くらっち

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絶対滞納したらヤバい債務

絶対「踏み倒し」が利かないのが、  ・罰金  ・損害賠償 自己破産しても、これらの債務は免責されません。 罰金の場合、労役場に留置され、一日当たり5千円の労役に就かされる場合があります。10万円の罰金だと、4週間留置されることになります。 (罰金は一括納付が原則ですが、検察と交渉して分納が認められるケースもあるようです。→参考ページ) それから、  ・税金  ・国民健康保険料 役所から請求される、いわゆる「公租公課」の類も、免責されません。 これらの場合、役所に出向いて、誠

    • 自力で特定調停した話

      僕はこれまで、数回債務整理をしてきた経験をしています。 最初は20代のころ、自分で簡易裁判所に行って特定調停を申し立てました。 当時の債権者は、日本信販(現・三菱UFJニコス)を除いて、大手サラ金ばかり。 アイフル・アコム・プロミス・武富士・ディック・ノーローン等。 司法書士会館に行って相談し、自分でも色々調べてみて「これなら自力でできそう」という目処が立ったので、仕事を抜け出して簡裁に出向き、申立の書類を提出しました。 調停委員との打合せ等、簡裁に数回呼び出されたので

      • 債務整理の基礎知識

        多重債務に陥った場合、債務整理には主に4つの方法があります。 ・任意整理 ・特定調停 ・個人再生 ・自己破産 (上の画像は、日本クレジットカウンセリング協会サイトより引用) 最近、「債務整理の無料相談に応じます!」という広告をよく見かけますが、要注意です。 まず、ああいう広告を大々的に打っているのは、弁護士ではなく司法書士が多いです。(よくテレビやラジオでやってるあれとか…。10-20-30から70-80-90に変わりましたよね…看板だけ掛け替えて懲戒逃れしてるようで

        • "Your speech is Not Speech, but Preach"

          自分が「エホバの証人」2世として、いかにマインドコントロールされていたかを痛感させられた出来事。 それは「スピーチが書けなかった」ことでした。 タイトルは、高2のときに外国人講師から指摘された、痛烈な一言。 彼が何を言おうと何をしようと、僕は正論で言い返してきたのですが、ただ一つ、これに対しては、グの音も出ませんでした。 幼いときから文章は大好き。 小学校入る前に漢字ぜんぶ覚えちゃったので、大人が読んでる文章はすらすら読んじゃう。ひらがなの書き順はよく分かってないのに、新聞

        絶対滞納したらヤバい債務

          41歳。遅すぎる「親からの卒業」

          メンクリの通院。 母に付いてきてほしいと頼んだら、来てくれた。 病院の玄関に着くと、弟も立っていて、驚いた。 わざわざ仕事を休んで京都からまた来てくれたのか。 エホバの証人として、僕の人生をさんざん振り回してくれた両親に対しては、幼少期の分をちょっとは償えと要求したくなる一方、弟には全く頭が上がらへん。先日の入院以来、弟に会うのはこれで三度目。 母も、もう65歳。すっかりおばあちゃん。 一方、僕は41歳。現役世代ど真ん中。 本来、僕が老いた母をフォローせなあかんことくらい、

          41歳。遅すぎる「親からの卒業」

          メンヘラデビュー:過労で鬱再発、離婚、生活保護申請

          僕が鬱病と診断されたのは、最初が21歳、二度目が30歳のときです。 最初の鬱はいったん寛解したので、精神障害者手帳を取得したのは30代に入ってから。以来十年ほど、毎月メンクリ詣が恒例となっています。 幼少期から自律神経失調症と診断されていましたが、小児うつと診断してもらえませんでした。 実家を出て一人暮らしを始めて数ヶ月後、寝込んでしまい、ようやく精神科でうつ病と診断されました。 精神科医の「心を休めなさい」というアドバイスが、当時の自分にとって大きな一言でした。 機能不

          メンヘラデビュー:過労で鬱再発、離婚、生活保護申請

          バリバリ関西人の僕が、39歳で上京し、どん底とプチバブルを経験した話

          僕は京都出身、社会人になって約20年ずっと大阪勤務。 コテコテの関西人です。 そんな僕が、色々ありまして、39歳で上京、転職しました。 最初の一年間、東京に慣れるまでしんどかったです。 引きこもりになった時期もありました。 そこから脱却、再婚。 よく「幸せ太り」とか言いますが、メタボおやじの僕が、新妻が作ってくれた朝ご飯を食べてるうちに、あれよあれよと減量、半年足らずで15kgものダイエットに成功しちゃいました。 もうひとつ。 30歳過ぎに過労から発症、約十年続いていた

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          初恋

          幼いころから好きだった女の子を思い返してみる。 ひとりめ。保育園の同級生。 彼女の母と僕の母、四人で撮った写真がアルバムに残ってる。 ふたりめ。小2で転校したとき、親切にしてくれた姉御肌の子の記憶。 そして、双子のようにいつも一緒にいた従妹。 高校三年間ずっと同じクラスで、たまに弁当を作ってきてくれたり。ほんま妹のような存在。 ただ、性格的には対照的で、つかみ所がなかった。僕には理解できなかった。 せっかちで慌てん坊な僕と違って、彼女は常におっとりマイペース。 そんな