初恋

幼いころから好きだった女の子を思い返してみる。

ひとりめ。保育園の同級生。
彼女の母と僕の母、四人で撮った写真がアルバムに残ってる。

ふたりめ。小2で転校したとき、親切にしてくれた姉御肌の子の記憶。

そして、双子のようにいつも一緒にいた従妹。
高校三年間ずっと同じクラスで、たまに弁当を作ってきてくれたり。ほんま妹のような存在。
ただ、性格的には対照的で、つかみ所がなかった。僕には理解できなかった。
せっかちで慌てん坊な僕と違って、彼女は常におっとりマイペース。

そんな僕の初恋は中1の時。吉武さん。
外見は瓶底みたいな眼鏡を掛けてて、なんとなくスヌーピーみたいやなと思ってたことくらいしか印象がない。
胸の大きささえ覚えてないくらい、ぶっちゃけ、性の対象とは見てなかった。
ブルマの股間に釘付けになるような、異性としてつい意識してしまうような女子たちは何人もいたけど、彼女たちはあくまで「鑑賞対象」でしかなかった。

僕が夢中になったのは、美人でもナイスバディでもない吉武だった。
吉武は才女だった。
大人になってから聞いた話によると、彼女は知能検査で市内トップ3に入ってたらしい。そら天才やわな。
唯一苦手なのは体育だけ。他は何をやらせても完璧。
テストはどの科目もトップが定位置。
歌声も伸びやかなソプラノ。
そしてバイオリンを習ってるらしかった。
習字も達筆やった。
そんな彼女が書いたのが「信念を貫く」。
いかにも彼女らしい言葉だと思った。

そんな吉武が思いを寄せていたのはサッカー部の男子だったんだけど、僕はアタックを続けてた。でも、まさか両思いになるとは思ってなかった。
バレンタインの日。教室の机の中にチョコが入ってたんだけど、手紙も何も付いてなくて、誰からか分からずじまい。
中2になって、彼女と別クラスになってしまってから、ようやく両思いであることが判明。
でも、付き合うといっても、せいぜい下校のときに彼女と一緒になる程度。
まだ携帯もない時代。彼女は僕の自宅に電話をかけてくるようになり、親にバレる。
「エホバの証人」の教理において、信者以外との交際は禁止。
そもそも異性交際は、結婚前提だけしか認められてないから、十代で異性交際はNG。
親に別れさせられた。
中2の秋に転校してしまったこともあり、しばらく彼女と連絡を取ることはなかった。

転校先は大荒れ。窓ガラスはほとんど全部割れてた。僕はすぐ不登校になり、中3もほとんど通学してへんかった。

高校に入ってから世界が変わった。
入学して間もなく、同じクラスの子と朝の電車に乗り合わせるようになったんだけど、満員電車で彼女の体と接触して、めっちゃドキドキした。
接触といっても、せいぜい腕か胴が当たるだけなんだけど、僕は頭が真っ白になってしまった。
電車を降りて、駅から学校までずっと、彼女と会話する頻度が増えていった。
吉武への思いは完全なプラトニックな恋愛だったが、今回は初めて異性を意識し、夢中になった。
二学期になってからだったか、ようやく彼女に告白するも、次のアクションをどうしたらいいかさっぱり分からず、すぐ別れてしまった。なのに単一クラスの学科だったもので、その後二年間ずっと同じクラスだったのが、ほんま辛かった。

そんなほろ苦い思いをしたり、高2になって初めて後輩に追いかけられる経験をしたりしてる最中、ある日、吉武から突然の電話が来た。もうすぐ入院するから、その前に会いたいという。
親には一切黙って、僕は吉武に会いに行った。
出町柳駅で待ち合わせ、鴨川を散歩した。
初めて手をつないで歩いた。
それが、吉武との最初で最後のデートだった。
「もうすぐ脳の手術を受けるんだけど、たぶんうまくいくと思う。手術が終わったら東京の音大に行くねん」と、吉武は明るく話していた。

いや、僕を不安にさせないよう、きっと吉武は努めて明るく振る舞ってたんだ。
無知で鈍感すぎる僕は、その時は何も分かってなかった。

その後も、先輩と付き合ったりしてた。
先輩との会話で、さりげなく性的な話をしてみたり。
お互い、関心はすごくあった。
あのまま欲求のままに行動してたら、先輩と結ばれてたのかもしれない。
でも、キスもハグさえもできなかった。良心の呵責から、身体的接触に進めなかった。

そんな甘酸っぱい高校時代が終わってから、本格的に宗教漬けの生活になった。
異性との出会いはほとんどない。
同じ会衆の同年代の姉妹がいたけど、お互いの親の監視も厳しくて、思いを伝えることもできず。

その後、ようやく実家を離れて一人暮らしを始め、思う存分、自慰できるようになった。それだけでもかなりストレスが軽減されたと思う。

その後、何ヶ月後だろうか。
突然、中学の担任から携帯に連絡が来た。
吉武が亡くなったという。

全く予想外の事態に、頭の整理は全くできなかった。
エホバの証人だから、焼香できない。
担任が配慮してくれて、通夜の前日、初めて吉武の実家を訪ねた。
吉武は布団に横たわっていた。眠ってるようにしか見えない。
ほんとはキスしたかったけど、ご両親がそばにいる。
彼女の額に手を当てた。
冷たかった。
そのとき、初めて「死」を体感した。

葬式にも参列できず、墓がどこにあるのかもよく知らないので、未だ墓参したこともない。
「世界の中心で愛を叫ぶ」って映画があったけど、たぶん僕の経験の方がガチだし、辛いと思う。

僕はものすごく後悔した。
吉武にとって、僕は最初で(たぶん)最後の彼氏。
なのに僕が彼女にしてあげたのは、鴨川散歩デート一回きり。
自分がいかに無能で、鈍感で、エホバに縛られて何もしなかったことを、心から悔いた。
愛しい人の死を悼むのに、葬式に参列することさえ許さないような宗教なんて、やってられへんと思った。
それが、僕がエホバの証人と決別するきっかけになった。

あれから十年以上経っても、後悔ばかりで、心の整理がつかなかった。
カウンセリングで、ようやく整理できたのが五年前。
カウンセラーは元看護師。阪神大震災を期に、被災者のメンタルケアのために心理職に入ったらしい。
カウンセラー曰わく、吉武は僕の記憶の中に「病気で弱った自分の姿を見せたくなかったのかも」とのことだった。
なるほど、それが女のプライドなのか。
最後までそばにいてほしいと思うか、美しい思い出のまま終わらせるか。確かにどちらもありかもしれない。

この年になってようやく、吉武の女心を少しずつ理解していった。
その後、二人の女性と交際した。
心も体も結ばれ、お互いを思い合って、とても幸せだった。
愛し合うってこういうことなんだって、ようやく体感できるようになってきた。

もう四十過ぎた中年なんだけど、心はまだまだ未熟。
エホバの証人にうばわれてきた青春を、少しずつ取り戻していくしかない。
遅すぎても構わない。
諦めなければ、必ず幸せになれる。
そう信じて、若くして亡くなった吉武の分まで僕は生きていかねばと思ってる。

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