"Your speech is Not Speech, but Preach"

自分が「エホバの証人」2世として、いかにマインドコントロールされていたかを痛感させられた出来事。
それは「スピーチが書けなかった」ことでした。
タイトルは、高2のときに外国人講師から指摘された、痛烈な一言。
彼が何を言おうと何をしようと、僕は正論で言い返してきたのですが、ただ一つ、これに対しては、グの音も出ませんでした。

幼いときから文章は大好き。
小学校入る前に漢字ぜんぶ覚えちゃったので、大人が読んでる文章はすらすら読んじゃう。ひらがなの書き順はよく分かってないのに、新聞も百科事典も平気で読んでました。

また、生まれつき速読術的なものを持っていたというか。
たぶん文章の読み方として、普通の人がやってるような「目で追う」読み方ではないんです。
本の見開きを、そのまま画面キャプチャしてるかんじ。
だから、聖句や出版物も教科書の内容も「何ページの右上?左下?」みたいな感じで、文面を画像スキャンして脳内に保存してあるようなイメージです。

幼い頃から膨大な文章を読み込んできたから知識量に自信があったし、読解力にも自信があったし、英語でも文法が大好きでした。

そんな文系バリバリで、国語のテストは毎回満点、悪くても90点以上だった僕が、高校2年の秋に大きな挫折を味わいます。

エホバの証人の宣教者として世界中を旅したいという夢を抱いていた僕は、高校で実践的な英語を習得したいということで、地元商業高校の国際経済科へ進学を決めました。
進路に悩んでいたとき、地元会衆の先輩兄弟に相談しました。
彼は秀才で、普通科Ⅱ類(進学コース)の英語系にいましたが、「うちは受験英語なので、日常生活では役に立たないです。外国人とできるだけ会話できるほうを優先させたほうが実践的ではないか」とアドバイスされました。
商業高校には3人の外国人講師が常駐しており、月~金の週5日、英語授業が毎日あり、しかも毎回の授業に外国人講師もいるのでネイティブスピーカーと日々会話ができるという、まさに「英語漬け」の幸せな環境で3年間を送りました。

高校1年の秋、スピーチコンテスト。
レシテーション(暗誦)部門とスピーチ部門の2つがあるのですが、レシテーション部門に出場した僕は、先輩たちを差し置いて校内で優勝してしまいます。
1年生なのに府下大会に出場した僕は優勝してしまい、全国大会へ。
全国でも予選を突破して決勝にまで進出してしまうという大金星を挙げてしまいます。
こうなると当然、周囲の期待は「来年のスピーチ部門もぜひ全国大会出場を」となってきます。

ところが、いくら発音をネイティブ並みのレベルまで向上させたとしても、「スピーチコンテスト」というのは、英語力だけでなく文章構成、自己表現力が求められます。
インプット(入力)された情報しかアウトプット(出力)できず、自分の感情や思考を一切殺し、典型的な「マインドコントロール」にかかっていた僕には、「スピーチ」というものが書けなかったのです。
文章をいくら書けども書けども、結局は、ものみの塔協会の出版物のどこかからコピペしてきたもの。
そこに、僕の思いも考えも体験も全く反映されておらず、人の心を動かす文章にならないのです。

模範的な信者でい続けるためには「肉」を殺すしかない。
その「肉」の定義を、僕は「自分の生理的欲求・感情や情念・自分なりの思考だ」と解釈していました。

生まれつきアスペ傾向があり、他人への関心や共感が乏しい僕にとっては、自分の感情に振り回されるのも「面倒くさい」ことなのです。
だから「感情移入」って本当は大嫌い。せずに済むなら、ぜひそうしたい。
なのに自分は承認欲求の塊で、誰かに共感されたくてたまらない。
そんな果てしない矛盾に振り回され続けていたのが、十代の僕でした。

特に高校時代は、最初の記事にも書いていたとおり、初恋を両親に猛反対されたトラウマがあるので、完全に裏表2つの顔を使い分け、特に恋愛に関しては親やエホバの証人仲間に素顔を見せない日々。

それでも、自分の欲求を押し殺し、「淫行」を犯したら滅ぼされるという強烈な恐怖に囚われていた僕には、いくら最愛の相手といえども、「抱き締めたい」とか「キスしたい」とか、そういう欲求を行動に移すことを完全に押し殺していましたし、相手がどういう欲求を抱いているのかを認識することさえできませんでした。

商業高校ですから、ほぼ女子校。男子なんて各クラスに数人。
どんなにダサくても、それなりにモテます。特に後輩から追い回される日々。
まして、いくら男ばかりの家庭に育ったとはいえ、エホバの証人2世。
特に女性と関わるとき、とにかく「傾聴する」習慣が身に着いているので、相手がどんどん話してくれるようになり、親近感を覚えてくれるようになり、心を開いてくれるようになるんです。

子供の頃から、会衆の姉妹(特に母親世代の「おばさま」たち)と毎週、集会や奉仕の休憩のたびに関わり、彼女たちの愚痴を延々、エンドレスで聞かされるという、大半の男にとって苦手な作業。
商業高校という「ほぼ女子校」に進む前、小中学生の時分から見てきた、会衆の姉妹たちは、男にチヤホヤされようとする、言わば「媚びる」女の顔ではなく、日常の、素の女たち。
そんな顔をずっと見てきてたから、いくら思春期になっても、なんか冷めてたというか、現実主義なところがありました。

男には、「課題」があると「解決策」を模索する傾向があります。(特に、いわゆる「定型」の場合)
一方、(これまた「定型」の)女が求めるのは、「解決策」ではなく、ただ「受容」され、「共感」されることです。
だから、女はすぐ群がりたがるし、とっ散らかった会話を延々と続け、「そうだよねー」と互いに相づちを打つ。
本音で「誰がそんなこと思うかいな」と思っていても、そんなのを微塵にも表情に出さない。
特に京女は最強ですね。一流の女優揃い。

話がだいぶ逸れちゃいましたが、本題に戻します。
20歳過ぎてようやく、エホバの証人として自然消滅を果たした僕が、どうやってマインドコントロールから脱したか。これを一言で表すことはとてもできません。
ものすごい回数の試行錯誤、そして築かれた失敗の山たち。

教理と現実が乖離し、常に組織が抱える多くの矛盾。
そして、さんざん危機感を煽っておきながら何度も外れた予言など、エホバの証人が抱える多くの問題点に気づいていても、そもそも思考停止しているから「other answers」の存在に気づかないし、分からない。
そんな僕が「自分で感じ、考える」ことを取り戻すまで、長い年月がかかりました。

物心ついた頃からずっと、自分の感覚を、感情を、欲求をすべて否定し、殺してきていたから、そもそも「わがまま」とは何かがよく分かっていない。
自分が「何がしたい」のか、特に長期的な展望など皆無でした。
21世紀が来るまでに「ハルマゲドン」=この世の終わりが来ると、幼い頃は真剣に信じていました。
だから、自分がいま、こうして中年を迎えることになるなんて、夢にも思ってなかったわけです。当然、定年後、老後のことなんて、全く想像したこともない。
身の回りの兄弟姉妹たちは「ひと足お先に楽園に行ってるね」みたいなノリで亡くなっていく。
でも、ハルマゲドンを生き残り、地上の楽園に入りたい自分が、果たしてエホバ神に滅ぼされないかどうかの確証などなく、不安な未来に怯える日々。

そんな僕が、まず20代は「刹那的に生きよう」と決めました。
「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしてみよう」と。
煙草のおいしさも分からずじまい、ギャンブルにも未だに関心がなく、アニメとかゲームとか全然知らなさすぎて、世間からどんどん乖離していく僕ですが、世間のおじさんたちの飲み会での猥談に付き合える程度には柔軟になりました。
なんせ、おじさんたちの持ちネタが少なすぎる。
スポーツのこと、ギャンブルのこと、酒や煙草のこと、そして女のこと。以上。
だから、共感できる(というより、共感してる素振りを見せられる)のは、女の話だけ。

その異性ネタさえ、中高生時代に数回の恋愛経験はあれど、手を繋ぐ以上の経験に進んだのが25歳という、完璧な「箱入り息子」っぷり。
妄想はどんどんふくらんでいっても、経験値のなさ、そして相手の感性に対する鈍感さが顕著すぎて、「大人の恋愛」とは無縁な日々でした。

「自分を取り戻す」ために、
 ・「自分の感覚・欲求を肯定する」こと
 ・「べき」思考を脱却し、「したい」ことを優先させること
を心がけるようになって、ようやく、自分で考えられるようになってきた気がします。

そんな僕が、マインドコントロールから抜け出すためにもがき続けていたときに思い出した、ふたつの言葉。

ひとつは、小学生当時、個別伝道していた僕たちを家に招き入れてくれ、ずっと僕たちの話を聞いていてくれたおじさんが、最後に述べた一言。

「多様な考え方ができるようになるといいね」

もうひとつは高校時代、定年が近づいたおばちゃんの英語教師が述べた言葉。

「私、いつもスイングしてたいの」

「三十にして立つ、四十にして惑わず」どころか、迷いまくり?ええ歳した大人がそんなんでええん?と、当時の僕は違和感覚えまくりだったのを思い出します。
でも、今になるとよく分かります。
何でも白黒二択なんて、この複雑に絡み合った社会の中ではムリ。
世の中にはたくさんの「グレー」・「レインボー」・「スペクトラム」(連続体・分布範囲)があるということ。
「経過観察」とか、最終回答をいったん「保留」しておくことが必要な場面って、世の中にはたくさんある。
だから、多様な価値観を尊重し、互いの立場を守り、互いを傷つけないために、あえて白黒を付けちゃいけない場面が多々ある。
そんなことが分かっていくうちに、自分も今は「いつもスイングしている」自分を目指すようになりました。

堅い木は、嵐が来るとポキッと折れてしまう。
柳のような「しなやか」で「柔軟」なほうが、じつは強いし、持続性が高い。

いま、僕は「しなやか」で「したたか」であるよう、心がける日々です。

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