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第3回 「コロナウィルスはわたしに何を伝えに来たと思うか?」(2020.5.23)

 新型コロナウィルスの感染拡大は、私の生活の核の一つである仕事、そして今の生活を成り立たせている収入に少なからぬ影響を及ぼしてきた。そこから生まれた不安は、「仕事とは?」「人生に大切なものとは?」「生きるとは?」など、普段はぼんやりとしか考えていないような哲学的な問いへと、私を向かわせた。今回は、主に自分の頭の中でぐるぐると考えたことを書いてみる。

 3月25日にハワイ取材が終わって帰国するとき、すでに4月刊行予定の『ハワイ本』の発売が延期されるかもしれないという話が出ていた。現地在住のコーディネーターは「発売が延びると入金が遅くなるから困る」と言っていたが、私は膨大な量の担当ページを抱えていたので、延びてくれたほうがむしろ安心だな、ぐらいに思っていた。ハワイでは3月17日から徐々に飲食店への休業要請が始まっていて、経済活動が止まり始めていたが、日本ではまだ日常生活にそれほど変化がなかったことも関係していたと思う。

 収入面で不安を感じ始めたのは、4月10日ごろだっただろうか。私が前の職場で主に担当していた媒体で、今も毎号制作に携わっている季刊誌『RETRIEVER』の発売を延期したほうがいいかどうか、という話が出たときだった。私にとってこの定期の仕事は、あることが当たり前の、日常の一部だった。それに加えて、このコロナ禍は半年〜1年は続くだろうと覚悟していた私は、延期したところでコロナは治らず、ずるずると発売時期を逃して、そのまま休刊になってしまうのではないかと恐れていた。そもそも今の仕事が、他に変わるものがないほど重要なのかを考えるまでもなく、安定収入が崩れることへの恐怖を感じたのだ。

 出版業界は昔からの因習で、発売月の翌々月に入金されるのが一般的だ。書籍の場合、例えば企画出しから1年かけて制作したとして、今から仕事を作っても入金されるのは1年半近く先になる。それでは間に合わないので、そうなると、やりたいかやりたくないかを考える余地なく、当面生活するための仕事をせざるを得なくなってしまう。収入がなくなって何より恐ろしいのは、「生活が苦しいなら実家に戻ってきなさい」と親から言われることだ。私は自分の人生のコントロールを手放したくない。

 収入が減っていく中で、「自分にとって本当に必要なものって何だろう?」と考える。ごくシンプルに考えれば、本来自分が生きていくために必要なのは、まず食べ物。次に、最低限の寝る場所と着るもの。最悪それだけあれば生きていけると思えば、不安は少し和らぐ。そう考えると、田舎で野菜を育て、牛や鶏でも飼いながら生活したらいいのかもしれない。

 ただ、私は単純なことの繰り返しに飽きてしまうタイプだ。新しいことを学んだり、知ったり、気付いたり、考えたり、体得したりしているとき、脳から何か快楽物質が出ているのを感じて、「生きているなあ」と実感する。例えば、自分が知らない考え方や発想をする人と話したとき、世界観を揺るがされるような本や映画に出会ったとき、アウトドアで新しい分野に取り組んでいるとき、そのためのトレーニングをしたり講座を受けたりしているとき。そして、こういうとき自分のアンテナは、自分自身を含めた「人間」に向いている。だから、どんな場所、どんな状況でも新しい経験はできるけれど、ある程度人間がいて文化のある場所にいることが必要だし、できるだけ旅には出かけたい。そう考えると、やはりある程度のお金は必要になる。

 そもそも、仕事とは何だろう? 私は最近まで、仕事とはそれをすることで人の役に立ち、多少なりともお金が発生するものだと思っていた。そして、自分が思いついてやりたいと考えた仕事よりも、人から頼まれた仕事のほうが優先順位が高いと考えていた。なぜなら、人から頼まれた仕事は、それをすれば少なくともその人の役に立つことができるからだ。それに加えて、人の考えた仕事に乗っかるほうが楽ということもあるだろう。

 しかし本当は、自分がやりたいと思ったことを仕事にしていいし、自分が「これは大切なことだ」と思えばそれは自分の仕事なのだと、最近思うようにしているし、そう思いたい。人の仕事を一生懸命やって疲弊するだけでなく、自分の仕事にこそ一生懸命にならなければ。

 そう頭では思っているけれど、何かをやりたい、やろうと思いついたとき、「やめときなさい」と私を止めるのも、安定したレールの上を歩かせたい母親の声だ。18歳から親と物理的に離れて暮らしているのにもかかわらず、親の支配から逃れられず、「自分がやりたいことをやる」というごくシンプルなことを、いまだにできずにいる自分に気づく。親のお金をうまく利用して、自分のやりたいことを実現するというふうに、したたかに生きられたらいいのにと思う。私は、自分自身への信頼がまだまだ足りていないのだなあ。

 コロナ禍を通して、私が受け取ったメッセージ。それは、生活の基盤が揺るがされることで突き付けられた、「自分はどう生きたいのか」という根本的な問いだ。その答えはまだ出ていないし、永遠に出ないのかもしれない。しかし、同じことを繰り返すだけの日常の中では、つい忘れてしまいがちなこの問いを、これからも日々問い直しながら生きていきたい。

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