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「対話」とは ~開かれた対話を実践する「オープンダイアローグ」の可能性②~

第1回 オープンダイアローグとは はこちら

会話と対話の違い

向後:ここで対話と会話の違いをざくっと説明して、また皆さんからの質問を随時取り上げていくって感じにしたいと思います。

会話と対話の違いっていうのは、これは別にどっちがいいってわけではないんです。
今対話がブームになりつつあるみたいなんですけども、会話は駄目で対話がいいのかといったらそんなことはないんです。

まず違いからいきますと、対話他人、あんまり知らない人と交わす新たな情報交換とか交流だということなんですね。あんまり知らないからよくわからない。そして、自分との違いがある。その違いって一体何なんだろう? っていうのを探求していくのが対話です。

それに対して会話は、ある程度知っている者同士の気軽なおしゃべり。実は、会話は楽しいっていうだけじゃないんですね。楽しくない会話もある。マウンティングし合ったり、罵倒し合ったり、そういう会話もあるわけなんですけども。そういう会話はよろしくないけど、楽しいおしゃべりは、それはそれでいいですよね。

例えば恋人同士が「愛してるわ」って会話を、対話でやるとめんどくさいですよね。
「あなたはジョン・レノンが好きだけど、私はポール・マッカートニーが好きで、その違いは何であろうか?」なんていってたら、めんどくさくてしょうがないでしょう? 「ポール・マッカートニーもジョン・レノンもいいわよね。きゃっ」と言ってるほうが楽しいじゃないですか。その「きゃっ」のほうは会話ですけど、ジョンとポールの違いについてどうのこうのって始めちゃうと、それはそれで理解は深まりますけども、目的が違いますよね。
ですから、違いがあるときに、違いを探求するためのツールが対話であるということです。

対話の原理

向後:次に「対話の原理」についてなんですが、まず最初に、あくまで1対1の関係であることと言っています。
例えば「●●会社の誰それである」っていう、組織や地位といったものを背負って会話するんじゃなくて、あくまで一人対一人の関係であるということです。
こう言うと、専門家、セラピストは複数なんでしょ、あるいはクライアントだって家族セラピーの場合あるじゃないですかっていう話が出てくるんだけど、2人がいっぺんに話すということはないですよね。話しているときはあくまで一人。一人対一人の関係で話していくっていうのが対話の原理です。

次は、先ほども触れましたけど、人間関係が完全に対等であるということですね。これは本当に大事なことだと思います。「こう決まってるんだ」とか、「10年早い」とか、そういう上下関係のもとでの会話は、対話ではあってはいけないわけです。
新人の意見であろうが、学生の意見であろうが、大先生の意見であろうが、それが対等な場で話し合われるというのが必要であるということです。

だからアメリカにいた時、5年間すべての先生たちが、僕が突飛な意見を言ったりしても「ああ、一理あるね」「なるほどね」という感じで、いったん受けてくれたんですよね。頭から否定するみたいなことは一切なかったです。
対話ではそういうことが必要なんだろうなと思います。

そして3つ目、相手に一定のレッテルを張る態度をやめるということですね。個人として見るっていうことです。大学の先生だとか、ノーベル賞を取った先生だっていうレッテルがあるかもしれませんけど、それは全部取っ払って、個人対個人で話をするっていうことです。

それから、対話では質問はウエルカムなんだよね。
ここでいう質問っていうのは好奇心を伴った質問ですね。自分の好奇心に従った質問、それに対してはすべてできるだけ答えようとする。たまに質問の形で相手を侮辱するとか、そういった技に出る人もいるんですが、そういうのには答えない。

次がまた大事なんですけど「違いを大切にする」。
微妙な違いも非常に大きな意味を持ったりすることがありますので、その違いの意味は何なんだろうか? と探求していくことです。

次は社会通念、常識にとどまることを避けて、新しい状態を模索していくということ。
「常識だから」というのは理由にならないんだよね。「これは伝統だから」とか、「常識だから」っていうのは、たしかにそうなのかもしれないけど、「何で伝統になったんですか?」「何で常識になったんですか?」というところを探求していかないと、対話になっていかない。

最後は先入観を捨てることです。
捨てるといってもなかなか難しくて、どうしても先入観を持ってしまう。なので、先入観に気づいたら、違う見方がないかなと探求する気持ちになることができれば、それでいいかなと思います。
これがだいたい対話の原理だと思います。

「間」のはたらき

<参加者からの質問>
久保田先生がおっしゃっていた「間」の存在が重要な気がするのですが、どう考えられているのでしょうか?

久保田:「間」ねぇ。これが究極みたいなテーマなんだろうと思うんですけど。

向後:そうだね。

久保田:オープンダイアローグ界隈では、聞くと話すを分けるというのはすごくよく言われますよね。
でも、なかなか間を持って会話するっていうのって難しい。どうしても、会話がポンポン飛び交うのが良いとなってしまったり、時間がないと急いで話さなきゃ、って思いますからね。
「間」を失っている社会でどうやって「間」を取り戻すかというのは、オープンダイアローグの大事なテーマな気がします。

向後:間については本当に大事ですよね。間がなくポン、ポン、ポンッて会話しているときは、あんまり考えてない、そのまま「反応」でしゃべっているときがあるんです。

それはそれで、それが有効な場合はあるんです。さっきの「あなたが好きよ」「私も好きよ」という感じのときだったら、ポン、ポンッて会話が続く。
でも、探求していくときには、「ん? ちょっと変だな」とか、「ん? 何が起こってるんだろう?」っていう微妙な感覚が出たときに、そのちょっとした違和感を見逃してしまうんです。何となくその場でもっともらしい、あるいは声の大きいほうについていってしまうような反応になりやすいんです。
ですから、何かちょっと微妙なことが起きてるなというときには、一瞬間を置くんです。

「間」は対話をうながす

久保田:僕は最近、特にコロナ禍になってから、そもそも会話がなかなか成立しないというか、人と話さない状況が多々起きているなと思っていて。
そういうところから、今日この「対話と会話の違い」というテーマを設定したんですが、向後さん最近会話してます? 向後さんの場合はカウンセリングルームに行くから結構いろんな人と会うのかな?

向後:そうそう。毎日会話してるし、オンラインでもクライアントさんとお話ししてます。ですから、コロナでも別に会話が少なくなった、対話が少なくなったっていうことは、僕はないんだよね。
だけど、例えばテレワークのように、家にずっといなきゃいけない人たちは、あんまり会話しなくなって不安になっている人はいっぱいいるでしょうね。

久保田:いや、僕も不安になってますよ。自分がオンラインセッションばっかりしていると、自分の部屋で完結しちゃうから(笑)
皆さんどうなんですかね? 今日参加してくださった人は。会話してるのかな?

向後:孤独を感じてる人はものすごく多いですよね。
あと、やっぱり不安が強くなってるように感じています。不安が強くなって、それが怒りに転化してSNS上で激しいバトルが展開されるとか。コロナの話にしてもおっかないじゃない?

久保田:そうですよね。

向後:ちょっとでも「コロナ大変だよね」と言うと、「コロナはただの風邪です」とかいって、ものすごく怒られちゃったり。「いや、風邪ってわけでもないと思うんですけど」って言ったら、「向後さんこの情報知らないんですか?」って。
そうするともう対話っていう雰囲気じゃなくなって、間が全然ない、寄らば切るぞ、みたいな感じになってるよね。だからすごい不健全な状態だなと思っているんです。

こういうときに対話に持っていけたら、全然違う展開になってくると思うんです。
僕らが心掛けているのは、そういうけんかモードの会話になったら、ちょっと長めに間を置くようにする。そうすると、「何だこいつ?」「何で黙ってんだ?」という感じで、だんだん鎮静化してくる。そこから、「ところで」って話になって、対話が成立し始めるみたいなことがありますね。

1つのことに夢中になってしまって、自分の主張ばかりワーッとまくし立てる。そういう人はモードが変わってしまっているんだろうなと思います。

セラピーとオープンダイアローグの違い

久保田:いやあ、今の向後さんの話に何かコメントしたいんですけど、「最近僕は会話をしているんだろうか?」 みたいなのをすごい考えちゃって(笑)。
オンラインになると、「目的的」な会話っていうんですか? ミーティングはいっぱいしてる気がするんですけど、何か話しましょう、みたいな場面が減ったかもな、というのはすごい感じるときがあって。

他の方からのコメントでいただいた「セラピーとオープンダイアローグの違い」といったものをご説明するのにも、すごくいい話だなと思うのでここでお伝えしたいと思うんですが……。
「今日だるいんですよね」という話があったときに、よりカウンセラー的な態度としては、その「だるい」をどう扱ったらいいか、という話になるかもしれないんですけど、僕はオープンダイアローグをやってから、1対1のセラピーをしていると、「そうだよね。だるいよね」みたいなことが、わりと自然に出るようになり……(笑)。
意味があって「目的的」かどうか、といったところではなくて、対話的に関われているかどうかで応答している自分ができてきた気がしているんです。

そういう意味では「1対1の対話性」っていうのもちゃんとあるんだろうなと。
相手が弱さを示してくれたときに、「そうだよね」ってこっちも弱さをちゃんと出す(笑)。それが上司と部下の関係で出てきたりすると、職場としても楽な部分もあるのかなとは確かに思いました。
こういったところがセラピーとオープンダイアローグの端的な違いかと思います。

<参加者からの質問>
セラピーとオープンダイアローグの違いについてですが、クライアント側からの感想のようなものはありますか?

久保田:これはちょっと僕が答えたほうがいい気がするな。

向後:そうですね。

久保田:セラピーとオープンダイアローグ、両方受けた人から言われたのは、「セラピーのときの久保田さんって真面目にやってるんですね」ということを言われて、「真面目だよ」って返したんですけど(笑)。

たぶんお医者さんもそうだと思うんですけど、1対1だと、心理士としてとか、お医者さんとしてしなきゃいけない、マストのタスクみたいなものがあると思うんですが、オープンダイアローグだとセラピスト側が、そのマストのタスクをしなくてもいいんじゃないかって気持ちになっているっていうのは、もしかしたらあるかもしれないと思いました。

向後:僕もオープンダイアローグに触れてから、セラピーテクニックを自分のセッションの中ではあんまり使わなくなってきたんです。対話しているうちに、いろんなものが動いてくる。そういうほうが自然なセラピーができるかなみたいなところもあって。

セラピーの場合はもう少し介入的に、イメージワークを取り入れたりするんだけど、オープンダイアローグは、僕の感覚ですけど、すごく自然体でやるというところがあるかな。
僕、両方とも必要だと思うんです。あるクライアントさんにとってはセラピー的な介入がすごく必要な場合があるし、そうではない人たち、対話の中から自分で見つけていくプロセスを大切にする人たちに対しては、オープンダイアローグのやり方はすごくいいかなと思っています。

第3回 オープンダイアローグの場で起きる変化 は近日公開予定です


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