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『売上10億円を超えた ベンチャー企業の管理職たちの奮闘!』Vol.4:売上10億円の壁を超えるのは、自分を乗り越えること
創業1年半で売上1億円
結論から言えば、この企業Aは2006年に倒産している。Aは、1980年代半ばに人材派遣会社として創業した。当時はバブル経済(1986年~1991年)がはじまる直前の時期で、プラザ合意以降の円高不況を乗り越え、多くの業界や企業で反転攻勢をかけようとしていた。
創業者Mは1970年代からフリーのスチール・カメラマンとして10年程の経験を積んだ後、80年前後から大手運送会社でドライバーを5年程して開業資金を貯め、30代前半の時、1人で起業した。
Mは、気性が激しいために人間関係でトラブルが多かった。私生活でも問題はあり、20代前半で結婚したが、1年で離婚をする。妻との喧嘩が絶えず、時に殴ることもあった。
一方で、ビジネスチャンスを見つける嗅覚やそれをビジネスにするプランニング力や行動力は類まれなものがあった。例えば、80年代後半からテレビ局が衛星放送(BS放送)をスタートするのを80年代前半に知人であるテレビ番組制作会社の役員から聞かされる。その直後から運送会社で働きながら資金1500万円を貯め、80年代半ばの創業時に一気に使いこんだ。
渋谷のマンションの一室を借りて、そこを本社オフィスとして人材派遣の免許をとり、テレビ番組制作会社の役員から紹介された20代のフリーディレクター数人と労働契約を交わし、派遣社員としてテレビ局の衛星放送部に送り込んだ。
局から1人のディレクターにつき、1か月平均70~80万円の派遣料を受ける。そのうち、本人との契約通り、30~40万円を差し引く。それは、本社オフィスの家賃や光熱費、物品購入費、Mの人件費(給与)などとした。この時代は、派遣会社が国内には少なかった。衛星放送へのディレクター派遣がまだ浸透していない。こういう中、Mの狙い通りとなる。競い合う会社はわずかしかないので、派遣するディレクターの数は創業1年半で25人を超え、売上は1億円となった。
1年半程が経つと、ほかのテレビ番組制作会社も自社のディレクターを派遣社員としてテレビ局に派遣するようになる。それでも、Mが経営するAは毎年10~15人のペースで新たなディレクターを派遣することができていた。その数は、ほかを圧倒する。
■もくじ
創業1年半で売上1億円
設立10年目で売上は9億円
退職した社員からは「独裁者」扱い
創業12年目に経営危機に
借りられるだけの額を借りていた
倒産
自分に跳ね返ってくる、とリアルに考えることができない
10億円の壁を超えるのは、自分を乗り越えること