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「こちらが正しい」と思うときこそ、本当に慎重に

 世の中には優秀な人も多いが、もしその人が、優秀さと正義を振りかざし、まわりから反感を買ってしまうような人だったとしたら。

 残念ながら、そんなケースはとても多い。せっかくの「優秀な」能力が活かせない状況に自分自身を追いやってしまうばかりか、むしろ「あいつとはまともに話が通じない」という評価が定着してしまい、お荷物人材みたいな扱いになってしまうという悲劇が起きる。

 自分が高校生のとき、はじめてこういう類の人と遭遇した。同じ学年の同級生だ。確かに頭はよく成績もいいのだが、とにかく、舌鋒鋭く他人と議論することが大好きだ。そして一度議論が始まると、自分は一歩も引くことなく、とにかく相手の不備や間違いを鋭く突いて攻撃してくる

 そしてその言い方もとてもキツい。とにかく上から目線で、「なにも知らないだろうからオレが教えてやるよ」といわんばかりの態度で詰めてくる。その結果、彼の近くには誰も寄り付かないようになってしまった。せっかくの頭脳、もっとみんなのために活かせる道もあっただろうに... もったいないなあと高校生ながらに感じたものだった。


 そしてその後も、こういう類の人とは、人生のあちこちで遭遇することになる。

 確かに、仕事をしたりプロジェクトを進めていく中では「明晰な頭脳」はとても重宝されるし、ロジックを戦わせ、ものごとを詰めていくプロセスは非常に重要だと思う。仕事のクオリティや完成度に対し、ある一定の厳しさや細かさがないとその精度は担保できない。

 だがしかし、それ以上に、人間としての「感情」をお互いに理解することがとても大切だ。仕事とは、人間と人間が、いろんな事情を抱えつつも互いに譲り、協力して進めるもの。だから、実際のところ、正論だけでは解決できない問題もとても多い。多くの人が日々、実感していることであろう。

 だから完璧を求め過ぎず、お互いに譲り、妥協し、ときにはあえてユルく甘いままで置いておくことも大切。たとえそれが、「あるべき、正しい」姿ではなかったとしても。

 普通の大人であれば、上のような感覚はだいたいわかるはずだ。たとえ若い頃は血気盛んな性格だったとしても、人間関係での失敗を繰り返す中で、距離感とか、お互いの呼吸とか、譲った方がいい局面とか、徐々に体で覚えていく。そのように気を付けることにより、たとえ自分の考えや正義を引っ込めたとしても、結果的にみんなが満足できる最大限のパフォーマンスに近くづことを学ぶ。


 しかし、いくつになっても、いくらキャリアを重ねても、「譲る」ことが理解できない人がいる。それも、若い頃から「優秀」と言われ続けてきた人に多い。

 そういう人をみるにつけ、単に「知識があり、頭の回転が速い」だけの人と、本当の意味で「優秀」な人は、まったく違うカテゴリなのだと理解するようになった。むしろ、「頭だけはいい」のだけど、バランスを欠き、まわりとの軋轢ばかり生んでしまうような人は、「優秀とは程遠い位置にいる」といえるのかもしれない。

 

 こういう人は、えてして、チームや組織全体の足を引っ張って生産性を落としてしまう。単に「知識もあり、頭が良さそう」という理由だけで間違ってこんな人をチームのメンバーとして迎え入れてしまうと、「なにもできない無能な人」以上に困った事態を引き起こす

 もし無能な人であるなら、単に生産性が0というだけ。しかし、仲間であるメンバーを遠慮せずにガンガンに攻撃してしまうような人は、チーム全体のパフォーマンスを大きなマイナスに陥れてしまう。最悪の場合、チームの雰囲気がめちゃくちゃになり、崩壊してしまう場合だってある。「いい人」ほど、その苦労を背負い、とても胃が痛い思いをすることになる。不条理だが、そういうものだ。


 かなり、極端な人の例を書いてきた。しかし、「こちらの方が明らかに正しいはずなので、相手を論破したい」という気持ちは、多くの人もいくらかは持っているはず。もちろん、自分だってそうだ。だから、上に述べてきた極端な人の行動を反面教師として、私たちが学べること、気付けることはたくさんあるはずだ。


 人間、一度でも「こちらこそが正しい、正義だ」と思い込んでしまうと、他の意見はなかなか聞き入れにくくなる。それがとてもまっとうな反対意見だったとしても、自分自身が心を閉ざしたままだと「なんでコイツはここまで分からず屋なのだろう」という負の感情がたかぶるだけだ。

 そして反論されればされるほど、防御を固め、自分の話を正当化しにかかる。主張が崩れると、自分自身の存在意義も崩れるなどと思い込んでしまうから、譲ることができなくなり、「こちらが正しい」の一点張りで押し通してしまうのだ。

 だからこそ、「自分こそが正義」と思ったときほど、一度深呼吸し、冷静になり、相手の置かれた立場にも思いを馳せるべきだ。「正義の反対はまた別の正義」みたいな格言があるが、それはあながち間違っていないようにも思う。


 「自分の意見を押し通す」ことが勝ちではない。それだと、上の「極端な人々」と同じ行動パターンをとっていることにもなる。ときには譲ること、負けること、それこそが、大人としての本当の「勝ち」であり、自分の真の目標に達するための最短ルートだ。それがわかる、本当の意味で頭のいい人間になりたいもの。


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