商人といった雰囲気の四十歳すぎの男だ。
 甚助は顔を上げて、
「ご用件は? どのような薬をご所望でございますか?」
 壁際には、大きな薬棚が設置してある。
「甚助、息災そうでなによりじゃ」
 ハッと気がついて、
「弥左衛門殿! ご無事でしたか」
「ああ、見てのとおりじゃ」
 甚助は急いで立ち上がり、片足を引きずりながら土間におりてくる。
「お気をつけください。弥左衛門殿の首に金子が掛かった旨は、すでにここ安土はもちろん、他国へも流れておりまする。目の色を変えておる輩も少なくないようで」
「さすがに早耳じゃな」
「わたしができるのは、かようなことくらいでございますから…」 
 情けなさそうに嘆く。
「それがそなたの務めであろう」
 甚助は薬屋に身をやつした、伊賀の情報収集係だった。 
 そこへ奥から、雛菊を思わせる可憐な少女が姿を現す。
 弥左衛門は警戒して口をつぐむ。
 少女は弥左衛門の姿に気づくと、丁寧にお辞儀をする。
「御安心ください、娘の小桜こざくらにございます」
 弥左衛門は目を見張り、
「お手玉遊びをしてやった、あの女童めわらべか?」
「十三になりました。弥左衛門様、お懐かしゅうございます」
 まだあどけなさの残る顔で微笑む。
「わしも年を取るわけだ。甚助、一つ頼みがある」
「はい、何なりと。この老いぼれ、命に代えましても」
「大したことではない。上等の着物と宿を貸してくれるだけでよい。伊賀の無念はわしが晴らしてやる」


備考

本作は、〝伊賀の忍び城戸弥左衛門が、天下人織田信長の暗殺を謀った〟という伝承(『伊乱記』『伊賀旧考』『城戸文書』等)を元に、そこへ信憑性のある形でフィクションの要素を加えて構成した物語です。




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?