脊髄損傷 再生医療の挑戦① iPS細胞の登場で、光明が見えてきた
損傷を修復しても麻痺が残るケースが多い
脊髄損傷の患者さんは、とてつもなくつらい。他の病気などとは違って突然、気がついたらなってしまっている。治しようがないことを知ると、絶望感といたたまれない気持ちになります。
脊髄は脳から背骨を通って下方に伸びている神経の束で、体全体の運動や感覚、排泄、自律神経機能などをコントロールしています。脊髄が損傷すると、損傷した部分から下に麻痺や感覚障害、排泄障害、自律神経障害などの症状が現れます。
原因は交通事故や転落事故、スポーツ・運動中のケガなど外傷によるものです。近年は高齢者の軽微な外傷、転倒などでも発症しています。
脊髄損傷の治療は損傷の程度や部位によって異なります。軽度の脊髄損傷では安静とリハビリテーションで症状が改善する場合もありますが、重度になると手術で脊椎の損傷を修復し、神経への圧迫を取り除いても麻痺が残るケース
が多い。そこで、リハビリテーションで残った機能を最大限に活用できるように訓練を実施します。
今のところ脊髄の損傷によって失われた機能を完全に回復させる方法はありません。現在は、さらなる損傷を防ぎ、損傷を受けた患者さんが活動的・生産的な生活に戻れるようにすることに重点を置いています。
iPS細胞由来神経幹細胞移植により脊髄の再生を図る
脊髄を損傷すると、脳から伝達されたシグナルが末端まで、うまく伝わらず、手足の運動障害、感覚の麻痺、自律神経障害などが起こります。これまで脊髄を含む中枢神経系は重度の損傷を受けると二度と再生しないとされてきました。
命を救うことができても麻痺を治すことができなかった。その常識を覆す可能性を秘めているのがiPS細胞由来神経幹細胞移植による脊髄の再生と運動機能の回復を目指した治療です。
2021年12月、慶應義塾大学で「亜急性期脊髄損傷に対するiPS細胞由来神経前駆細胞を用いた再生医療」の臨床研究における第1症例目の患者さんに対し、ヒトiPS細胞由来の神経前駆細胞の細胞移植が行われました。
iPS細胞を神経の元となる神経幹細胞へと育てた後に移植し、脊髄を再生させようという試み。有効性や安全性評価を含めた経過観察とリハビリテーションを継続していく必要があります。
村山医療センターは移植後の患者さんを受け入れ、経過観察と安全性評価の部分を担うことになりました。
iPS細胞を用いた脊髄損傷治療を牽引されている慶應義塾大学の中村雅也教授は私が慶應義塾大学医学部の学生だったときの2つ上の先輩。中村先生も私も、ずっと以前から「脊髄損傷をなんとかしたい」という強い思いを抱いていました。
村山医療センターに着任して8年経ち、脊髄損傷に立ち向かえる体制を築きました。大学院で脊椎・脊髄を研究していた先生が当院に集結、脊椎を専門にする医師は14名、日本整形外科学会専門医は11名、日本脊椎脊髄病学会脊椎脊髄外科指導医は8名を数えます(2023年6月現在)。
脊椎・脊髄を専門とする整形外科医が14名もいる病院なんて他にはないでしょう。60床の脊髄損傷専門病棟も有しており、脊髄損傷患者さんの急性期治療から回復期治療、自立に向けてのリハビリテーション、家屋改造のアドバイスに至るまで、総合的な医療を提供しています。
脊髄損傷に取り組むきっかけは学生時代
中村先生と私が脊髄損傷の治療を始めるきっかけは学生時代にあります。中村先生と同期の医学部の学生が事故で頸髄損傷になり、手も足も動かせず、肩をすくめることしかできなくなってしまいました。
その方が事故後2年経って車椅子で大学に復帰しました。私と同学年になったわけです。最初はクラスに母親が車椅子を押して来ている学生がいるが、なぜだろうと思っていました。
そのうち仲良くなり彼と遊びに出かけたり、家にお邪魔して話を聞いたりするようになりました。そこで頸髄損傷は治らないことを知り、驚愕しました。
彼と一緒にファミリーレストランに行って隣に座った時に初めて気づいたのですが、食事を食べようとしない。当然です。手が動かないのですから。食事を口に運んであげないといけない。彼の口にご飯を持っていくという、食事介護を初めて経験しました。
彼も大変ですが、介護者も大変です。これから一生、こうしたことを誰かにしてもらわないといけない。それが一生続くと考えた時に脊髄損傷の人たち、そして周りの人たちの大変さを初めて自覚しました。
受験をくぐり抜けて大学の医学部に入ったので、「もうなんでもできるだろう」「どんな医者にもなれるだろう」「多くの患者さんを救っていけるだろう」と、かなりうぬぼれた気持ちを持っていました。
ところが、医療では治せない病気があるのだということを頭の中だけではなく、初めて実感として知りました。その時の衝撃と現実が「脊髄損傷をなんとかしよう」と思い立ったきっかけになりました。
手術直後に足が動くようになった
当院では急性期から慢性期までの脊髄損傷の患者さんを広く受け入れています。静岡県で海難事故にあい、頸髄損傷になってしまった方も受け入れました。「県内の病院で受け入れた」との連絡があり、その日の内に当院の医師が現地に向かいました。
翌日、救急医療用のヘリコプターに患者さんと同乗し、調布飛行場を経由して当院に迎え入れ、その日の夕方、手術を行いました。手術直後から、それまで全く動かなかった足が動くようになり、歩行練習を始めることができました。頸髄損傷の患者さんの中には、すぐに手術を行った方が良い方もいますし、すぐに手術をしないで少し様子を見たほうが良い方もいる。その判断はなかなか難しいのですが、手術を行ったほうが良い患者さんには、できるだけ早く対応しようと努めています。
対応できる体制も整えました。14人の脊椎・脊髄を専門とする整形外科医と、手術に対応できる看護師やスタッフがいるからこそできることです。
全員でカンファレンスを実施し、全症例を検討
脊椎を専門とする整形外科医が14人いる病院はなかなかないでしょう。もちろん脊椎以外にも膝や股関節などを専門とする整形外科医もいます。
腰の痛みを訴えていたが、問題があるのは実は腰ではなく股関節だった、「ひざが痛くて歩くことができない」と受診したが、実は原因は腰にあったといったケースがよくあります。原因を明らかにして本当に必要な治療を行うために当院では毎朝、全ての整形外科医が集まってカンファレンスを行い、全症例について検討します。
手術では首にしても腰にしても、なるべく体への負荷をかけず、筋肉を傷めないように治療しようというのがコンセプトです。身体を切り開いて筋肉をはいで手術すると、筋肉が傷んでしまい、痛みが残りますし、入院期間も長くなる。
切開創は小さく、必要なところだけを開けて狭いところで除圧をしたり、固定したりする。技術的には少し難しくなりますが、患者さんの筋肉を傷めないようにして術後の痛みの軽減を図っています。
筋肉をはがせば、はがすほど骨にも影響して変形も出る可能性が高い。できるだけ筋肉を傷めないで手術をすると、術後の痛みが小さくなるでしょう。合併症のリスクも減るし、術後の復帰も早い。早いうちに日常生活に戻れるし、肉体労働や運動・スポーツも可能になります。
そのためには、いかに筋肉を傷つけないで手術ができるかが、すごく大事だと考えています。
かつて恩師から「あの狭い範囲で手技を展開していくのは自分には難しい。でも、もし私が悪くなった時には、お前が手術をやってほしい」といわれたこともあります。私自身も手術を受けるとしたら、体への負荷の少ない低侵襲手術を選択しますね。
急性期の患者用のヘリポート設置を
当院の外来棟は1964年に病棟として建てられたものを修理して使っています。病棟でしたから、元々の構造が狭く、外来と医局を運用するには適しているとはいえません。いまも、さまざまな工夫をして使用しているのですが、もっと患者さんに配慮した診察スペースにしたいと考えています。
私が着任してから手術数は倍近くになりました。手術室は5室しかなく、年間手術件数は2000件を数えますので、対応が難しくなってきました。今後、iPSの移植が実際に稼働し始めれば、移植専門の手術室も欲しいところです。
特に当院では化膿性脊椎炎や脊椎カリエスなどの疾患にも対応しており、導線別にして独立した移植専門の手術室があるべきなのですが、現在の構造では不可能に近い。何とかして建て直したいのですが、簡単にはいきません。
当院の土地はとても広いので、これを活用していきたいと思っています。急性期から慢性期までの患者さんの治療はもちろん、日常生活復帰・社会復帰をサポートできる、本格的な体制を整えたい。
そのためには、まず急性期の患者さんを受け入れるヘリポートが、どうしても必要です。さきほど調布飛行場を利用した話を申し上げましたが、当院にヘリポートがあれば、もっと早い受け入れが可能になります。
患者さんが情報交換できるコミュニティーセンターを
患者さんが治療を終え、退院した後に、たとえば脊髄損傷の患者さんが集まって情報交換・コミュニケーションができるようなレクレーションセンターを設置したいとも考えています。
現在も体育館があるのですが、構造的に古く、安全性が確保できないため、ほとんど使っていません。昔は当院の体育館を拠点にした、車いすバスケットボールのチームがありました。
いまでも当院で治療後、車いすラグビーでパリを目指して頑張っている方もいます。そうした方々のために体育館の機能を備えたコミュニティーセンターを開設し、車いすラグビー、車いすバスケットボール、車いすマラソンなどの練習ができるような環境をつくっていきたいですね。
脊髄損傷に対するiPS細胞由来神経幹細胞移植の臨床研究は受傷して14日~28日の亜急性期完全麻痺の患者さんに対して移植し、経過を診ているところです。
この臨床研究が順調にいけば、次のフェーズとして受傷から一カ月以上経った慢性期の方、麻痺で体を動かすことは難しいが、感覚はある不全脊髄損傷の方に向けての治療が検討される予定です。
有効性が認められれば、症状の範囲を広げられますし、やがては日本に15万人いるといわれている脊髄損傷の患者さん全員を対象に治療ができるのでは、と期待しています。
※『名医のいる病院 整形外科編 2024』(2023年10月発行)から転載