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【短編小説】線香花火
「線香花火しない?」
同じマンションの1階に住む彼から連絡があったのは、お風呂場で体をキレイにしても、上がってしまえばすぐにじわりと汗をかいてしまう夏の夜、ドライヤーの熱風に耐えながら気だるく髪を乾かした後のことだった。
「お風呂入っちゃたし面倒くさい」
手短にメッセージを返し、グラスに注がれた水をゴクリと喉に流し込む。水分が全身に広がっていくのが気持ちいい。
「なあいいだろ、これで最後かもしれないんだし思い出づくりにさ」
一息で飲み干し、グラスを置くと同時に返信が来た。テキストと同時に、手を合わせて頼む猫のスタンプが送られくる。
はあ、と深いため息をついてベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めた。まだ体は熱を帯びている。エアコンの電源をつけようと手探りでリモコンを探すがあたりにはない。
最後だなんて言われたら断れないじゃないか。
そう思うのは、この夏が終われば彼は父親の仕事の都合で転校してしまうと知ってしまったからだった。
***
彼との出会いは小学校の低学年のころだったと記憶している。
大きなマンションのわりに、子供が少なく、同じ学校に通うのは私と彼しかいなかった。
だから必然的に登下校を共にした。
共働きの両親のもとで育った私は、仕事から帰ってくる2人を待つ間、よく彼の家にお邪魔して彼と遊んだいた。
遊んだ、といっても実際は彼が好きだったRPGのゲームを横で眺めているだけだった。今思うとつまらない時間だったはずだが、当時は無言でモンスターを倒していく姿がなぜだか面白かったことを覚えている。
彼はきちんとレベルを上げてからボスに挑むタイプだった。だから、負ける姿を一度も見たことがない。
横で何度も同じモンスターを倒している様子を見ながら「なんですぐにボスと戦わないの?」と問いかけたら、「準備をしてからいくのは当たり前のことじゃないの?」と不思議そうに彼は答えた。ふだん宿題をよく忘れる彼が、ゲームの中だけは優等生なのがすこしおかしかった。
そんなRPGのように、少しずつ歳を重ね、身なりを整えながら、わたしたちは高校生になった。
同じ高校に通い、帰りの時間が一緒になればそのまま2人で帰る。関係はさほど変わらないまま、毎日を過ごす。
そんな姿を見た友達からは付き合ってるの?と揶揄されるが、世の中的に幼なじみだからといって付き合う人たちは少ないんじゃないだろうか、と思っている。
友達以上恋人未満。されどニアリーイコール家族、という表現が私たちの正しい関係だ。
ただ、本音は違う。
いつごろからか彼と目を合わせるたびに、まわりの温度が上がったのではないかと思うほどの熱が私の体を伝っていた。
彼を好きになっていた。家族と友達の境界線に2人で行きたかった。けれど、それが叶わない以上、最後に思い出なんて残したくなかった。お別れも言わず去ってくれたら、この気持ちもいつか冷めるだろうとたかをくくっていた。
仰向けに寝そべり、変哲のない照明を見ながら思う。
私の気持ちも知らないで、線香花火なんて。
深く息を吸い込み、感情に身を任せながら「仕方ないなあ」と返事をした。すると、またもや素早く「22時に裏の公園で!」と返信が返ってきた。
***
Tシャツにジーパンという誰かに見られることを想定していない格好で外に出ると、もわっとした熱気が顔を覆い、夏がまだまだ終わりを見せないことを主張してくる。
サンダルをぺたぺたと鳴らしながら歩き、目的地の一歩手前で足を止める。
ブランコとベンチだけが設けられたその場所は、公園と呼ぶにはギリギリだ。たぶんそこまで利用者はいない。子供が遊ぶことを想定して作られたはずだが、幼い姿を見かけたことは今までに何度かしかなく、今もこうして一人ぼっちのブランコが寂しそうにぽつんとたたずんでいる。
道路沿いの入り口から足を踏み入れると、私と同じような装いの彼がベンチに座っているのが見えた。彼は私を見つけるとパッと破顔させ「よう」と言いながら手を振った。
ポケットに手を入れ、近づきながら私は言う。
「なんで急に線香花火?」
「いやなんか急にやりたくなってさ」
「1人でやればいいじゃん」
「完全に不審者だろ、それ」
そう言うと持っていた袋の中から、目的の線香花火を取り出し、「はい」と私に手渡した。
「久しぶりかも、線香花火」
「お、じゃあちょうどいいじゃん」
受け取った花火の先のほうをつまみしゃがみこむと、彼も同じようにしゃがんだ。いつもより近い目線に胸の鼓動が早くなる。緊張がばれないように「早く火つけて」と、あえてはしゃいだフリをした。
意外と乗り気じゃん、と彼が軽口をたたきマッチをザッとこする。
ぱちぱちぱち。
火花が小気味よく踊り、特有の火薬の匂いが鼻孔をかすめた。
「やっぱ花火といったら線香花火だよな」
「空にあがる花火のほうがかっこいいじゃん」
「いいんだよ俺はこれくらいで、この儚さがいいんだよ」
「小さい男だなあ」
顔を膝に近づけ、より体を小さくしながら、か細い火花を見つめる。
彼と交わす味気ない会話もこれで最後だ。そう思うと胸がキリキリと痛みだした。
本当に会わなくなれば気持ちは冷めていくのだろうか。いつまでも思い続け、蜃気楼のような彼との思い出にすがって生きていくのではないか。
だったら、今思いを告げたほうが後々、別の誰かのことを思えるのではないか。
合理的な思考が頭をよぎった瞬間、何も素振りを見せないままポツリと火種が地面に落ちた。
「あー終わっちゃった」
彼は言った。私は彼を見ることができなかった。見てしまったら好意がこぼれてしまう気がした。
「なあ次、勝負しようぜ」
はしゃぎながら彼は言う。
「いいけど、勝ったらどうするの?」
「そうだなあ、負けたほうが秘密にしてることを言うってどうよ」
「なにそれ定番すぎない?」
「まあいいじゃん、ほら持てよ」
そう言うとまた、花火を差し出した。
受け取った指先が揺れる。花火を重ね合わせて火をつける。両方に火花が灯った時、私は思った。
多分これが、いいきっかけだ。
この火花が落ちたら思いを告げよう。
私の秘密はあなたのことが好きだったこと。そう伝えて今日を終わろう。
勢いを増していく火花の音に耳を澄ます。
少し揺らせば落ちてしまうほどの火種から、赤い花が舞っている。
しかし、先走る思いとは裏腹にこの時間がいつまでも続けばいいと思った。
指で花火の先を強くつまみ、火花を揺らす風が吹かないことを願う。かくれんぼで鬼が迫ってきたときのような緊張感が体をこわばらせ、すかさず息をを止めた。
ぱちぱちぱち、と今にも消えてしまいそうな音が地面から数センチ上で弾けている。
ぼーっとしながら見つめていると、彼との思い出が頭の中を泳いだ。小学生の頃、家族ぐるみで行った遊園地のジェットコースターでひどく怯えた表情をした彼。太陽が照り返すアスファルトに顔を赤く染めながら、自販機で買ったサイダーを共有した帰り道。
大それたことではない。少しずつ大人になっていく彼のことをいつも私は隣で見ていた。ただそれだけのこと。けれど、今思うと、あの日々はフラッシュライトが焚かれたカメラのシャッターを押された時のような、瞬きができないほどの眩しさを放っていた。
「あ」
二人の声が重なった。思わず顔を見合わせて、時が止まったような気がした。
流れ星のように一瞬だった。
先に落ちたのは彼の花火だった。
そして止まってしまった時を動かすように、私の花火も終わりを迎えた。
今更、蝉の鳴く声が聞こえた。Tシャツに張り付いた汗が気持ち悪い。そういえば、今は夏だ。毎年同じように訪れる夏。けれど彼と過ごす最後の夏。私は息を深く吸い込んだ。
「俺の負けかあ」
首を落としがっくりとした声で彼は言った。
ああ終わってしまった。
欲張りな気持ちが邪魔をして思いを伝えることすらできなかった。伝えようと思えば伝えられたはずの思いは、彼と見つめる線香花火の時間に負けた。
そのまま下を向き彼はつぶやく。
「俺さ、お前に会えて本当に良かったよ」
「え?」
「いや、俺の秘密、今まで言ったことなかったけど本当に感謝してるんだ、それを伝えたくて」
「なにそれ」
どう受け取ればいいのかわからなかった。
いつものように冗談みたく笑えたらよかったが、顔が引きつりそうなのでやめた。この言葉の真意はなんだ、とめぐる思いが汗と同時にだらだらとこぼれそうになる。
彼は私のことをどう思っているんだろう。彼の癖も好きなものもすべて知っているつもりだ。
だけど、横にいる彼の気持ちだけを知らないことがもどかしい。
私の目をすくいあげるように顔だけをこちらに向けて彼は言った。
「だからこれからも友達でいてくれよな、お前といるとなんか楽だからさ、そういう気のおける場所があればどこに行っても頑張れる気がする」
言葉に詰まった。
ああそうか。彼は今のままの関係を続けていくのを望んでいるのだ。
進むことも戻ることもない、グラウンドに引かれた真っ白な白線のような関係。きっとこれからも交わることはなく、隣に並びながら伸びていく。
「えっもしかしてせいせいしてるとか?」
「いやなんていうか、今更友達とか可愛いところあんじゃん」
「今更だから言うの恥ずかしかったんじゃん。くそ言わなきゃよかった」
何もなかったかのように私は言う。
「まあ元気でやりなよ、そのくらいしか取り柄ないんだから」
「なんだよそれ、もっと言うことあっただろ」
彼は笑った。小学生の頃から変わらない、楽しそうな声で。涙が出そうになった。けれど泣かなかった。彼の望んでいる私はこんなところで泣きはしないから。
風が吹いた。熱くもない、冷たくもない、遠い場所から不要なものを削ぎ落としてたどり着いたような風が。
忘れられない夏の夜、思い出だけを更新して私の恋は終わった。
何も変わることのなかった2人と、役目を終えたか細い線香花火が、夜空に浮かぶ月に煌々と照らされていた。
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