しくじりJAPAN#1-1 【メルカリ】山田進太郎 ~凡人の地図~
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メルカリは知ってても、山田進太郎さんの事あまり知らない人は必見👀✨
第一章 “実は悩める凡人、山田進太郎。”
1977年 愛知県に生まれる。父は弁護士、母は税理士という裕福な環境で育つ。
小学校時代は「リーダーについて回る参謀」
やんちゃというよりはおとなしい子供で、友達と遊ぶこともあれば、一人で遊んだり図書館に籠って読書に夢中になるときもある変わった子だった。
論理的なご両親で、自由な教育を実践。中学進学時に、公立と私立のメリットデメリットを説明されていたほどであった。
そんな進太郎少年が選んだのは、「私立東海中学・高校」。
海部元首相や、建築家の黒川紀章など著名人を輩出する中高一貫の男子校の愛知県屈指の名門校である。
「今でしょ!」でTVで見ない日はない、林修先生も本校の出身。
実は、ここで進太郎少年の初の挫折が訪れる。
『凡人』である自覚が芽生えるのだ。
地元では頭が良いグループにいたが、東海ではクラスで下から数番目に転落。
高校に進学しても状況は変わらなかった。
特にトップ100の過半数は理系かつ医者志望で、生まれも裕福で全く歯が立たない。
部活動をしていたハンドボール部では故障してしまい、補欠のまま終える。
しかし、ここで腐らない進太郎少年が考えた生存戦略は
「こいつらは東大進学して官僚になったり、医者になったりしてこのまま競っても負ける。自分の存在価値を示すには、別の山に登るべきだ」
という想いだった。
本好きで小説家を目指したり、建築家を目指してデッサンの勉強を目指したこともあるが、どれも「才能がない」と諦めていた。
ただ、可能性を広げるためには東京だろ!という想いで、自分の限界を考えながら進学先を検討していた。
父が早稲田出身であることもきっかけになり、早稲田大学教育学部に進学した。
入学後の進太郎少年は「アイセック早稲田大学委員会」に入る。
(※アイセック=学生を対象にグローバルなリーダーを育成する世界126の国と地域で活動する国際組織)
そこでは、流暢に英語を使い、社会人顔負けの堂々としたプレゼンを繰り広げるエリート大学生が集まっていた。
自分が勝てると思って、自分の居場所を見つけに大学に進学したのに...
その時の進太郎少年の落胆を想像すると、本当に辛かっただろう。
と、ここまで見ると、あの山田進太郎とはいえ、僕らと同じような考えや悩みを持っていると感じないだろうか?
どことなく、親近感すら湧いてくる。
しかし、ここからが少し違うのだ。
その結果、大学にも行かなくなり家に引きこもりがちになった彼の心を晴らしたのは「本」だった。
ニーチェの哲学思想にある
生産性が無く進歩がない「行動を伴わない“嫉妬“」
が自分に存在している事に気付いた。
自分を凡人と認めて、天才や秀才に嫉妬していることを受け入れた事で、
ここから彼の人生は好転させることになる。
ふりかえり
・愛知で裕福な家庭に生まれた山田少年は、リーダーの参謀キャラだった
・進学した名門校の東海中学/高校で落ちこぼれ、自分が「凡人」と気付く
・居場所を求め父と同門の早稲田大学でもエリートに負ける
・そんな彼はニーチェの哲学書と出会い、「本」を通じて転機が訪れる
以上です!
いかがでしたでしょうか?
古きよき企業や、BtoBで有名な企業よりも、やはり一般人ウケする企業のほうがドヤれると思いますし、
ベンチャー企業のほうがジョブログと同年代の30代サラリーマンには刺さる部分も大きいと思いました(笑)
何より、成功している人物も過去には挫折があり、「凡人」であることを自覚してからどう行動していくかは、
凡人である35歳のジョブログには痛く刺さる上に、追体験をさせてもらえる貴重な人生の先輩だなと感じます。
また来週も続きを楽しみにしててねー!
それでは良い一日を!
Have Fun!
ジョブログでしたー
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