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目的を手段に変えるが道楽なり

目的を手段に変えるが道楽なり

意味:目的だったものを手段に変えられることが道楽だということ

対義:手段を目的と履き違える奴隷

(例)いやぁ、今まで、仕事で成功するとか、結果を出すことを目的にしてきたけど、それは目的ではなくて手段なんだと気付いてから、考え方も生き方もまるっきり変わっちゃって、人生がめちゃくちゃ楽しくなったよ。まさに「目的を手段に変えるが道楽なり」ってことだね。

先日、モノマネ芸人の苦悩からウラヨミというコラムを配信したのですが、ちょっと掘り下げたいテーマがあったので、改めて特集したいと思います。

コロッケさんと神奈月さんにみる「道楽観」

再びコロッケさんと神奈月さんを代表に触れていきますが、改めて、私はこの二人が大好きで、モノマネも大好きです。それは、モノマネが似ているからではなく、二人のスタンスです。以前のコラムでも触れたように、モノマネは本来相手に似せる必要があるので、自分を出す分似なくなります。大抵のモノマネ芸人は、我を押し殺して他人になりきる為、自分自身を認められなくなるというのが苦しみだと述べました。なので、モノマネは自分を出さないようにするものですが、この二人は堂々とそのセオリーをぶち破り、ガンガン我を出してモノマネをするんですよ。

だから、むしろ似てないモノマネが多いのですが、本人がやりたくてやっているモノマネなので、違う面白さがあるんです。なんなら、この二人がどんなモノマネを見せてくれるかが楽しみな訳です。これって、モノマネ芸人としては最強だと思うんですよ。似てなくてもいい訳ですから(笑)っと、こんな言い方はモノマネ芸人に対して失礼でしかないんですが(^^;

まぁ、神奈月さんは、似せるためにモノマネをしているわけではないと言っていたので、怒らないとは思いますが(笑)、実はここが大きなポイントだと思うのです。

モノマネにおける「目的と手段」

大抵のモノマネ芸人は、ものまねすることを「目的」にしている筈です。似ること、似せることが目的で、似ていないモノマネはありえないし許されない。それは、コロッケさんも神奈月さんも、以前は同じだったと思います。あまり似てないと失礼を言いながらも、お二人とも激似なモノマネはあります。例えば、神奈月さんだったら、大友康平さんとか、吉川晃司さん、そして井上陽水さんの「みなさん、お元気ですか?」というモノマネワードを生み出したのは、記憶が間違ってなければ神奈月さんです。コロッケさんも、北島三郎さんや五木ひろしさん、武田鉄矢さんなど、本当に似ているモノマネはあるし、もっと言えば本気を出せばちゃんんと似てると思います。

しかし、二人にそうさせないのは、モノマネが「目的」ではなく「手段」だからです。「目的」は別のところにあり、その為の「手段」としてモノマネがあるんだと感じています。その「目的」とは、人を笑わせることや喜ばせることであり、ただ自分がやりたいから、格好良く言えば、できそうにない相手でもものまねするというチャレンジ精神もあるかもしれません。

この感覚は、私が常々発している「道楽家」のスタンスなんです。

人は、お金を稼いで仕事をして生活していきます。そして、仕事ではやりたくないことをやるし、頭を何度も下げたり、100万回すみませんを言ったり、ブラック企業に勤めたり、人間関係で苦しんだり、安月給に悩んだり、休みがなかったり、数え上げればキリがない程、大変なことがあると思います。私だってそれなりにありますよ。でも、「道楽家」として人生をシフトしてから、視点も感覚も人生そのものも変わりました。

起こってくることも変わったし、出会いも変わった。どんどん変化して行ったんです。それは、量子力学的に言えば、「認識が変わったから」ということかもしれません。今まで気付かなかったことに気付けるようになった。だからと言って、何かが変わるわけではなくても、捉え方が変わることで、自分にとっての意味は大きく変わります。

目的を手段に変えることが、道楽家の第一歩

「道楽家」になって変わったことは、目的が手段になったことです。詳しいことはここでは述べませんが、私がコロッケさんや神奈月さんを好きなのは、芸が面白いのはもちろんですが、そういった共通したものを感じるからかもしれません。他にも、ハリウッドザコシショウの誇張ものまねも好きだし、くっきー!の白塗りものまねも好きです。逆に、似せよう似せようという感じが強いモノマネは、「凄い」と思っても面白くは感じないし、面白さがないモノマネ芸人は、長続きしない方が多いんですよね。

モノマネの構造は「漫才」と言いましたが、モノマネを見て笑う私たちも、似ていることだけを見たいのではなく、心の中でツッコミたい訳です。似てる、似てないと審査しながら見るのではくて、見ながらツッコンで楽しむというのが、モノマネの楽しみ方なのかもしれません。

固定観念に縛られていると、目的を手段にすることはできません。少なくとも、モノマネで言えば、似せることを目的にして努力することが必要になると思いますが、それではどこかで限界がきます。その時、今までの自分の観念に縛られて生きるのか、観念から脱却し、目的を手段に変えて、新たな視点で目的を見出していかなければ、大きな変化はありません。「道楽家」とは、「道中を楽しむ者」という意味です。ゴールを目指して進むのが、普通の人でしょうけど、「道楽家」は、ゴールよりもゴールまでの道中を楽しみ、ゴールに何が待っているかも楽しみにするのです。

結果と過程と言えば簡単かもしれませんが、そんなものには収まりません。道草をしてゴールを目指さずに道中を楽しんでいるように見えても、結果的には一番早くゴールしたり、一番良い結果に恵まれる、というのが「道楽道」だと思っています。もちろんそれは、現在ただいま検証中という感じですが、現状が楽しいし、既に出ている結果もあるので、そういったことをシェアしながら、「道楽家」として人生を謳歌して行こうというのが、「道楽舎」です。

明日はいよいよ400日連続投稿となります!節目として、「道楽舎」というものについてのコラムをお送りする予定です。

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