見出し画像

人間は馬鹿だ。だから愛らしい。

Puck: Shall we their fond pageant see?
Lord, what fools these mortals be!(A Midsummer Night's Dream Shakespeare)
妖精パック:恋人たちのそそっかしい見世物をご覧になりますか?
人間ってなんて馬鹿なんでしょう。(夏の夜の夢 シェイクスピア 拙訳)

人間は愚かだ

まず私たちはこの事実と向き合わなければならない。

人間は馬鹿だ。

どうしたって自己利益の追求はやめないし、それに伴って争いが生まれても気に留めない。

だからと言って悲観的になる必要はない。

私は常々口にしていることがある。

悲観主義者は馬鹿だが、楽観主義者も同じくらい馬鹿だ。

悲観主義者は下を向いてばかりで、どんなことにも後ろ向きな態度をとる。

意味もなく落ち込む。

「今日は8月10日だ。最悪だ。」

たちが悪いのは、こういう悲観主義者に限って、自分だけは物事をしっかり見ているという謎の自尊心を持っている。

自分の足先を眺めていても世界はみえっこない。

一方で、人間は馬鹿だ、だから何したってしょうがないんだ。ははは。

と楽観的に物事を捉える(いや、捉えているとはいえない)輩もいる。

このような人間も上を向いて、目の前に何が起きているかを見られていない。

何が言いたいかと言うと、

しっかり目の前を見る

ということ。

目の前に起きていることを自分の目で見据えて初めて自分がどうするべきなのかを考えられる。この、考える、ということはとてつもなく重要なことだ。

我々は自分の経験を超えた物に共感することがうまくできない。必ず自分の経験から物事を判断する。

でも自分の経験は所詮70億分の1でしかない。この世には理解を超える物が大量にある。だから、自分がどのようなところにどのようにして在るのか、これを考える必要がある。

それによって客観的に自分の経験を評価できる。

例えば、父親が寡黙で背中を見せて子供を育てる古き良き日本男児だとしよう。いつの間にか自分もそのように生きてしまう。

当たり前だと思って疑わない。共働きは力不足だ、なんて考えてしまったりする。

でも社会は常に変化していく。その流れを見て、自分がどのように生きるのか、客観的に決めていく必要がある、と思う。

人間は潔癖だ

人間は綺麗じゃない。

だからこそ、どう生きるかが大事になってくる。

歴史を通して人間は現実に向き合わない態度を醸成してきた。

すなわち、人間は穢れていない、という確信だ。

はっきり言おう。これは幻想だ。

自分たちは畜生とは違う、ナニカ優れた生き物なんだ、と愚かにも勘違いしている。

一体人間と畜生の何が違うのか。脳みそがちょっと大きいくらいで威張っているヒトはなんと小さな動物か。

カバに突進されただけで命を落とすようなか弱い生き物だ。(カバ強し)

だから考えられる我々は一味違うぞ、と主張したいのだろう。

ホモ・サピエンスとは、「賢い人間」という意味だ。

自分で天才って言っちゃう我々ってなんてダサいの。

まあそれはともかく、人間が穢れていない、優れている、というのは幻想だ。

私たちは他とは違うぞ、ということでまず何をしたかというと、自分たちの存在を正当化し始めた。

動物に生きる意義も正当性もないのにね。ただ、そこに「在る」だけなのにね。

その方法はとても「賢い」。さすがはホモ・サピエンス。(笑)

神話の台頭

作り話で自分たちは神の一族だと言い始めた。これはどこの文化圏でも概ね一緒だ。

要するに、「自分たち他と違ってすげーだろ」と言いたいがためにナニカ別の存在に頼るようになった。

それこそトーテムポールとかはその走りだろう。動物を自分たちの民族と同一化させた。私たちはくじらの一族だ、と。いやヒトじゃん。

ネイティブ・アメリカンたちも、自分たちはバッファローだ、と言ってみたりする。

事実、神話としてバッファローに認められてバッファローの娘と結婚する、なんて話もあったはずだ。

そこまではまだ良かった。まだ人間以外の生き物と共存していた。

そこで神が現れた。日本でいえばイザナミ、イザナギが一番有名だろう。

私たちは素晴らしい神の末裔だ。かつては美しく完璧で不老であった。

なんて言ってしまう。

別にそれを否定するつもりもない。それは私たちが考える頭を持ってしまったが故に、「自分たちはなぜ存在しているのか」という疑問と不安が芽生えてしまったからだ。

でも、本来私たちには存在している理由も使命も目的もない。

そりゃとてつもなく不安だ。

だから、宗教ができた。

どのように良く生きるべきかを決めるためだ。そのために道徳の体系が求められた。

何を信じるか

私たちは現実を見なければいけない。それは宗教を捨てることを意味するかもしれない。

自分たちが優れた存在だということを間違いだと気づく必要がある。

私たちはただの人だ。動物だ。人間はとてつもなく愚かだ。

でも、考える頭を持っている。

愚かな自分を受け入れて、自分を信じることから始めるべきなんだ。

誰か、何かに自分の存在意義を求めるんじゃない。そんなものはかりそめだ。

「自分が」ここに居て、どう生きるかを選択していくんだ。

ちょっとアツくなりすぎてしまった。かなりざっくり書いてしまったから、また後日、噛み砕いて文章化できればと思う。

次回は愛について話そうかな。詭弁です。お楽しみに。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?