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英詩: トマス・ハーディ 『偶然』

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偶然

もし復讐の神が天から私に声をかけて
嘲笑うことあるとするならこうだ、「汝、惨めなもの、
お前の悲痛が私の愉悦であると知れ、
お前の悲恋は私の憎悪の報償であると!」

それなら私はそれを受けとめて歯を食いしばり死んでいこう、
報われることのない憤怒の感触を励みにして。
私を罰することに決め、私を涙に暮れさせてきたのは
私よりも強大な存在であったことに私はいくらかの安らぎを覚えよう。

けれどそうではなかった。どのように私の喜びは摘み取られてきたか、
なぜ私の播いた最上の希望は芽吹かずに枯れ果てたのか、
—無神経な災厄は太陽と雨をさえぎり、
時は戯れにさいころを転がす…..
この半盲の宿命の売人は苦渋に塗れた私の
人生の道にいともたやすく祝福を振りまいたこともあったのだ。

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Hap

If but some vengeful god would call to me
From up the sky, and laugh: “Thou suffering thing,
Know that thy sorrow is my ecstasy,
That thy love's loss is my hate's profiting!”

Then would I bear it, clench myself, and die,
Steeled by the sense of ire unmerited;
Half-eased in that a Powerfuller than I
Had willed and meted me the tears I shed.

But not so. How arrives it joy lies slain,
And why unblooms the best hope ever sown?
—Crass Casualty obstructs the sun and rain,
And dicing Time for gladness casts a moan. . . .
These purblind Doomsters had as readily strown
Blisses about my pilgrimage as pain.

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アレクサンダー・ロートハウク 『三つの運命』

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人間の苦しみがあらかじめ残酷な神によって定められているものだったのならどれだけ気が楽だったたろう。
私のこれまでの不幸は残酷で崇高な神様からの試練、贈り物で、自分は悲劇の主人公のように困難に打ち克つことを期待されている。そう思えれば、降りかかってくる不幸にも毅然と立ち向かう気力が湧いてくるものだ。自分の人生には確かな意味がある、これも神の熟慮の上に出された結果なのだと、そう確信できることほど力強いものはない。しかし「私」は気づいてしまった、世の理りはそうではなかったと。自分が不幸の底に沈んだのも一時の安定を得たのも何もかも偶然の神の気まぐれ。神が戯れに振るサイコロの目が無作為に人間に割り当てられていたに過ぎなかったと。
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親ガチャを外したのも、意地悪な同級生とクラスが同じになったのも、受験でカンを外したのも、就職活動中に不景気になったのも、住んでる地域がたまたま震災の被害にあったのも、みーんなみーんな偶然、深い意味なんか何も無し!!前世の因果とか、墓参りしてないとか、公正世界仮説とかあんなの大嘘、私、あなたが不幸なのはたまたまそういうツキが回ってきただけ!!変な宗教とかに救い求めてお布施を払うのは損!!・・・儲けると書いて信者と書く。まあつまるところ私、君の不幸が運命の神の余興だかなんだろうと、しぶとく生きて気長に幸運が舞い転がってくるのを待つしかないんだね!!

ハーディ文学はブラックユーモア、苦ーい苦ーいダージリンティー。今回の詩をゲラゲラ笑い転げながら読めるようになってからが人生本番!!

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