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ワン・ビン『死霊魂』声を奪われた人々の声と、〈ある〉(ilya)

1957年、毛沢東が掲げた労働改造における反右派闘争/反体制狩りによって、党の政策批判を含めた自由な発言をした人々は、ある日突然、右派分子のレッテルを貼られ、荒涼としたゴビ砂漠に佇む強制収容所、こういってよければ、エマニュエル・レヴィナスのいう、「荒涼とした無人の空間」に政治犯として送られた。その数少ない生存者の声、語りを収録した本作『死霊魂』(2018)の取材/撮影期間は、2005年から2017年までの12年間である。つまり本作の姉妹編である『鳳鳴 中国の記憶』(2007)と、中国においてはタブー視されているあの『無言歌』(2010)の3年にわたる撮影は、本作の取材/撮影期間中に撮影されたことになる。

『鉄西区』(2003)を撮り終えたワン・ビンは、『無言歌』の原作にあたる小説に感動し、劇映画『無言歌』を企画したが、諸々の問題に加え、友人からひとつ作品を作って欲しいと頼まれことにより、『鳳鳴 中国の記憶』を手掛けることになる。鳳鳴とは撮影に取り掛かる1年ほどまえからの知り合いであり、その親しみによって鳳鳴を撮ることになった。撮影は3、4日で済まされたそうだ。それからなのだろうか、鳳鳴の証言を含めワン・ビンは、原作の小説をもとにより多くの証言を求め中国中を駆け巡り、100人からなる証言者の声によって『無言歌』の脚本を書き上げた。そしてその証言者数を含めてなのかは定かではないが、総数120人/600時間からなる膨大な元囚人の証言と映像によって本作は、『鳳鳴 中国の記憶』の哀傷から情動へ、そして『無言歌』の残酷なイメージを22人の証言者たちの声と死によって現在に解体したのだ。

テーマの不変性を形式の変容によってそれぞれの作品において結実するという、この形式の変容に感動を覚えるのだが、『無言歌』と同じく検閲を通過することができないがために、中国では公開されてはいない(され得ない)本作は、劇映画である『無言歌』以外の他の作品と同様、ワン・ビン自身による撮影である。また先に記したように、『無言歌』の製作期間と重なる本作は、元囚人からその現場を聴き取ることが主旨であるために、『無言歌』とは違いカメラは魅せる機材ではなく記録装置として、あるいは被写体である元囚人への即物的政治的磁場を以った態度として向けられる。したがって、30分から40分間の全く動じないカメラや、砂埃を被ったカメラレンズでの撮影は、ワン・ビンのひとりひとりの証言者に解放を与えるべく、それゆえむしろ、宗教的な態度の現れとして捉えるべきだろう。そしてこのように撮られたうちのひとりの証言者の何気ない些細な行為が、本作の恐るべき世界を知らしめるひとつの表現となる。その証言者はみずらの部屋に入り、ソファに腰を下ろし話す前にカーテンを閉めるのだが、この閉める行為が、カーテンを閉めなければ語れないことを語るということを仄めかしているかのように思えたのだ。つまり自由な発言をすることへの躊躇いにおいて、語ることを語られたことに断定しない条件において語るということである(語ることが可能であることはもとより、本作が製作可能なのは他国での製作ゆえにであるが)。そうして、中国共産党が支配する外部への声の流出を遮るかのように、閉ざされた空間/部屋で語られた労働改造の実態とは、形が人間であるままに、その内部を強制的に変容させる過程に他ならない。それはつまり、強制収容所に送られた人々の「声」、あるいは人権という「領土/存在」が剥奪される過程である。

もはやこの身体は「私」の身体ではないし、生の意味もなければ死もまた無意味である。

ワン・ビンは、想像するも到底追いつけやしない内部の過酷さを打ち明ける声と、あの『無言歌』の声なき声(叫び)の痕跡、すなわち荒涼としたゴビ砂漠に散らばる人骨の凄惨さをカメラに拾い上げ、他国の資金で製作した「映画」の箱に詰め込み世界へおくり届ける。そして我々に映画を観る姿勢で観るとは別の意味で観なければならないことを要求するかのように、その証言者の没年月日が記された記録を露呈する。要するに、上映時間が8時間を超える本作『死霊魂』は、反右派闘争/人権蹂躙における壮大な慰霊碑なのだ。

監督 ワン・ビン(王兵)
製作 2018年(フランス/スイス)

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