見出し画像

物と音──ラモーの音楽理論

 デカルトは音の響きを数学的に解析していくことで「倍音」の存在を捕捉し、重要視した。しかし当時はまだ18世紀になろうかという時代。マイクもなければスピーカーもなく、当然コンピューターによる音響測定器のようなものもない中、どうやって「倍音」なんて発想に至ったのか。


 ピタゴラスは「鍛冶屋がハンマーで叩く鉄」の音からハーモニーを発見したという伝説を残している。それが事実かどうかさておきデカルトの時代の音楽研究者たちは、一本の弦でできた楽器(モノコルド)を使って色々な高さの音を鳴らして解析を進めていた。現代ギターでいう「ハーモニクス奏法」である。今でもデカルトたちが体系化した比率に従って、現代ギターはフレットを打ち込まれている。


 古典的な音楽の書法を学ぶとき、大きく分けて「対位法」と「和声法」の2つの方法があります、とまず言われる。そして「対位法」の大家としてバッハを紹介される。 では「和声法」といえば誰なのか、という疑問を持ったとき、ラモーという音楽家の名前を目にすることになる。


 あるいは、元々作曲家を目指して上京したジャン・ジャック・ルソーが徹底した「メロディー主義者」であり、その対極としての「コード進行主義者」の役割を担うのは誰か、という話になったときにはラモーはその姿を現す。もちろんラモー以前から「コード=和声」はあるわけだが、今のポップスなどにも通じるようなコード感覚を成立させたのはラモーあたりだろう、というのが通例である。まあビッグネームなのである。


 デカルトの音楽理論に感動したフランスの作曲家ラモーは、さらに倍音を追求し「数学的存在」である以上に「物理的存在」であることに着目した。モノコルドから始まり、その当時でもいろいろな楽器が存在していたが、楽器によって鳴る音は異なる。あたり前といえばあたり前なことであるが、この時代のラモーの発案によって(やっと)音楽の基本的な要素としての〈音響体〉という発想が用いられていく。


 〈音響体〉とはラモーによれぱ「ありとあらゆる、音を発するもの」を意味している。デカルトの有名な「我思う、故に我あり」に重ねていえば「音ひびく、故に物あり」である。この音楽的世界観がラモー以降の和声論、というより現代の音楽観に連なる重要な結節点になったと考えても間違いではない。


 当時の和声論を大きく発展させたラモーのもう一つの理論的仕事は、「現象としてのハーモニー」と「記号体系としてのコード理論」の間の埋められない溝に「根音バス」という概念を導入したことにある。今風にいえば「通奏低音(ルート)」と「調性感(キー)」の相関関係の探究である。


 つまり、なぜ「一番低い音」によってコード感が変わってしまうのかについてをラモーが、デカルトが「耳で聴こえない」にも関わらず音響物理的には「大きく占めている」と看破した「倍音」、特に「下方倍音列」(周波数の低い値での共振と共鳴)を受け継ぐかたちで力強く言語化して今日に至っているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?