見出し画像

福は内の時のポーズどうしてる?

「あけおめ」「ことよろ」と略して言うことにこっ恥ずかしさを感じる団塊ジュニアです。団塊ジュニア関係ないか。これ言ってる人を見るとなんとなくゾワッとしてしまう団塊ジュニアです。とはいえあけおめことよろはさすがに聞き慣れてきてそのゾワッとする感じも薄まりつつある中、新たにゾワを生む略し方が「スラダン」だったりする。スラムダンクをスラダンと言うパターン。昔からあったんでしょうけどね。映画が公開されたということで幾星霜の時を経て、いま再び「スラダンめっちゃいいよね」と言う人急上昇中で。スラダン。略すならもうそれしかない。「スラム」だけだと「街」って言いたくなるし、「ダンク」だけだと昔あった小さいサイズの微妙に微妙な微エロ雑誌のことを想像してしまうものね。だから略すならもうスラダンしかないよねっていう理屈はわかる。中とって「ラムダ」だとギリシア文字だから。Λ←これだから。もしくはλ←これ。だからそう。略すならもう「スラダン」しかない。でも私は言わない。
略すならもっと長くて煩わしい言葉を短くしたい。そうなると1年で今日しか言わない「鬼はそと福はうち」が妥当であろう。略しがいがあるし、年に1日しか言わないから、変な略し方しても大して騒がれもしない。さっき言ってて(言ったのか)「長いなこれ」と思ったし。家の中の鬼を追い払う時は「鬼は外」と言いながら追い払うポーズ、あっちいけのジェスチャーのまま豆を撒けばいいけど、問題は福は内の時のポーズだよね。こっちへ来い的なポーズ、カモーンのポーズがコンテクストとしては正しいのだろうけど、それだと豆撒けないよなと思って。自分に当たるじゃん。いかんポーズの話してるわ。おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?