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10/27 高山病の恐怖と、シェルパ族のこと

高山病になって下山した日本人の話

この日まで、私たちは高山病をなめていた。が、その油断からか、高山病の恐ろしさの片鱗を知ることになる。

26日の夜だったか27日の朝だったか忘れてしまったが、ナムチェの同じ宿に泊まっている日本人グループの人たちと、ダイニングで会話をする機会があった。話していると、なんとそのグループが、高田馬場の通な某アウトドアショップの社長や幹部、社員たちということが判明。社員研修(うらやましい!)でゴーキョ・ピークまで行ってきた帰りとのことで、幹部たちはナムチェからヘリで下山するそう。

「標高さえ問題なければ、体力的にはきつくないから、行けますよ」と励ましの言葉をいただいた。が、その後に聞いた話のほうが、強く印象に残ってしまった。

「私たちのパーティでも、1人マッチェルモで高山病になったやつがいてね。歩けるようなら自力で下山させるところなんだけど、それも無理そうだったから、ヘリで下ろしたよ。夕方までは元気だったんだけど、夜中に具合が悪くなっちゃってね・・・

マッチェルモとは、私たちが3日後に宿泊する予定の、標高4,470mの村だ。マッチェルモは鬼門——そんなイメージが、私たちの頭に残った。

ちなみに、ナムチェに到着した日の夜から、ゆかちゃんは軽い頭痛、あやのさんは風邪っぽい症状を訴えていた。私はいたって快調だったのだが、夜ほとんど眠れず。ただ、出先で眠れないのはわりとよくあることだ。27日は行動時間も2〜3時間と短く、シェルパのナワンくんからは「休息日みたいなもの」と聞いていたので、眠れなくてもまあいいかと思って、Kindleで本を読んでいたら朝になってしまった。

絶景の高級ホテルと、残念な点

この日の行動予定は、ナムチェ(標高3,445m)からクムジュン(標高3,780m)まで、歩行時間は2〜3時間程度。通常は、高度順応のためにナムチェで2泊することが多いが、クムジュンはナワンくんの故郷ということもあって、クムジュンまで行って1泊することにしたようだ。

ナムチェからクムジュンまでの道は、エベレスト街道の中でも最も楽しい行程の一つだ。ナムチェからの急登をゆっくり登っていくと、やがてアマダブラム、ローツェ、そしてエベレストと見応えたっぷりの雪山が並ぶ景色を眺めつつ歩けるトレイルに出る(写真ではちょっと雲がかかっているのがエベレスト、その右がローツェ、尖っているのがアマダブラム)。

このあたりで、初めてヤクにも出会える。ここまででよくすれ違っていたのは、ヤクと牛の混血であるゾッキョ。ヤクは寒いところでしか暮らせないため、この標高3,700mを超えたあたりでようやく見ることができるのだ。ヤクのほうがゾッキョより体が大きく、毛が長いのが特徴で、どこか野性味が溢れている。ゆかちゃんは「ヤクかわいい〜!」と興奮していたが、あやのさんは「頭が悪そう。こわい」などと言っていた。

さらに進むと、約50年前に日本人が建てた立派な『エベレスト・ビュー・ホテル』がある。ここのテラスでヒマラヤの絶景を眺めながらお茶するのが、トレッキングの定番だ

ただ、ここに関しては、ナワンくんから悲しい話を聞いた。何の気なしにナワンくんに「エベレスト・ビュー・ホテルに泊まったことある?」と聞いたところ、「YES。だけど、厳密には僕は泊まってなくて、僕のお客さんが泊まっただけなんだ」と言う。

通常、エベレスト街道のロッジでは、ガイド専用の部屋を用意していたり、村内にポーター専用の宿があったりと、ガイドやポーターも同じ村か宿に宿泊する。ところが、エベレスト・ビュー・ホテルは高級ホテルなので、現地のガイドやポーターは泊まれないのだそう。近くに他に宿はないので、シェルパの多くは1時間弱ほど進んでクムジュンに泊まり、ポーターは1時間強ほど戻ってナムチェに泊まるしかないとのこと。

日本で同じことをしたら旅館業法違反になるところだ。早く改善されるといいのだが・・・。

シェルパとポーター、実は全然違う

エベレスト・ビュー・ホテルを出て林道を少し進むと、木々の間から緑の屋根がちらちら見えてくる。ここから少し下れば、ナワンくんの故郷であり、「シェルパの里」と言われる、クムジュンに到着する。

ここで、シェルパについて少し説明しておきたい。山好きな人でも、「シェルパ」というと「ヒマラヤ登山のガイド」ぐらいのニュアンスでとらえている人が多いのではないだろうか。かく言う私もそうだった。

ネパールには60以上の民族がいるが、シェルパとはそのうちの一つ、シェルパ族のこと。彼らはここクムジュンや、翌日泊まる予定のフォルツェ、それにターメといった高地の村を出自とする、チベット系の民族だ。ネパールでは、彼らが主に外国からのヒマラヤ遠征隊のガイドを務め、ルート工作や荷揚げを行う。あとから写真家の石川直樹さんに聞いたところによると、中でもクムジュン出身のシェルパはエリートなのだそう。

私たちのトレッキングを助けてくれている現地の人として、シェルパのナワンくんの他に、ポーターのニルバーナくんとティラクくんがいる。このポーターの2人はシェルパ族ではない。ポーターはライ族など、ナムチェより下のほう出身の他の民族が務めることがほとんどだ。

トレッキングを続けていると、ガイドを務めるシェルパと、ポーターとでは、かなり境遇が違うことがわかる。シェルパたちは英語やフランス語、日本語など外国語を流暢に話し(ナワンくんの場合は、シェルパ語を母語とし、シェルパ語によく似たチベット語、公用語であるネパール語、ネパール語によく似たヒンディー語、英語、日常会話レベルのドイツ語を話す)、身なりもきれいにしている。それに対してポーターたちは、民族の言語とネパール語を話すが、英語は拙い人が多く、荷物を運ぶという仕事柄もあると思うが、シェルパほどきちんとした格好をしていない。

この差は何かと考えてみるに、おそらくもともとは住んでいる場所の標高の差だけだったのではないか。それが、シェルパ族は高地出身ゆえに特に高所に強く、外国からの登山者のガイドやルート工作、荷揚げに重宝された。そのうち、シェルパと登山者の関係が密になり、外国からの支援がシェルパに集中するようになって、そのことが民族間の貧富の差や教育格差につながったのではないか、と推測する。

こういうリアルな格差を目の当たりにすると、「お金」と「教育」、そして「職業」の関連性を実感せずにはいられない。

高度障害から、完全に弱気に・・・

何はともあれ、クムジュンに着いた。

クムジュンは人口約2,000人、緑の屋根の家が並ぶ、美しい村だ。民家は緑の屋根、僧院は赤い屋根と決まっているのだそう。ロッジやレストランはほとんどないため、ここに泊まるトレッカーは少なく、高山に囲まれた静かな村の雰囲気を存分に味わえる。

ところが、宿に着いたころからゆかちゃんが頭痛を訴え始めて、昼食がほとんど食べられない状態に・・・。昼食後、クムジュンの僧院や学校を見学に出かけたが、ゆかちゃんは僧院を見たところで、ナワンくんと一緒にロッジに戻った。あやのさんと私は、クムジュンの学校を見てから折り返した。

私たちのロッジは、ナワンくんの実家の近く、クムジュンの中でも高い場所にあった。いちばん低い位置にある学校からロッジに向かって登っていくと、少し頭痛がしてきた。このぐらいの標高は何度か経験済みだったので、完全に油断していた

その後は、夕飯の時間になっても食欲が湧かず・・・。ゆかちゃんも頭痛がひどく、一度吐いたそうで、夕飯もほとんど食べられなくて、辛そうだった。あやのさんだけは、昨日より元気を回復した模様。

私もついに初めてダイアモックス(高山病予防薬)を半錠飲み、努力呼吸と多めの水分補給をしてみたものの、何となく胸焼けがする感じは夜になっても取れず、眠れない。パルスオキシメーターが示すSpO2(動脈血酸素飽和度)も70台と低い。今さら、エベレスト街道で高山病になった人のブログなどを読み漁って、さらに不安になる。胃薬(ガスター10)と吐き気どめ(ガスモチン)を飲んで、深夜2時ごろだったか、ようやく眠ることができた。

まだ標高3,780mなのにこの状態では、この先いったいどうなってしまうのか・・・。このときはかなり弱気になって、正直5,357mまで行くのは無理かもしれないな、と思い始めていた。

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