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相手を知れ

7月4日 火 mood:ワクワク、混乱

こんばんは。ヨハネです。
明日の面接を準備するため、今日は長く書けないんです。
はい、就活生です。在日外国人にとってハードル鬼レベルの出版業界を選んだ恐い物知らずです。しかも、今回の会社もダメだったら就浪するつもりでいる、就労ビザも取れない、限界就活生です。昨日は無職と嘘ついてすんませんでした。

そもそも、ついこの間、ある大手の五次面接を受けるに至るまで、この半年間の情熱とエネルギーを使い果てました。それでも報われなかったので、もう二週間放心状態が続いています。明日の会社は、放心状態の時に筆記を受けに行って、適当に答案用紙を塗り、クリエティブ試験も受け、ほぼ放棄したに等しい、ある老舗出版社です。それが思いのほか、合格し、一次に行くチャンスをもらったのです。
でも、採用人数少ないし、わざわざ外国人を採用するような、海外事業の活発的なとこでもないから、無理して海外市場のことを喋らずに、オーソドックスな出版物のことについて話そうかなと、思っています。まあ、受かる気はしないんで、遊びに(?)最後の対面を楽しもう、っていうノリで行くのがベストかも知れません。
ちなみに、今年、出版社の新卒面接の詳しい話(失敗談?)をシェアしようと考えているんですが(一応全ての面接の様子を、受けるたびにまとめたので)、今は、その気にはならないけど、もう少し待ってくださると助かります。

タイトルに戻りますけど、相手を知れとはどういうことかというと、今日論文のプレゼンをしました。厳格にいうと、去年一度使ったことのある原稿をそのまま、新しいメンツの前で、もう一度使わせてもらったのです。小賢しい学生ですみません。でも、専門分野の異なる聴衆なので、むしろ今回の方は、得られたものが多かった気もします。そもそも、この論文はまだ完成されていないので、新しい意見をもらうためにも、使って良いのではないか、と思わなくもありません。

言い訳くさいけど、相手が違うと、ここまで、体験が違うんだな、と改めて感じさせてくれた経験です。なぜ、「改めて」を使ったのか、それは、あの最終面接のことを思い出したからです。今日の自分は終始罪悪感を抱えながら過去の原稿を発表したけど、聞いてくださった方々は皆真剣で、あたかも初回のような(初回だろうが!)感覚で感想を述べてくださって、質問や意見をくださったのです。議論の時間は、罪悪感を抱えていた発表の時間の何倍よりも楽しく感じたのです。
それで、最終面接で、3回も違うメンツの取り締まり役と話をした自分の愚かさを思うとまた泣きそうになったのです。一回目と二回目はかなり手応えがよかったのです。研究したこと、用意したこと、臨機応変に答えたこと、割とうまく話せたのに、3回目は、一番重役の座っている部屋で、話せる良い内容が尽きたという無意識がどうしても拭えきれず、ほぼ素裸で、何の鎧もつけずに質問に晒されたのです。そして、前の4回、全く問題視されなかった外国語としての日本語はおかしくなり、何度も呂律が回らなくなったのです。しかし、その部屋に座ってる方達は、全くの初対面で、さっき他の部屋で何を言ったのか知るはずがない、ということを自分はすぐに理解できませんでした。それが、あの悔しさにつながったのではないかという気さえします。「相手を知れ」、意外と自分は自分のことばかり考えているのかも知れません。相手はどの程度自分を知っているかを分かろうともせずに。

結局長々と、愚痴った私は、明日どうなるのか。たかが15分、最後まで笑っていようぜ、と今自分に言い聞かせています。
最後のチャンス、と考えずに、気軽に、話せたら良いですね。
それでは、おやすみなさい。

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