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第1回「コロナウィルスを知って以来、わたしは何を体験してきたか」(2020.4.25)

 今まで「感染症は過去のものか、発展途上国など衛生状態が悪い場所のもの」という差別意識を含んだイメージを持っていた。新型コロナウィルスが世界中で広まりつつあった1〜3月も、現代日本の都市部に暮らす自分の日常が脅かされるなんて思いもしなかった。なぜか自分の日常だけは、今立っている場所や価値観は揺るがないと思い込んでいたのだ。

 3月15〜25日、私はガイドブックの取材でハワイ出張に行っていた。11日にWHOがパンデミック状態にあると表明し、13日には米トランプ大統領が非常事態宣言。私の滞在中、ハワイは感染拡大防止のための制約がどんどん強まっている時期だった。17日、ハワイ州知事が会見し、これから30日間ハワイへの渡航を控えること、バーやクラブの営業を自粛することなどを要請。20日、飲食店のイートインの営業禁止、ビーチや山を含め公園や公共施設への立ち入りを禁止。24日、不要不急の外出禁止。

 こんなに規制を押し進めて、ハワイの経済は大丈夫なのかと心配になる半面、厳しい制約をハワイの人たちが「仕方ないね」と受け入れているのを見て、「こんなことしたら日本では不満が爆発するだろうに」と不思議に思った。一方で、日本にいる人たちのSNSでは、みんなが飲食店に食事に行ったり、お花見をしたりと呑気に過ごしているのを見て、ハワイとの落差に戸惑った。

 25日18時ごろ、できる限りの取材を何とか終えて、予定通り帰国。日本に着いてからの入国審査や検疫が厳しいのではと覚悟をしていたのだが、肩透かしを食らった。厳しい検査や忠告などはなく、完全にいつも通り。入国審査は機械にパスポートをかざすだけ、検疫は足裏の消毒マットとサーモグラフィでの体温測定だけ。空港にはコロナの「コ」の字も見つけられなかった。

 いやいや、おかしいでしょ。帰国者からウィルス感染が広がってるって、政府も報道でも散々言ってるよね。しっかりやってると思ってた水際対策って何なの? “帰国者差別”を煽るだけ煽っておいて、国は何もしないわけ? 日本の政府はある程度ちゃんとやっているはずという思い込みは一転、強い疑いの気持ちに変わった。帰国した日から、私はコロナウィルスについて、自分で調べ始めた。

 いろいろな情報を追う中で特に印象に残ったのが、安倍晋三首相の会見と、2月20日に岩田健太郎教授が日本外国特派員協会で英語で行った、ダイヤモンド・プリンセス号の状況を告発する動画に関するオンライン会見の違いだった。安倍首相の、記者の質問に全然答えていない会見を、最初は「いつものことだ」と諦めに近い気持ちで見ていた。ところがその後、岩田教授の会見を見て、「いや、やっぱりおかしいよね」と思い直した。岩田教授は、1人1人の記者の質問にあいづちを打ちながら聞き、質問の意図が理解しきれない場合は聞き直し、丁寧に答え、「これで答えになっているでしょうか?」と確認していた。自分の話を人に理解してもらうための会見なら、本来こうであるはずだ。ところが、安倍首相の会見には、記者や、その向こうにいる国民に伝えようという気持ちも、理解しててもらえるはずだという信頼感も感じられない。「会見をした」という体裁のためだけの会見としか思えない。

 ハワイではなぜみんな厳しい制約を受け入れていたのか。その答えの1つに、政府や自治体からの情報量・コミュニケーション量があると思い至った。ハワイでは、コロナに関して何か発表があるたびに、イゲ州知事が会見をして、直接市民に語りかけていた。そこでしっかり情報を伝えているから、ハワイの人たちはコロナウィルス感染が広がることの危険性を理解し、制約もまた「仕方ないね」と受け入れていたのではないか。もちろん、これは危機的状況になってすぐできることではなくて、日ごろから知事と市民との間で信頼関係が築けているからこそだろう。

 それともう1点、高橋源一郎さんのラジオ番組「飛ぶ教室」に、ゲストでイタリア在住のヤマザキマリさんが来ていたとき、欧米と日本との違いを話していてなるほどと思った。ヤマザキさんいわく、この状況で仕事に行くなどと言おうものなら、欧米の人たちからは「命とお金どっちがが大事なの!?」と言われるらしい。シンプルに考えれば、当然命のほうが大事なはずだ。それなのに、日本では経済的に苦しくなって追い込まれると、人に助けを求められず自殺してしまう人もいる。政治家は当然のように、感染対策よりも経済を優先しようとする。日本の社会には「お金がなくても生きていていい」というメッセージがないのではないか。

 「誰もが生きているだけで価値がある」。そう思うし、口に出して言いながらも、私自身も「人に必要とされる人間でいなければ」という強迫観念を強く抱いて生きている。自分自身に対しても、「生きているだけで価値がある」と思うことができていない。日本の社会では、実はみんなが同じ「人に迷惑をかけるヤツは生きていてはいけない」というゴーストロールに苦しめられ、お互いに追い詰め合っているのではないだろうか。

 コロナウィルスを知って以来、私が体験してきたこと。それは、自分の立っている強固だと思っていた場所が、足元から崩れていくような感覚だった。そんな中で、まわりの同調圧力に惑わされることなく、今、自分にとって本当に大切なことは何かをもう一度考え直そうと思っている。

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