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僕は世界を拓いていくことにしました。

あの家を越えた先になにがあるのか。この探求心の延長線上に今の自分がいるんだと思います。

初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。旅する小説家、今田ずんばあらずです。noteわかばマークです。

先日の初note(URL)、想像の10000000倍くらい反応があって驚いております。ありがてえありがてえ……。気の向くまま続けていきます。

前回は自らの脚である(比喩表現というよりかは、もはや身体的な部位ですらある)である、自転車との出会いを書きました。今回はそのエピソードの背景、内的な旅への欲求、という側面をお伝えしたいと思います。

あの日、僕の世界は拓かれた

僕の生活には旅が寄り添っています。僕にとっての旅は、大雑把にいってしまえば「知る」ことと同義語です。世の中は知らないことばかりなので、旅はきっとどこまでも続いていくのかもしれません。

とはいえ、そう思えるようになったのはつい最近のことです。たとえば幼い頃の自分にとって、世界は閉ざされたものでした。家から外に出て遊ぶようになった頃でも、やはり世界は閉ざされていました。

「あの信号の先へは行っちゃダメよ」「遊ぶならあの団地の前までね。なかには入らないで」「大通りには近づくなよ。あそこは危険だから」

親からの言葉によって、道は明確な壁になって僕の世界を覆うのです。僕は妙な部分で信じこみやすいたちの人間でした。行ってはいけなさそうな予感(車が多かったり人が多かったりうすら寒い風が吹いたり)を抱くと、僕は素直に親の言うことを聞き、守られた領域のなかで遊びました。

それと同時に、ひとつの思いを抱くのです。あの団地の裏側には、なにがあるのだろう、と。

さて、以前お話ししたかと思いますが、小学時代の自分は、無事自転車を乗りこなすことができるようになりました(URL)。この頃になると旅好きの父の影響で全国さまざまな土地へ旅行をしました。北海道に福岡、広島、仙台に群馬、東京、大阪、箱根……。本当にたくさんの場所へ連れてってもらったものです。

しかしながら、それらの都市はどれも世界に点在する浮島のようなもので、地続き、線路続きの場所であるという実感はなかなか持てませんでした。それは団地の風景も同様です。行動範囲は父や母の目の届く範囲まで。分かれ道で別方向へ行くことはできません。団地を抜けた向こう側へ行くことも、まして建物に沿って連なる生垣のなかに潜入することだって。

自転車という我が脚を手に入れたのは、そんな欲求が募るなかでのできごとなのでした。ひとりで練習したい。その名目の元、僕は自らの脚で地続きの世界を知りたいと思ったのです。地続きの世界、それは僕にとって団地でした。そのありのままの、すべてを、道の一本一本、アスファルトの隙間から生える草花に、アリの行列、セミの抜け殻、ころがるスチール缶、そのすべてです。

僕は世界を拓いていくことにしました。自宅の庭を出れば、すべてがフロンティア。僕にとっての旅は「知る」ことです。そして時間をかけて少しずつ、僕の「お庭」は広がっていくのです。

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