メンヘラデビュー:過労で鬱再発、離婚、生活保護申請

僕が鬱病と診断されたのは、最初が21歳、二度目が30歳のときです。
最初の鬱はいったん寛解したので、精神障害者手帳を取得したのは30代に入ってから。以来十年ほど、毎月メンクリ詣が恒例となっています。

幼少期から自律神経失調症と診断されていましたが、小児うつと診断してもらえませんでした。
実家を出て一人暮らしを始めて数ヶ月後、寝込んでしまい、ようやく精神科でうつ病と診断されました。
精神科医の「心を休めなさい」というアドバイスが、当時の自分にとって大きな一言でした。

機能不全家庭出身な両親の長男として生まれ、カルト2世として、精神的に多大な傷を負ってきました。
特に父と関わることで精神的に傷付くことが多かったため、実家を離れたことは自分のメンタルを回復させるための第一歩でした。

幼少期から病弱で、保健室登校も多々あったので、通院すること自体はそんなに苦痛ではなかったのですが、今と違って当時の精神科病院に来てる患者の大半がけっこう重度の統合失調症で、待合室で徘徊してたり奇声を発してたりすることが多く、診察を待つのも苦痛に感じ、精神科の通院はすぐにやめてしまいました。

京都市内で一人暮らししていたのですが、大阪・梅田の会社に就職し、通勤も時間がかかるので通院する時間がなくなりました。
仕事に専念することで、宗教や親子問題で悩む時間がなくなったため、鬱もいつの間にか寛解していました。

メンタルの波を抱えながらも徐々に社会人経験を積み、数年後には正社員として採用され、28歳で結婚しました。
初婚の相手は年上で、熱心に婚活していたため、相性とか確かめる間もなくすぐに入籍してしまいました。

新婚早々に転職。多忙な現場で、ワーカホリックな僕は仕事にのめり込んでいきました。一方、元妻は職場でのいじめを受けて鬱になり、引きこもりになってしまいました。
仕事中も、PHSには元妻からのメールが頻繁に届き、通話もしばしばしていました。
彼女には、辛い思いを吐き出せる相手が僕しかいなかったのでしょう。電話やメールの内容はひたすら愚痴ばかり。それを聞いている僕も段々しんどくなってきました。
それに元々、心に深い傷を抱えている僕には、病んだ彼女を受け止められるだけの精神的キャパがなく、夫婦関係は冷え切ってしまいました。
毎月、元妻が精神科に通院するのに付き添い、精神障害者手帳や障害年金取得のために奔走、特に障害年金に関しては社労士に依頼せず、自分で情報収集し、自力ですべて書類を作成・提出、無事に障害基礎年金受給に至りました。
夫として、仕事を頑張りながら、通院など、僕なりに彼女に尽くしてきたつもりでしたが、心の溝が修復不可能になってしまいました。

夫婦関係が崩れていく中、仕事はますます過重になり、着任から1年半を超えたあたりから、鬱症状がひどくなってきました。
朝、起きられなくなり、そのうち欠勤が続き、出向を解かれて自社待機に。
休職したものの回復の目処が立たず、結局退職。そして離婚。

離婚の精神的ダメージは思った以上に大きく、あの頃が人生でどん底だったように思います。
初めて生活保護を申請しようと区役所に行きましたが、「水際作戦」で追い返されるので、自力だけでの申請は不可能。
大阪市には「生活と健康を守る会」が各区にあり、地元区の生健会の方に付き添ってもらって、ようやく生活保護の申請にこぎつけました。

ちなみに、生健会は地域差が大きく、空白地域があります。
「生活保護支援ネットワーク」という、法律家(弁護士・司法書士)やボランティアの団体が各地にあります。

相談先リスト:反貧困たすけあいネットワーク
http://www.tasukeai-net.org/soudan/

各都道府県の弁護士会・司法書士会が無料法律相談をやっていますので、電話もしくは相談窓口に出向いて法律家と相談し、役所へ同行を依頼してみるのをお勧めします。

また、地元自治体(市町村)の議員に相談してみるという手もあります。
なにせ役所は議員には頭が上がりませんから、ただの一市民に対する対応と、バックに議員が付いている市民に対する対応とでは全然違います。
議員は、私たちの税金で、私たち市民のために働いてくれてるのですから、積極的に活用しましょう。

生活保護申請や、ケースワーカーの違法な指導に対抗する方法については、順次記事にしていきます。

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