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反抗心の対処と応用

 中学生の頃、よくわからない校則があった。それは「ラインの入った靴下を履いて来てはいけない」というものである。体育祭の練習期間中に履いてくると最悪で、ばれると自分が所属しているブロックの点数が本番でとった点数から1点引かれ、ブロック全員の前で謝らされるのだ。いわゆる連帯責任というものである。今でいう「ブラック校則」というやつなのかもしれないものかもしれないし、何か正当な理由があったのかもしれない。現在でこそよくあることだということが分かったが、当時の僕たちには理不尽で、中学生の反骨心を刺激するのには十分だった。

 毎年体育祭の時期になると靴下が原因で減点されるという事態は各ブロック何回もあった。大体全ブロック同じくらい減点されるので体育祭当日はあまりハンデがつかず、結局トントンになるので減点制度自体に大した意味はなかった。しかし、やはりみんなの前で謝らされる事は嫌で、先輩から恨みを買うのも嫌なので体育祭期間中はこの違反が明らかに減っていた。
 体育祭期間が終わると意味もないのに皆こぞって靴下の校則違反を続けた。「減点されることも謝らされることもないのならルールを破ってやろう」なぜか皆そんな心持で反抗心を燃やしているようだった。

 そんな中、当時の僕はこの状況に疑問を持った、この校則がある意味も分からないし、わざわざ破る意味も分からない。むしろ、こんな校則ない方がみんな無地の靴下を履いてくるんじゃないだろうかとも思った。この理不尽にみえる束縛こそが反抗心の燃料になっているのだと考え、この校則の存在理由を考えるとある一つの仮説を思いついた。

 「こんなにみんなが反抗心を燃えしているということはつまり、『反抗心を燃やさせることが目的』なのではないだろうか、つまり、『中学生のうちに理不尽なものごとに対する適切な対処を考えさせること』が狙いなのではないか?靴下の柄なんてどうでも良いことを制限することで『ローリスクで要領のよい理不尽との立ち回り方を覚えさせることが出来る』と考えているのではないだろうか!?」

 この仮説を思いついたとき、例にもれず中学生特有の反骨精神に満ち溢れていた僕は「学校の思惑通りになってたまるか」という気持ちになった。僕は周りのラインの入った靴下を履いてきている同級生たちを見ながら思った。「お前らこそ校則の掌の上で転がされているのだ」と。僕こそが誰よりも反逆者なのだ、学校の校則をただ守って無地を履いてくるいい子ちゃんでも、学校の思惑に踊らされる道化でもなく、全てを知ってその上でどうするか選択することができる僕こそ反骨心の頂点なのだと考え…

 



僕は3年間、ワンポイントの靴下を履き続けた。




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