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二つ前の夜──星座の海をいこう

 ペルセウス座流星群が見れる可能性が比較的高いのは15日の夜までらしい。夜の仕事が終わった後、家に帰らずその足で、深夜から明け方にかけて流れ星が見れないものかとあてもなく歩いた。

 前日に利用登録したクイックペイに少しだけ入った電子マネーは、スマホの中の電子空間に収容されたわけなので、いつもなら小銭が入っているポケットの中には電子タバコしか入っていない。

 歩いていける範囲で一番空に近い場所であるU町周辺に向かった。到着したころにその日は何も食べてなかったことに気づき、コンビニで買ったものを道端に座り込んで食べる。



 しかし、標高が高いU町にはさらなる高みを目指した貪欲な金持ちたちのための高層建築物が多数存在していることに気づいたぼくは「ここではむしろ空が見えない。重要なのは高さではなく空の面積だ」と思う。人間がいくら高層建築物を建てようが、流れ星は大気圏よりも上空の宇宙の中を活動しているのだ。街の光などの要素も星空観察には大事なファクターだが、相手は宇宙にいる。


 だったら昔好きな人と二人で夜景を眺めたH山麓の駐車スペースへ行こうかと思ったが、流れ星は北東に多くいるらしいので逆方向だ。星をみるにはH山を一旦登り詰めないといけないので却下。それにこの時期、夜景スポットや観測スポットに人が集まらないわけがない。ぼくは静かに流れ星を待ちたいのだ。


 ならばむしろ、日本で一番低い山であるT山にいくのはどうだ。しかし距離を計算すると徒歩でいけば夜があけてしまう。

 もはや打つ手なし。

 夜空を見上げながら適当に歩いていると少しだけ雨が降った。

 途端にぼくは「そもそも流れ星を見たいわけじゃない。あの子に会いたいのだ」と思い出し、自然に足は一緒に過ごした場所であるN島に向かっていた。YouTubeのミックスリストを再生すると、去年あの子と一緒に過ごした時期に聴きまくっていたいくつかの曲が立て続けに流れ始めた。



 はたして偶然なのか。


 それともたまたま、ぼくがその時からこの日まで欠かさず再生していたという統計データ上の必然なのか。


 しかし、当時は聴いていなかったが、ついこの前聴いて「そうか。この曲はぼくとあの子のことを歌っていたのか」と気づいたあの曲まで間に挟み込まれているのはどういうわけだ。


 だいたい「流れ星が見えたらお願いをする」という段取りの中に、目が視えない人はどうしたらいいのかという視点はあまり考慮されていないような気もする。そうであれば「流れ星を視覚的に確認しよう」というのは一種の単なる催し物にすぎなくて、流れ星そのものは視えようが視えまいが活動しているのだから、本当はぼくたちはただただ願えばいいのではないか。



 音楽にあわせて盛大に歌い踊りながら、「万が一あの場所にあの子がいて、以前のように煙草をふかしていたら・・・」と考える。確率的には決してゼロじゃない。

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