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既知との遭遇 -「いつか見た風景」との出会い-

来た覚えもないのに、なぜか懐かしい風景に出くわすことがある
自分がかつて見たと思われる景色が、
何の予感も予告も予兆もなしに、眼前にひらけることがあるのだ
その時の衝撃、言葉にならない驚きと戸惑い ・・・

こうした体験は、そう頻繁に起こるものではない
一生のうちでも数えるほど
でも、人間なら誰しも経験あることだと思う

そうした体験は
大抵ほどなく記憶から遠のいてしまう
しかし、いくつかは心の奥底に蓄えられ
なにかの折にふと思考の表層に蘇ってくる

こうした体験をデジャヴュ現象(既視体験)と呼ぶらしい
科学的・心理学的にはいろいろ説明されているようだが
どの理論も私に言わせれば説得力を欠いている
そもそも私にとってのデジャヴュは、
心の聖域、つまり個人の内面の秘められた領分に属するものだから
他人による証明も理論づけも、余計なお世話と言えるのである


自分にとってのデジャヴュを振り返ってみる
私が鮮やかに覚えている既視体験は、少年時代(たぶん小学生のころ)、身近なところで起こった
私が住んでいた家の近くに大学の医学部や附属病院があって
その広い敷地内で、友だちと遊んだりしていたものだ
ある時医学部祭のような学園祭があって、たくさんの教室でいろいろな展示がなされた
家族と一緒だったかと思う、ともに部屋部屋を見て回った
人間の脳や臓器のホルマリン漬け、骨格の標本など、おぞましいものが、これでもかと言わんばかりに並んでいる
順路を経てある教室に入ったとき、突如不可思議な感覚に打たれた
そこは小さな階段教室
あれっ? 前に来たことがある、ここにいた覚えがある ・・・
予期せぬ既視感に襲われたのだ
でも、どう考えても初めての場所だった
今もこの不思議なおののきを覚えていて、ときおり教室の様子とともにその時の感覚が鮮やかに蘇る


デジャヴュは「気のせい」とか単なる心理作用と言われたり、
予知夢によって引き起こされる現象と説明されたりする
後者の場合、未来に起こる出来事を白昼夢で体験するものとされ
超常現象や超能力の一つだという
霊感の強い人や感受性と想像力が豊かな人がよく見る傾向にあるともいうが
私に霊感も特異な感受性も類稀れな想像力もあるようには思われない

その後自分の人生で、あの時の階段教室と再びめぐり逢ってはいない
これからも現れることはないだろう
では、あの階段教室は一体なんだったのか

来世の記憶であるはずはない
あんなクラシックな階段教室など、今ではもうなくなっているから
ということは、前世の記憶から湧き上がってきたものなのだろうか ・・・

前世や来世を信じない私でも、なぜか心にかかって離れない

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