見出し画像

オープンダイアローグの場で起きる変化~開かれた対話を実践する「オープンダイアローグ」の可能性③~

第1回 オープンダイアローグとは はこちら
第2回 「対話」とは はこちら

オープンダイアローグの革新性

<参加者からの質問>
今、久保田さんは自室で完結している状態だと思いますが、会話がないとか対話がないと感じるのでしょうか? リアルじゃないと会話も対話も成立しない?

久保田:ほかの方もコメントしてくださっていますが、リアルじゃないとなかなかあいさつしないという解釈や、オープンダイアローグはどういう点において革新的なのでしょうか? っていう質問は非常に深い質問ですね。

向後:うん。どうですか?

久保田: 革新的なのかな? 薬で人間が治るっていう価値観の世界で、「薬じゃなくて話したほうがいいんじゃない?」というところは、オープンダイアローグの革新性なのか、時代逆行性なのかわからないですけど。

向後:(笑)
いや、オープンダイアローグ全体は技法としてはそんなに目新しいわけではないと思うんですけど、リフレクティングは割と画期的だと思う。
最初に話した3つの要素をちゃんと明文化して、それをはっきり大事だよって言ったところは、僕はすごくいいなと思ってるんです。革新的って言っていいのかな。

実は、オープンダイアローグが統合失調症を「初めて治した」と勘違いしている人たちがいたりするんですけど、実はいろんなところで統合失調症のセラピーはあって、成功しているものもいくつもあるんです。
そこをきちんと論文や本にして、成功例を重ねてきたのがオープンダイアローグなんだけど、そうしたケースを見ると対等性やなんかは、ほかのセラピーでも同じなんですよね。

それから、セラピストの側が駄目なところを見せちゃうっていうのも結構大事だよね。オープンダイアローグに限らず、「私はセラピストでござい」「先生でござい」ってふんぞり返ってたら、駄目ですよね。
そこをはっきり「対等性が大事」ってバーンと打ち出したところは、僕としては拍手喝采だったわけです。

オンラインで対話をうみだすには

久保田:今、ほかの方からの質問についてすごく考えてたんですけど
「オンラインだと、私自身が発した言葉が、その場の人たちにどう聴かれたのか、どう響いたのか、リアルよりも感じ取りづらいのかなと思う体験がありました」
っていうのが、その通りだなと思って。

人と人が出会うとき、私たちは「背景」と一緒にその人に出会っていると思うんです。こういう人とこういう人が出会ってるっていう、「場」で出会ってもいるから。
喫茶店で話しているのか、セラピールームで話しているのか、学校で話しているのか、会社で話しているのか。文脈のようなものがたくさんあると思うんです。

今日私から見て、皆さんがどういう人かわかってないっていうのもそう。オンラインってそういう部分がありますよね。だから今日のセッティング的にも、今日はあんまり対話が生まれるセッティングじゃないんです。
でも、できるだけ自分の気持ちというか、メッセージというか、そういうのが届いてほしいなっていう参加者の皆さんの雰囲気はありますよね。僕たちもそういう気持ちを無視しないようにしたいというか、チャットの形であっても、できるだけ双方向性を大事にしたい気持ちは僕の中にはあるんです。

向後:僕は、チャットはかなり使うんです。チャットだと結構書いてくれるんですよ。そこで一つひとつ取り上げて答えていくうちに、対話の形ができてくるんです。

僕は大学でも少し教えているんですけど、学生さんはおとなしい、あまりしゃべらない子たちばっかりなんです。今回コロナになって、オンライン授業になったら、逆にチャットだと発言しやすいっていうのはあるみたいだということに気づいたんだよね。それでチャットに答えていくようにしたら、結構学生が喜んで、だんだん発言が多くなってきた。
今の時代、チャットを使うのは、オンラインを活用する上ではすごくいいんじゃないかなって僕は思っています。

リアルとオンライン、どちらがいいのか?

久保田:何人かの方から、対面での会話と対話の違いと、オンラインでの違いというような質問があるんですが、本当にこれはあるなと思っていて。オンラインの良さもあるので、そのへんは向後さんにぜひ、コメントしていただきたいと思います。

僕は先ほども話したように、おはようとさよならを最近言ってないってすごく感じるんです。職場の同僚が今日参加してくれてるんですけど、その同僚にも、集まるとまずいからという理由で「おはよう」のタイミングであんまり会ってなくて(笑)。

向後:そうだね。

久保田:みんなで集まって「さようなら」って言うこともなくなっちゃったから(笑)、そういう日常生活的なレベルでの会話がない。メッセージやLINEで、わざわざ「おはよう」と打つか打たないかすごく考えますし。
でも現場によってはやっぱり朝礼やりますよね。オンラインでも、9時ぐらいになったらみんなで集まっておはようって言って、今日の体調どう? みたいな(笑)。

オンラインって自分が打ち込まない限りは、何も起こらない。「自然発生」にはならないというか、頭と手でおはようって言ってる感じがするんです。声を出しておはようって言ってないなと。
Zoomをつなげばおはようって言うんでしょうけど、Zoomもやっぱりポチッて手で押さないと入れませんから、やっぱり最近手でおはようって言ってるんだなって。

向後:(笑)
私が思うオンラインと対面との違いはですね、確かに空気感が違うんですよね。
やっぱりその場にその人たちがいると、そこで出てくるいろんな空気がある。言葉にうまく説明ができないんだけど、感じるものがあって、それはそれで非常に楽しいんです。ライブ会場に行くみたいな感じ。

オンラインは最初僕もやりにくいなと思ったんです。その空気感を感じるのはなかなか難しいなと思ってたんですけど、結構いい部分もあるんですよ。
どういうことかというと、さっきオープンダイアローグは、ミーティングとリフレクティングの2つのセクションがあるっていうふうなお話ししたんですけど、そのメリハリがぴしっとくるんだよね。

例えば最初にセラピストとクライアントがミーティングをやります、と。そのあと、これからリフレクティングしましょうかっていうときには、クライアントに退場していただくわけです。ビデオをオフにして画面から消えてもらう。そうすることで、専門家同士だけが画面に映って、それをクライアントが見るって形になるんです。
そうすると本当に俯瞰的に見る形が実現できるので、それは効果があるなと思っているんです。

それから、カップルセラピーとかファミリーセラピーでオンラインセッションをやる時に、オープンダイアローグのようなこともやるんですけど、それが実に面白いの。
具体的なことは言えませんけど、例えば家の中でお父さんがすごい強権を発しているとしますね。「俺の言うことを聞いてりゃいいんだ」みたいな感じで威張ってるとします。
対面のセラピーだと、だいたい横並びで家族同士はあんまり顔が見えないんですけど、Zoomだと全部見えちゃうわけです。セラピストとその頑固なお父さんがやり取りをしていて、お父さんが困ってるとか、しどろもどろになってる様子が丸見えになっちゃう。
そうすると娘が、「あ、お父さんが困ってる、あはは」みたいな感じになって、全然違うダイナミクスが起こってくるんです。
そういう効果っていうのはすごい面白くて。これからもっと探求していきたいなって思っています。

オープンダイアローグ実践のコツ

<参加者からの質問>
どうして、オープンダイアログだと「治る」のでしょうか?

久保田:この質問の「治る」の主語、クライアントさんと呼ばれている側の人に「治りたい」気持ちがあって、それについていけるか、その「言葉を取り戻すプロセス」に添えるかどうか、みたいなところがあると思うんですけど。
先ほども触れたように、ダイアローグが有効に働いているとき、いないときというのも、実際にやってみないとわからないですからね。最初はまずやってみないと、(オープンダイアローグが)有効かどうか判断するのは難しいと思います。

<参加者からの質問>
対話の持ち方のほかに、アウトリーチ、誰と話すか、どのくらいの頻度で話すかも大切だと思います。また、ケースの終わりについては、どのような形になるのでしょうか?

久保田:アウトリーチとかケースの終わりって本当に難しいですよね。
「1回終わりますけど、また話したくなったら来てください」というのもありますし、「また話しましょうか」といった終わり方もある。これも本当に多様ですよね。どれぐらいの頻度で話すかも、まさしくその通りなんです。
なんで今日こんな鋭い質問、鋭いコメントがいっぱいあるんだろう。

向後:ねえ。鋭いね(笑)。

<参加者からの質問>
リフレクティングが単なる分析にならないようにする秘訣みたいなものはありますか?

久保田:そうなんですよね。私とあなたっていう関係で、分析するってなっちゃうと、よくないですからね。
というのは、「感想を言う」みたいなのはすごく大事なんだと思うんです。でも感想を言うってふだん意外とされないし、「感じたことだけ述べる」みたいなことをしない場合も今は多いですよね。「もっと頭を使え」と言われて、頭はトレーニングされていくけど、ハートがトレーニングされるにはどうしたらいいか? というのは確かにあるように思います。

向後:それについては、「こうだ」って断定しないことですよね。
それでセラピストのほうも戸惑って、困って、悩んでる、というのを見せちゃう。実際そんなにすぐわからないんだから。
心理学者の河合隼雄さんも言ってたけど、「人の心はわからない」ってところからスタートするんだと僕も思うんです。わからないから、例えば2人のセラピストが「こうなのかね、ああなのかね? こういうふうにも見えたね」という感じで、ジャッジするような形で断定的に言わないことが結構大事かなとは思ってます。

オープンダイアローグの可能性

<参加者からの質問>
対話の場を、チームとして維持・運営していく体制づくりが大切だと思います。スタッフの育成やコストの面で課題があるように感じます。今ある制度から変えていくためにはどのようなところから取り組んでいくことが大切でしょうか。

久保田:対話の場をチームとして維持運営していくのはすごいいい話ですよね。暇な時間みたいなのをどうやってつくるかは、現場にいてすごく思うんです。対話がそこで発生するにしてもしないにしても、余白のある時間を15分、20分とか用意するだけで、やっぱり間があるっていうのはすごく大事だなと最近は思ってるんです。

向後:確かに、そういう場がね。昔はたばこ部屋が結構対話の場だったんですけどね(笑)。

久保田:確かに、その通りですね(笑)。

向後:参加者の方から、
「ビジネスの世界では『1on1』で対話をしていきましょう、ということがある種の流行になっています。わたしは、オープンダイアローグやリフレクティングの要素を取り入れていければ職場での上司ー部下の関係にも変化が出てくるのではないかと考えています。メンタルヘル的にもよい職場づくりにつながるのではないかなぁ」
ああ、これ面白いですね。

実は、この件については久保田さんとすごく前から話しているんだけど、オープンダイアローグって、医療だとか、精神医療、心理の世界だけにとどめておくのはもったいないと思っているんです。企業や職場での対話ですとか、あと学校にもいいだろうと思うし、すごく幅広く展開できるんじゃないかと思うんです。

例えばカウンセリングで新人教育をするとき、オープンダイアローグのようなやり方で、対等性のトレーニングをしていったら、意見が出やすい職場になるのではないかと。今のはセラピーでの話ですけど、新人でも意見が出やすくなるんじゃないかなと思うんです。
やっぱり日本って、空気を読んで、粗相のないような発言、質問というのを考えるじゃないですか?

久保田:そうですね。

向後:ねえ。それで僕もアメリカに行った時、まず僕の質問しようとしていることは、この場に合うんだろうかとか、僕がしゃべろうとしていることは、文法上よろしいんだろうかとかいろいろ考えちゃって、話題に全然ついていけなかったんです。

でもアメリカ人を見てると、先生がお題を投げると「はい、はい、はい、はい」っていう感じで手を挙げるんだよね。日本で言うと幼稚園の生徒さんみたいな感じで挙げる。
日本では、だんだん大人になっていくに従って、空気を読むようになるじゃないですか? 
オープンダイアローグのやり方を取り入れることが、それを変えるちょっとした一歩になったら、ヒントになったらいいかなと思うんです。
「何を言ってもOKなんだ」「どんな質問も面白いんだよ」という空気、「くだらない質問というのはないんだよ」というような雰囲気ができたらいいなと思っています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?