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『伊賀者、推参』第二話

本文
      
 琵琶湖畔にそびえる巨大な山城、安土城。
 七重の天主閣はダイナミックな造形美に溢れ、天上界を思わせる絢爛豪華さだ。
 その姿が映り込んでいる静かな湖面は、さながら美しい絵画のよう。
 そこに、一艘の舟が浮かんでいる。
 舟上で円座を組んでいるのは、弥左衛門と木三と判官の三人衆。
 木三は急かすように、
「弥左よ、敵の膝元…いや胸元にまで飛び込んだぞ。さあ妙案とやらを話してくれ」
 弥左衛門は安土城をチラッと仰ぎ見てから、
「むろん、あの城に入る」
 木三と判官は困惑の表情。
「わかっておるのか? あれはこれまで、ただの一人とて忍び入りを許しておらぬ恐ろしい城なのじゃぞ」
 天主閣の天辺を指差し、
「しかも信長は、あの最上階で寝起きしとるという話じゃ」
「ああ、そうらしいな」
「それのみならず。城内の番衆には、かなりの数の甲賀衆が入っておる」
 木三は怒り心頭し、拳の腹で舟床を思い切り叩く。衝撃で舟がグラグラと揺れる。
「伊賀と甲賀は古より兄弟同然! それを甲賀衆め! 命惜しさと禄欲しさに怨敵信長の手下に成り下がるとは!」
「天狗か仙人でもないかぎり、とうてい忍び入りは無理じゃ」
 と判官。
 弥左衛門は、今にもいやらしい笑顔を作りそうな含みのある表情をしている。
「ある術を使う」
 木三は子供のように興奮し、
「なんじゃ? どの術じゃ?」
「おぬしら、一番初めに習うた忍び歌を覚えておるか? ガキの頃、才蔵爺からよう聞かされたじゃろう」
 木三と判官は意味を図りかねて顔を見合わせる。
 木三は仕方なく忍び歌を口にする。
「忍びには習いの道は多けれど──」
 それに判官が続く。
「まず第一は──」
「敵に近づけ」
 最後は弥左衛門が締めくくる。                     

 安土城、最上階。
 豪華絢爛さと品格を兼ね備えた部屋である。壁と天井には金箔がほどこされ、床、柱、天井格子は黒漆塗りである。黄金の壁には、道教や儒教をモチーフにした絵画が描かれている。大きな置時計やオルガン、地球儀などの珍しい西洋の品もある。
 ベランダがあり、信長が傲然と立って外を眺めている。
 壮大な景色が眼下に広がっており、誇らしげな笑みを浮かべている。
 そこへ乱丸が階段をのぼって来て、
「上様」 
 信長は振りむき、
「何用じゃ」
石川三平いしかわさんぺいと名のる伊賀侍が、お目通りを願い出ておりますが」
「なに?」
 不快感を露わにし、
「なにゆえ伊賀者なぞをわざわざ取り次いだ?」
「上様のお命を狙いし刺客の正体と居所を存じていると申しております」
「ほう…」
 初めて関心を示す。                      

 本丸御殿の庭では、番士らがものものしく立っている。
 庭に面している座敷には、信長が座して待っている。
「なにゆえ上様は、あれほど忌み嫌っておる伊賀者なんぞにお目通りを許されたのじゃ?」
 番士たちは不思議そうに首をひねる。
「おい!」
 その人物に気づき、ハッと目を疑うような表情になる。
 姿をあらわした〝石川三平〟が、番士たちの目の前を通り過ぎる。
 優雅で洗練された服装。美しく颯爽とした足の運び。
 庭にいる誰もが、彼の姿に見惚れる。
 信長も感心し、目を見張っている。
〝石川三平〟を偽称する弥左衛門は、まるで別人のような高貴な雰囲気をたたえていた。
 番士の中には、信長直属の忍び集団の頭である、伴太郎左衛門ばんたろうざえもんの姿も紛れている。甲賀忍びの達者として名高い男だ。
 右手には棒手裏剣を隠し持ち、緊急時にはいつでも打ち放てるように構えている。
 だが弥左衛門は微笑みさえ浮かべて、はっきりと太郎左衛門だけに目礼し、目の前を通りすぎる。
「!」
 ギョッとなる太郎左衛門。
 弥左衛門は信長の御前で立ち止まり、それから由緒正しき作法でひざまずく。信長との距離は一五メートルほどである。
「お初にお目にかかります。伊賀の地侍、石川三平にございます。目通りお許しくださり、恐悦至極に存じます」
 宮中の公家を思わせるきれいな所作で頭を下げ、
「こたびの伊賀平定、まことにおめでとうございます。伊賀衆の一人として、厚く御礼申し上げまする。治世乱れきっていた伊賀の国も、織田様のお力によってようやく安泰となりましょう」
 微塵も心にないことを、抜け抜けと平気で口にする。
 信長は満足そうにうなずき、
「そちは、わしの命を狙いし凶徒を存じておるらしいの?」
「はっ、大鉄砲にて天下様に撃ちかけるような不逞の輩は、この世に一人しかおりませぬ。その男の名は──」
 太郎左衛門は弥左衛門を注視し、耳を澄ませる。
「伊賀の城戸弥左衛門に相違ございません」
 微塵の曇りもなく力強く訴える。
「なんと…!」
 思わず声を漏らす太郎左衛門。
「城戸は忍術の腕前こそ達者にございますが、こたびの凶行が示すとおり、めっぽう性根が悪うございます」
 信長のそばには、刀を手にした乱丸が控えている。
 弥左衛門は悟られぬように乱丸を注視し、年に似合わぬその鋭い視線を確認する。
「無知無学で大喰らい、色事にうつつをぬかす、わがまま勝手な恥知らずでございまして」
 嬉々として自虐的な説明をする。
「そちは居場所も存じておるらしいの。申してみよ」
「あやつは遁走術を得手としてございます。追っ手と悟れば煙のごとく姿をくらましてしまいましょう」
 弥左衛門と信長のあいだの両脇には、もしものときのために侍が一名ずつ控えている。
 弥左衛門は悟られぬようにすばやく視線を左右に動かし、二人とも屈強で隙のないことを確認する。
「伊賀者には伊賀者を。この段、わたくしめにお任せいただけませんでしょうか?」
 自信に満ちた瞳で信長を見上げ、
「必ずや城戸弥左衛門を召し捕らえ、この場に引っ立てて参りましょう」
 信長は弥左衛門に鋭い視線を送っているが、その目は愉快そうな色をたたえている。
「よかろう。褒美は望みのままじゃ」
「ははっ!」
 感謝の意を込めてひれ伏す。
「では、これにて」
 流れるような動作で立ち上がる。
 そして登場したときと同様に、優雅かつ颯爽とした雰囲気で去っていく。
 信長はその背中を惚れ惚れと見送りながら、
「良き男なり」
 素直な感想を口にする。

 *

 近江の街道。
 弥左衛門と木三が連れ立って歩いている。弥左衛門は地侍に、木三はその中間に変装して。
 二人の百メートルほど後ろを、行商人姿の男がぴったりついてきている。その視線は鋭く、前を行く二人のことを油断なく監視している。太郎左衛門配下の甲賀者だ。
 やがて弥左衛門と木三は越前にまでいたり、寂れた河原を歩く。
 そのうち、ポツンと立っている粗末な小屋が見えてくる。
「あそこじゃ、〝城戸弥左衛門〟が隠れておるのは」                     

 甲賀者は朽ち果てた舟の陰に身を伏せ、弥左衛門と木三を見張っている。
 二人は小屋の前で臨戦態勢となる。弥左衛門は腰の刀を抜き、木三は肩に掛けていた六尺棒から荷袋をはずす。
「いくぞ」
 木三が垂らしてある出入り口の簾を勢いよく跳ねのけると、二人は猛然と突入する。
 小屋の中に入ると、二人はすぐに芝居をやめて、構えていた武器をおろす。
「待たせて悪かったな、〝城戸弥左衛門〟殿」
 判官は、茶など飲みながらゆるりとしている。
「おぬしらだけか?」
「いや、安土山の犬も一匹ついてきておる」
「そうか、ならば少しばかり抗ったふりをするか」
 立ち上がって腰の脇差を抜き、左腕を自ら斬りつけて薄手を負わせる。
 さらに躊躇することなく勢いよく前方に倒れ込み、顔面をムシロを敷いた地面に叩きつける。
 起き上がると、顔の左半分に見事な青胆ができている。
 判官は平然として、
「こんなものか?」
「ああ、十分じゃ」
 むしろ弥左衛門のほうが、痛々しそうに顔をしかめている。
 小屋の中から出てきた判官は、後ろ手にされて上半身を執拗に縄で縛られている。縄の先は弥左衛門が握っている。
 弥左衛門と木三が、〝城戸弥左衛門〟役の判官を引っ立てていく格好だ。
「観念しろ、城戸弥左衛門! ここまでじゃ!」
「伊賀の面汚しめ!」
 隠れて見張っている甲賀者に見せつけるため、ことさら大声で罵倒する。                    

 木三が櫓を操る舟が、琵琶湖を漕ぎ進んでいく。
 弥左衛門と判官は舟床に腰を下ろしている。判官は縛られたままだ。
 木三は後方の様子を探り、
「甲賀者の舟、見えなくなったな」
「安土はもうそこだ。報せに急いだのじゃろう」
 と判官。
 弥左衛門は、木三と判官の顔を順に見つめ、
「このまま安土の城へむかうぞ。覚悟はよいな?」
 二人ともうなずく。無言の中に、燃え盛る執念がこもっている。


 

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