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理系院卒の就活失敗談(大学院編)

今回も、自粛中の人たちにささやかな失敗談をお送りしたい。
他人の失敗談は美味しいですぞ〜。
これを見て、「こうはならないぞ!」と就活中の人に思って貰えれば幸いです。
就活中じゃない人も、ぜひ失敗談を聞いて退屈しのぎにして頂きたい。

【これまでのあらすじ】
・学部の頃、自身のスペックを過信し大手を適当に受け撃沈
・院に進み、技術職の企業インターンに参加するも、基礎研究系には特に向いてないと痛感


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さて、分かりやすく進路に悩んでいた自分は、今一度自分がなんとなく好きなこと、やりたいことを考えた。
何回目か分からない自己分析だ。
その結果、下記の強みとやりたいことを見つけ出した。

✔︎強み
①物事を企画し実行する力(チームやイベントの代表などをやる機会多数)
②周囲の人を巻き込む力(①の経験)
③英語力(これはあんまり出さず、聞かれたら答えるくらいにした)

✔︎やりたいこと
①日本の技術を、グローバルに発信する仕事(世の中には面白い研究が多いが、知られていないために日の目を見ない研究も多いので)
②研究成果を突き詰めるのではなく、応用に活かす仕事(ガンダムを作るより、パイロットになりたい、というイメージ)

ふむふむ、学部時代よりはいい感じだと自画自賛していたのをよく覚えている。
このように、自分の強み、やりたいことがある程度明確になった段階で、企業探しを始めた。
この作業もまた楽しかったのだが、ざっくりまとめると志望業界は下記となった。

B to C向け、開発系の技術職(基礎系でなければまだ良いかな、と思っていた。面接や就活の練習の意味も込めて受けていた)
総合商社、専門商社の営業(何かを世の中に広めるにはビジネス面でのメリットが必要。商社はその辺りのプロだと思っていた)

こんな感じで就活を進めることになった。
ここまで見ている感じ、失敗談にはならなさそうですよね?
もう少しお待ちください。

就活中も色々ありましたが、戦歴はざっくり下記。

ES提出企業:20社(うち8割ES通過)
最終面接に至った企業:8社
内定が出た企業:1社

そうなのだ。
なんと内定が出たのが1社だけ、しかも内定を貰えるまでは就活解禁から1ヶ月近くを要した
最終にはそこそこ呼ばれるのに、3社4社とお祈りをされる。
毎回根拠のない自信を持って面接に臨むも、ここまで祈られると流石に心が折れてくる。
最終までいくともはや相性、とも言われたが、そんな言葉は慰めにならなかった。
自分には何か、致命的な欠陥があるのではと本気で悩んだ。

ESを提出する企業はそれなりに絞ったので、各社への面接対策にはまとまった時間を確保出来た。
そのため、一次や二次は突破出来た。
しかし最終になると、なぜか落とされてしまう。
内定が出ない状態が2週間3週間と続き、手持ちのカードが日に日に無くなっていく。


この時はかなり落ち込んだと共に、絶望感が日増しに強まっていった。
自分は社会人になれないのか?
学部での失敗を活かせていなかったのか?
なんでこんなにうまくいかないのか?
「面接官の見る目がないだけ」という強がりも言えなくなっていった。
段々食事も喉を通らなくなり、見る見る痩せていった。

今にして思えば、最終でここまで落ちていた理由にはいくつか心当たりがある

・緊張すると早口になる傾向があり、自信なさげに見えていたのでは
・志望企業への熱意を伝える力が足りていなかったのでは


もっと落ち着いて話しつつ、熱を込める部分では熱を込める。
面接官に「それってうちじゃなくても良くない?」と聞かれても、「絶対御社です」と力を込める。
基本的な部分ではあるかもしれないが、極限の緊張状態でこれが出来る必要があった。
その力が、当時の自分にはなかった気がする。

最終的にはなんとか内定を貰えたが、その時は嬉しいというより安堵感の方が凄まじかった。
就活中の皆さんには、あの絶望感を味わうことのないように頑張って欲しい。

【余談】
内定がなかなか出なかったある日、不思議な出会いがあった。
その日は何社目かの最終面接の帰りで、なかなか光が見えずに自信を見失っていた。
大雨だったことも相まって、気分は最悪。
不安感だけが強まっていて、本当にひどい顔だったと思う。
そんな中、最寄駅から家までの道のりを歩いていると、ある女性に道を尋ねられた。
なんでも、息子さんの下宿先が分からないとのことだった。
大まかに道を伝えれば済む話だったが、自分も誰かと話をしたかったのか、下宿先までご案内することにした。
道中、息子さんの話を聞きつつ、自分もつい就活が上手くいっていないことを愚痴ってしまった。
おそらくかなり暗いことを言っていたのだとおもう。
途中からずっと話を聞いてくださっていた。
そして目的地周辺にたどり着き、別れを告げるとその女性はこう言った。

「きっと大丈夫です!私に親切にしてくれた人は、皆んな幸せになってるんですよ」

その時は、絶望感MAXの自分には作り笑いを返すしか出来なかった。
しかし、その言葉には後々大いに救われた。
何の根拠も無いが、きっと幸せになれるという漠然とした希望が、自分を奮い立たせてくれた。

あの時しっかりお礼を言えなかったのは、今も心残りだ。

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