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【生きるつらさ】夏休みは8月31日まで←これも「平成の常識」になりつつある件【いじめ⇨不登校】

 お稽古事で日常的に中学生高校生と会話してるというのもあって(そして精神年齢がクソほど低いというのもあって)自分は若いみたいな勘違いをしているピーターパン症候群系ジジイなんですが、ニュースを見て、夏休みは8月31日までと信じて疑わなかった俺まじジジイじゃん....となった。

教室へのエアコン設置が進んだことで、授業時間を確保するため、かつては8月末までだった夏休みを短縮する動きが広がっている。

・とはいえ、しかし。

 ただまあ、調べたところ、都内の一部をはじめとして8月31日まで夏休みの地域もまだまだあるようです。
 夏休みの短縮とかいわゆるゆとり世代からするとストイックすぎて信じられんのだが(でも土曜日午前中で小学校が終わってお腹空いたーって帰ったときに親がごはん作ってくれてるのがすげー好きだったから、土曜授業がなくなったときの喪失感はあった)、どこの業界もそれみがあるように、教員のみなさんの労働環境の問題もあるだろうし、教員に余裕がないと生徒もえぐらね?とは思うので、夏休みを短縮するにしてもしないにしても、全体的にどうにかなったほうがいい問題が多いんだろうとは思っております。

友生さんが学校で使っていたパソコンを調べたところ、自殺する前の月の時間外労働が、およそ170時間だったことが分かったのだ。

 職種は違うながらも、うちの父親が若い頃に月200時間残業みたいなときがあったらしく、始発で帰って、シャワー浴びて、また出社って生活してたという話を聞いてドン引きした記憶があるけど(てかよくそれで生きてたよな。あとさすがに今は会社としてそういうのは許容してないらしい:有給もきっちり取らされる)、こえぇよぉ。社会まじこえぇ(ニート並感)

 てか働き方改革で思い出したけど、厚生労働省のあれがえぐかった。

・#8月31日の夜に。

 はい。そろそろ本題に移るぞー(^o^)/

 去年だったか、ハートネットTVを見てボロボロ泣いた記憶があるんですが、当事者にはつらすぎるというか、過去にいじめとか不登校とか経験あると心にきすぎて逆につらい、みたいなところがあったこれ(でもすごく良い番組だと思ってる)。

 個人的には大森靖子さんの日記↑が好きです。「ざまあみろって感じ」。最高すぎる。

 大森靖子さん作詞の曲↑をご紹介。道重さんへの愛がすごい。

・#8月31日の夜に

noteでは、夏休みのおわりに向け、みなさんが10代の頃、不安でもやもやした思い出やエピソードを募集します。かつてのご自身の体験談と、そこから時間が経ち、思うことを、「#8月31日の夜に」のハッシュタグをつけて、お寄せください。

 時間が経ち思うことかぁ。まあ少なくとも、当時の自分にポジティブな言葉をかけてあげたいとかそういうのは一切ないですね。学校に行かなかったのではなく行けなかったのに(そしてそのことを引き起こした連中がいるのに)、それが理由で学ぶ機会を奪われたことが心底許せなくて(負けず嫌い笑)、大学卒業したら死んでいいからがんばってと自分に言い聞かせてやってきたから、境遇のわりには学歴があるほうだとは思うし、慶應では本当に先生にも友人にも恵まれたから、今の自分には納得してるけれど。でも、綺麗事ではまったくないというか、つらかったけどがんばりました!(ハッピーエンド)ではぜんぜんないんすよね。
 むしろ、生きるって終わりのないことだから。いや終わりはあるけど。いつか死ぬし、不老不死なんて御免だけど。けどまあ、生きるのって言うほど簡単じゃないし、死にたい人に「生きて」なんて無責任すぎて言えない。生きることで生じる苦しみにはだーれも何にも責任取らないのに、そんなこと言われたって胡散臭いだけ、と当時の自分は思うだろうし、本当に何も言えねぇなぁと思ってます。そのときの自分に対して。
 当時はただただ「嵐」が過ぎるのを待つしかなくて、「嵐」が過ぎさえすればすべて元通りになると信じてたけど、実際は何も元通りにならない。もしかしたら当たり前に思うかもしれないけど、「嵐」が過ぎたあとの人生しかない。喩えとして適切かわかんないけど、家屋が倒壊しちゃったらその瓦礫じゃなくて新たに材料を持ってこないと再び家が建てられないのと同じ感じ。ぜーんぶやり直し。失ったものは何も戻ってこない。
 生きるのがこんなにつらいなんて、難しいなんて聞いてなかった、裏切られた、みたいな気持ち。裏切られたって何だよ、と思うかもしれないけど、そんなの聞いてないっていうか、誰も教えてくれなかったというか、こんなにつらい目に遭うのに生まれなきゃいけなかった意味がわからない、みたいな。生きることは死ぬほどつらいんだよ、って子どもの頃から教えてくれてたらよかったのに。みたいな。
 もちろんこう、年を重ねるとか、あるいは恵まれた環境に身を置くことで考えが変わることはあるんだけれども、それはそのときになってみないとわからないというか、きっと素敵な未来が待ってるよ、とか言われても当時は苦しいだけだったと思う。たまたま俺は素晴らしい先生たちにお世話になることができたけれども、そんなの運が良かっただけだし(まあどうせ死ぬと思ってたからけっこうがむしゃらだったというか、行動力はオバケだったかもしれん笑)

 今の自分のことは好きだし、納得もしてるし、まあそこそこ人生を楽しんでるんじゃないかとも思うけれども、深い悲しみが消えてなくなるわけでも、長生きしたいと思うわけでもないから、世の中にはしなくてもいい経験というのが存在する、とは強く言っておきたいと思います。
 この人だけは裏切ってはいけないと思える先生に、幸運にも何人もお世話になることができたから、一度終わった人生のおまけだと思って、余生っていうかむしろあの世なうくらいの気分で少しでもこの幸運のお裾分けができたらいいなと思って今後の身の振り方を考えているけれども、ここまでくるのにすごく時間がかかったし、この先どこへ行くとしても、無邪気に生きることはできないんだろうなぁと思ってしまう。ずっと問題というか、後遺症を抱えていくんだろうなぁ、みたいな。
 近頃『「うつ」は炎症で起きる』って本が流行ってるらしいから、もしかしたら医学の発展によってすべてがクリアになる日がくるのかもしれないけど、その日まで時間が止まって年とらないわけじゃないし笑、日々は続いていくし。
 あと、大学行ったことでだいぶ丸くなったな自分とは思うけど、根本的な人間不信というか、世界に対する絶望感っつーか信頼のNASA🚀、「あった」ことは「なかった」ことにできる的なあれは未だに解消されてないから、今後解消されることになるのかは知らん。て感じ。希望は持たない。持つとしんどくなるから。ただただ、自分と付き合ってくしかない。

・はるかぜ△

 はるかぜさんかっけー。ということで、バズった一連のツイートから共感できるものを抜粋(読みにくくなりそうだったんで、出典のリンクは記事の最後につけました)。

毎年この時期になると「無理して学校に行かなくて良いんだよ」というツイートがタイムラインに溢れます。一見優しい言葉に見えますし、緊急対応としても間違いではありません。でも、「学校に行かなくてもいいんだよ」と言うメッセージは、本来、いじめている側にかけるべき言葉です。
他人の学ぶ権利を邪魔するのならば、学校には来ないでください。いじめなんてせず、真面目に学校に通いたい人達の迷惑になります。そして、いま現在いじめを受けている皆さん。あなたがたには堂々と学校に行く権利があります。誰にも遠慮せず学ぶ権利があります。その事を絶対に忘れないでください。
なので、夏休みの終わりに声を大にして書いておきます。「いじめをするのなら、学校なんて来なくても良いんだよ」

今の現状では緊急措置として、被害者と被害者家族は逃げることしか出来ないし、命を守ろうと思ったら他に選択肢がないです。でもそれって絶対おかしい。転校の費用、不登校の間に勉強する場所、内申点がもらえないこと、勉強の遅れ、心の病院に通うこと、ぜんぶ被害者とその親が負担をかぶっている。

追記
いちばん不幸なのは、いじめている子だと思う。不登校になることも怒られることもなく、普通に学校に行って卒業して、いじめをしていたことすら忘れて生きていく。自分の罪と向き合う前に、勝手に被害者が不登校になったり自殺したりしてくれる。
果たして、そんな人間ばかりが大量に社会に放たれてゆく社会は健全なのか?いじめられた子どもを学校や社会からドロップアウトさせて、いじめをする子たちの立場を守り、反省させることもなく、立派な社会人としてどんどん育ててゆく教育環境はまともなのか?

 それな。それなすぎて一生それな祭りだけど、一生それなが続いたら困る案件ではあったわ(日本語)。いじめ加害者こそカウンセリングとか受けてご自身のなかの問題を解決していただかないと、いじめられるほうはたまったもんじゃないという。

 結局無理みが深すぎて縁切ったけど、昔いじめをしてたことがあるという人間と関わったことがあって、本当にロクでもなかったというか、べつに俺はそれについて当事者ではないけど人として関わりたくなさすぎる人格だったから、まあ全国のいじめ加害者のみなさんが同じかは知らんけれども、まじでカウンセリングとか受けてくれるならそれに越したことはないなと思いますね。

 ぜんぜん関係ないけど、春名さんのボイスサンプルすげぇえええ。めっちゃ上手くね?声優さんとか声で演技できる人ほんとすごいと思うわ(ぜんぜん関係ない)

春名 「自信があったら他の人を自分より下の立ち位置につける必要がないもんなって」
篠塚 「そうそう。そうなんですよね。馬鹿にするとか、殴ってみるとか、わかりやすい形で自分が相手より上だという感覚がないとやってらんないくらい自信がないわけじゃない。余裕があったらしないよね。もしくはめっちゃ楽しいか」

 これもそれな。「仲良くできないと思うならそっと距離を置けばいいだけのことで、あえて相手を傷付けるようなことをしなきゃ気が済まないのはただの構ってちゃんでしかないで」って書いたことあるけど、いじめるのって自分に自信や余裕のないことの現れでしかないし、クソださいよな、と。

・その場凌ぎで生きても、その場凌ぎの人生

 春名さんのと被るけど、当事者的にはけっこう思ってることではあるこの話٩( 'ω' )و

 正直いじめた側ではなくいじめられた側が排除されなきゃいけない現状はどうかと思うけど(社会はそういうもんだから、ってことなんだろうけど明らかにおかしいでしょ)
 理由があるからいじめていいというのはいじめっ子の理論であり、大人、まして社会人の理論ではない。大人だろうがいじめはなくならないと言う人もいるが、そういう、公の場において自分を理性でコントロールできず周囲に損害を与える存在は軽蔑すべきであっても、肯定すべきでないと個人的には考えている。本当に文字通りコントロールできない事情があるのであればそこは配慮したいところだが、コントロールを放棄している人間には責任が生じるだろう。つーか単純に、相手に落ち度があればなにやってもいい理論だと法治国家なんか無理ゲーなんすよ。ぶつかってきたから刺し殺しちゃいました☆が許されたらたまったもんじゃないだろう。ちょっとしたことを「落ち度」認定して攻撃する人間は実質的にこれくらいぶっ飛んだ自己正当化が行われていることも珍しくないような気がしているのだが、認知の歪みがあるなら見知らぬ人にぶつかるのではなく医療の介入によって解決するのが筋だと筆者は思っている。

 まあ下のやつは迷惑な大人についての話であって、学校生活の話じゃないけど。なんていうか、全体的に、加害行為に及ばなきゃ気が済まないならそれは医療が介入したほうがいいと思うぞ、的な。ストーカーも加害者の治療が大事だったりするけど、どーしても我慢できずに他人に害を与えちゃう系ピープルは病院へGO。カウンセリングへGO。だと思うんすよね。自己正当化してるのが大半だろうから、ある程度の強制力は必要になってしまうのかもしれないけれども。

・「8月31日の憂鬱」

 ふぁい。ちょっと #8月31日の夜に 的なのに戻るけど、いじめ→不登校という意味ではゴリゴリの当事者でありながら、正直、当時のことはつらすぎてあんま覚えてない笑。ので「8月31日の憂鬱」というよりは(なんか『涼宮ハルヒの憂鬱』っぽい響きだ....)、毎日学校から急いで帰って部屋に籠って音楽聴きながら泣いてたなぁ、死にたいとか通り越して消えたいと思ってたなぁ、くらいのぼんやりした記憶しかないんですが。
 ちなみにその音楽ってのはBUMP OF CHICKENなんですけど、聴きはじめたきっかけが(会話が生じ得る)一部の加害者の話題に合わせるためとかいうクソほど切ない理由だったりします笑。我ながら忖度し過ぎではある(まあでもいじめられるとこうなるよね)。だから未だに曲によっては部屋で泣いてたことを思い出してしまうんですが、BUMP OF CHICKENの楽曲は素晴らしいと思ってます。
 そして当時、というかけっこうずっと、風が吹いたらそのまま自分が灰になって消えてしまえたらいいのに、と思ってました。意識なんかなくなって、どこかに散り散りになって消えていけたらいいのに、と。最初から自分はいなきゃよかったと思ってたし、誰の記憶にも残らず消えて、存在ごとなくなってしまえばいいのに、と思ってた。だからか、未だに強い風に吹かれるのが好きです。
 でもさー、こういうこと言ってると、っつーか、精神病むことを揶揄する人間も世の中にはいたりして(本当に脳の炎症が原因だったら、こちとら脳で炎症が起きてるんじゃゴラァ🖕、とか言いたい笑)、そういうのもへんに内面化しちゃったりして、明るく元気に別人格やるしかないっていう。まあそこをクソほど開き直ったのが俺っていうか、どうせ茶番劇なんだから楽しくやろうぜ( ✌︎'ω')✌︎って感じに(良いのか悪いのかわからんけど)なって、そういうノリでnoteもやってるけど。

 もーね、しょうがないの笑。死ぬまでは生きるんだから、いつか死ぬのを待つしかない。でも死ぬまでは生きるしかないから、できるだけ自分が苦しまないで済むように考えてあげなきゃいけない。宇多田ヒカルさん風に言うなら、「痛めつけなくても この身はいつか減びるものだから 甘えてなんぼ」(This Is Love)。
 そのなかで、以前ジュディス・バトラーについて「こういう人がいてくれるんならもうちょっと生きていてもいいのかなと思えた」とか言ったことがあるけど(俺が恵まれてたと言う大学時代の先生方を含め)、どこかでそういう、この世界の良心みたいな人に出会えたらラッキー、くらいなもんだと思う。何を通してでも、自分がそう思える人の存在を知ることができたら、ものすごくラッキー。
 俺個人の場合は、この世界には自分を見付けてくれる人がいる、というか、いた、という事実に少なからず救われたけど、とか言ってもクソほど伝わりにくいと思うけど、一番しんどかった時期に本当の意味で話が通じる人がいなかったから、なんか、自分なんか存在しない気がしていたというか。上手く言えないけど、他人の目に映るステレオタイプや単純な人間像を演じ続けるしかないし、意味の通った言葉を交わすことはないんだろうという感覚があって。あーーー。「ねぇわかる?わかって!」っていうモーニング娘。'19佐藤優樹さん的なあれを使いたい笑
 まあいいやもう。とにかくしょうがないの。どうしようもないの。引きずり上げられた舞台でも、まるで自分から上がってきたみたいに自信満々な態度で道化を演じるしかない。そこが舞台である限り何があってもやりきるしかない、というのはバレエをやってる身だからこそ思うことだろうけど。そしてこれは特に人様におすすめはしないけれども。でもたまーに(稀に?)これは道化なんだなって気付いてくれる人がいて安心する、みたいな。せめてもの救いを感じられる的な。
 はい!たぶんもうこれほぼほぼ伝わらなさそうなんで強制終了しますね。よくわからんわって方はお気になさらず。万が一仮にわかりみあった方はご無理はなさらず....。

・人生はわりとMV撮影(適当)

 もはやなぜDJ縛りなのかもよくわからなくなってきた(最初からわかってない顔)。ところで、kemioさんが『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』という素晴らしい書籍を出していますが、個人的には人生はランウェイってよりMV撮影で(べつにそれはどっちでもいい)、ドヤって自分ワールドでやっていきたいタイプでして。記憶も後からいい感じに編集しつつ、フィルターとかで諸々誤魔化しつつ(人生にもフォトショ加工は大事)、顔が痙攣らないよう自分に嘘つかない程度に楽しくやればいいんじゃないのかなぁ。どうせそのうち死ぬから大丈夫(それは大丈夫とは言わない)。いやでも個人的にはそのうち死ぬってのがけっこう心の支えなんだよな。もう俺関係ねーもん、さよ〜なら〜って。いつかなるから大丈夫。どんな人生でも、どんなに楽しくてもどんなに苦しくても、いつかは終わる。ありがてぇ🙏

まっとうな人生目指して うそを云わないで
正常な神経保っていようとしてんだ此方人等
美味しそうな今美味しそうな旬を美味しく戴く それが人生よ つまり
愛すべき今愛すべきひとと愛し合うまでよ邪魔しないで
相も変わらず都会は剣呑で信じたいものが一番怪しくて
恐怖を覚えていながらどうしても負けちゃあいられない
わたしは今日も合法でキまれんの痺れてんの様見さらせ
天晴よ東京

 気分だけで言うと、椎名林檎さんの『静かなる逆襲』、みたいな?

・あれやっぱ人生ってランウェイじゃね?

 自分はおそらく椎名林檎さんの世界観を理解できてないほうのクチだろうとは思いつつの引用だからあれですが。↓これ読んだときに、あ、俺誤解してるほうだ、ってなった。笑

――やはり、女性のために歌っている曲が多いのでしょうか。男性ファンもたくさんいると思いますが。
 男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)。何か聴くことあるのかな。
――私も誤解し続けてきたのかもしれません(笑)。
 いや、違うんです。ごめんなさい。もし来てくださる方がいらっしゃったとしたら、じゃあ何をご覧になっているんですか? っていう。
――逆に聞きたいと。
 そうです。そうです。だから何かご用意すべきですよね、彼らへのメニューを。ちなみに、今までは一度もご用意したことないです。男性向けと思ったことは1回もない(笑)。これから何か……。いや、でも空回りしちゃうと思います、多分。

 上野千鶴子さんが『女ぎらい ニッポンのミソジニー』という本のなかで「このわたしにしてからが、男を見ているとときどきこのせりふをつぶやきたくなる──なんてこった、同じ生きものとは思えん、しょせん人種が違うからね」(p.37)ってのを読んだとき、これまさに俺が「女性」(あくまでもカッコつきというか、女性全員に対してではない)に対して思ってることじゃん....と思ったんですが、なんか、そういうニュアンスで。
 でもべつにそのうえで、やりたいようにやっていただければ、みたいな気持ちではあるので、たぶん他のファンのみなさんと一緒で、性別がどうとかで椎名林檎さんの楽曲を聴くとか聴かないとかにはならないと申しますか。もう、表現したいように表現してください、としか。やりたいようにやったらいいと思うんです。本当に。うん。何の話だっけ。

 ――アルバムの「日出処」というタイトルは、一連の騒動を逆手にとった確信犯なのでしょうか。
 そういう風にお思いになる方がいても、おかしくないなとは思うんですけどね。意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです。
(中略)
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている。

 ということで(どういうことで?)椎名林檎さんがおっしゃるなら、やっぱりMV撮影じゃなくてメーン・ストリート闊歩がいいですね(一口両舌)。「命短し、目抜き通りを歩こう」。『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』。何でもいいけど、死ぬまでは生きるっきゃないから!メーン・ストリートを闊歩するのみ。がんばっていきまっしょい٩( ᐛ )و(突然の娘。オタ)

・【出典】ツイートまとめ

(画像:いらすとや)

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