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009:自信のない自分

物心がついた頃から自分に自信がなかった。

当時は自信がない自分にさえ気付いてなかった。

何か決めるときは必ず周りの人が決めた後。

何かを聞く。見る。自分はその後。

周りが出した『決定』をみて

「これが普通なんだ」

「これが一般回答なんだ」って

分析してから、自分は決めていた。

普通という「枠」から出ることを無意識に

避けていたのかもしれない。

「自分は劣等生。普通の枠に収まるように

立ち振る舞うことができないなら普通以下」

なんて勝手に思い込んでいた気がする。

先陣を切って自分で考えて答えを出すなんて

できなかった。

そういったマインドがどうして生まれたのか。


物心がつく前、父親は「赤ん坊は動物と一緒」 

という考えのもと相当手を挙げていたそうで、

(その考え自体ぶっ飛んでいるなと思うけど)

母親が泣きながら父親の教育行為を止めていた

らしい。

当時の自分の年齢を考えて、そのことを覚えて

いても良さそうなのだけど全く覚えていない。


心理学に「防衛機制」という言葉がある。

「危険や困難に直面した場合、受け入れがたい

苦痛・状況にさらされた場合に、それによる

不安や体験を減弱させるために無意識に作用する

心理的なメカニズム」らしい。(今調べた)

それのうち、「抑圧」といって、要は

僕は自分の心を守るために「忘れること」を

選んだようだ。


忘れることで「心」は守られたがどうやら

自己肯定感は大きく傷ついたままだった。

おそらく叩かれたり、怒鳴られたりする中で

「自分はダメな奴。だからこんな目に

合っている」と当時の僕は思いこんだのだろう。


ちなみに、父親を恨んではいない。

思うところがないわけではないし、

確かに好きではない時期はあったけど

愛情を注いでくれたことも確かな事実として

覚えている。心に残っている。


だからなのか、自分が思っていることを表現する

ことには本当に苦労している。


今気づいたけど、自分の思考を言語化するのが

苦手なのはここがでかいようだ。


自信がないから周りを見てから自分の回答を出す

ということを繰り返しているうちに、無意識に

自分の「こうしたい」を毎度毎抑えていたのか、

それによって自分の思考を捉える感覚が麻痺して

しまったのかすっかり苦手になってしまった。


イメージは、3D空間に自分思考が漂っている。

それは煙のように常にもやもやと形がないまま

漂っている感じ。

言語化はそれを明確な形に落とし込んでいく

イメージ。


でも、だからこそ今こうやってnoteを投稿して

いるんだな。

自分の思いをきちんと言語化することも

クリエイションしたいんだ。

書くって大事だね。


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