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第2回 「わたしはコロナウィルスからどんな影響を受けているか?」(2020.5.9)

 3月25日にハワイ取材から帰国して、日本政府の新型コロナウィルス対策のいい加減さに疑いを持った私は、専門家の発信や海外の情報を中心に、コロナについて自分で調べ始めた。コロナ感染の特徴や、海外の感染拡大の状況など、知れば知るほど、このままでは日本はかなりまずい状況なのではないかと危機感を募らせた。

 これだけ世界でコロナの危機が叫ばれているのに、いまだに電車に乗って通勤する大勢の人たち。飲食店で食事を楽しむ人たち。マスクをしない、あるいはソーシャルディスタンスを守らず近づいてくる人たち。「政府や会社が何もしてくれないから」と普段通りの生活を続ける人たち。

 そんな状況を見ていられなくて、「自分が感染しないように、まわりに感染させないように、各自で考えて行動してほしい」ということを、SNSやパフスクール通信で強く訴えた。コロナの危険性をはっきり伝えない政府に対する怒りももちろんあったが、政府や会社のせいにするばかりで、自分で情報を取りに行き、考え、行動しようとしない人たちに対するいら立ちもあった。4月上旬ごろのことだ。

 この状況でも出勤せざるを得ない友人たちや、仕事を続けないと生活が危うい人たちを追い詰めかねないという自覚はあった。ただ、いろんなエクスキューズを付けると自分の言いたいことがはっきり伝わらないと思い、あえて付けなかった。

 その後、荻上チキさんのラジオ「Session-22」で、キャバクラ、性風俗、クラブで働く人たちや、東京に約4000人いると言われるネットカフェなどでの生活者、介護施設で働く人たちなど、このコロナ禍で最も大きな影響を受けた人たちの話を聞いた。また、パフスクールのオンラインミーティングでは、「アルコール依存症や摂食障害の自助グループの仲間は、普段から死が身近なのでコロナであまり騒いでいない」という話を、スタッフの1人から聞いた。そういう人たちがいるのは想像していたが、生の声を聞くと、自分の発信がそういう人たちを追い詰めていなかったのか、不安になる。コロナの危機感の伝え方は他になかったのか、それはいまだにわからない。

 私自身の経済状況に関して言えば、対面での取材や撮影ができなかったり、テーマ的に自粛期間にそぐわなかったりで、ほとんどの雑誌の発売が延期になって、収入が減りそうな予兆はあった。ただ、自宅でできる作業も多く、仕事への影響は比較的少ないほうだと思う。また、少額だが家族絡みでの定期収入があり、親に頼りたくなくてそのお金には基本手を付けていないが、どうしても困ったらそれを使う選択肢もある。さらに困窮したとしても、日ごろから「地元に戻ってこい」とうるさく言ってくる親を頼って、実家に身を寄せるという最終手段もある。

 そもそも、私には“ステイホーム”できる家があり、助け合えるパートナーや、癒してくれる犬がいる。都内で移動せざるを得ない状況になったとしても、自家用車で移動する選択肢がある。高齢ではなく、持病もなく心身ともに健康。仕事柄、情報収集能力や理解力、発信力にも長けているほうだ。

 私はどう考えても恵まれているし、コロナ影響下の社会では強者だ。

 これは今に始まったことではなくて、もともと私は社会的強者の面も持っていることに気付いていた。コロナの一件でそれが顕在化しただけだ。特に、「借金を抱えて困窮した」「その日食べるのにも困った」「本当にお金に困った経験のない人は信用できない」など経済面で苦労した人の話を聞くたびに、「すみません」という気持ちになる。「本当にお金に困ったことがない」ことは、本来は恵まれていると喜ぶべきことのはずなのに、私にとっては逆に引け目になっていて、劣等感に近いものを感じている。自分が強者の立場に立ったとき、弱者の立場の人に対してどう接していいのかわからず、戸惑ってしまう。

 私よりもっと恵まれた境遇にいる兄や弟は、こういう感覚を抱いているようには思えない。この兄弟との違いには、私が“女”であり、セクシュアルマイノリティであるという、社会的弱者のアイデンティティも持っていることが関係しているのではないか。

 ロールスイッチをしてみよう。私が“女”として、セクシュアルマイノリティとして弱者の立場に立ったとき、信用できると思う強者とはどんな人だろうか。それは、ジェンダーやセクシュアリティの問題に自分ごととして向き合ってくれる人だ。「理解してあげる」「認めてあげる」ではなく、「この問題は自分にも関係していることだ」「この問題を解決することは、自分を含むみんなにとってよい社会を作ることになる」「切り口を変えれば、自分も似たような立場になることがあるだろう」「あなたの問題は私の問題だ」、そう考えてくれる人。自分の持つ力を、弱者や社会全体のために使える人。

 どうしても、自分が弱者の立場にある問題にばかり関心が行きがちで、強者の立場にあると困ることがないので、その問題に気づかなかったり、関心が向きにくかったりする。しかし、私は他の人の足を無自覚に踏みたくない。自分が強者の立場にある問題に関しても、自分ごととして考え、行動や発信をするように心がけたい。それには、日ごろからいろんな情報を仕入れ、いろんな人と率直に話をするのはもちろん、知らなかったり気づかなかったりしたことには「知らなかったので聞かせてください」と、上からでも下からでもなく対等に向き合っていきたい。さまざまな格差が顕在化したコロナ影響下の社会で、そんなことを考えさせられた。

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