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報徳思想と仕事の成果

おはようございます。昨日は一日中雨でしたが、さいたまの夜明けの空は綺麗なシアンブルーです。前稿では成果とは何かについて、下記概念図の三角形を用いてお話をしました。「成果とは意味のある結果」のことである、というお話をしました。

成果とは4


成果を意味あるものにしなければ、それはただの数字であり、そうした仕事人生は無味乾燥であるとお話ししました。そのためには三角形下層の土台である考え方・意識(思い)からすべて始まるので、その土台を修養することが不可欠だと述べました。この三角形を家だと考えてみると理解しやすいと思います。世の中を俯瞰してみれば、様々な家の屋根が見えるわけです。仕事の貢献対象であるお客さまや社会から見えているのはまさにその屋根です。色とりどり、形も違います。そしてその屋根は日々行動をする住居部分と土台からなっている、と比喩すると分かりやすいでしょうか。今回はさらに良い成果を生むためには、実はもう一段掘り下げなければならない土台がある、というお話しです。最も最下層の土台に置いた「誠実・素直・謙虚・情熱」です。このことについては、歴史と心理学の叡智も借りながら書かせて頂こうと思います。まず図中でも引用したコーケン工業という会社の村松会長のお言葉を引用します。

「徳」とは世のため、人のために頑張れる優しさのことです。人のために役立とうと思ったら、能力が必要になります。ですから、「徳」の高い人は自ら「才」を高めるよう努力するのです。でも「才」が高くて、「徳」が低い人は、その「才」を人殺しにつかってしまうのです。
            【出典】『日本でいちばん大切にしたい会社6』

成果とは何か、成果を上げる人はどのような人か、という問いに、これほどまでに深く、簡潔に、そして誠実に述べている言葉はないと、初めて読んだときに私は感じました。日本で一番大切にしたい会社の表彰式に参加したことがありますが、本当にその誠実さが遠くの席からでも感じられるスピーチをされていたのを覚えています。

この言葉にある「徳」。道徳と言い換えてもいいと思いますが、この徳を以って社会に貢献した人物といえば、日本人であればよく知られている二宮尊徳(金治郎)が挙げられます。いや日本人のみならず世界のリーダーにも影響を受けた人は少なくありません。未だ白人国家が世界を支配していた明治時代、世界に日本人とはどのような民族なのかを知らしめるために書かれた内村鑑三の『代表的日本人』(日清戦争中に刊行された『日本及び日本人』の再刊)で農民聖者として紹介されています。同書では尊徳の他に上杉鷹山、西郷隆盛、中江藤樹、日蓮上人が紹介されています。特に上杉鷹山はケネディ大統領が尊敬するリーダーとして挙げたという逸話は有名です。セオドア・ルーズベルトもそうだったかもしれませんが新渡戸稲造の『武士道』と並んで日本人と日本民族の伝統的精神が世界に知られたのはこの両書の影響が大きく、戦国時代に宣教師たちが残した報告書や日記の記載内容にも類似点が多く、凡そ戦前の日本人が共通して内在していた土台をこれらの歴史からも知ることが出来ます。「道徳」の本質が歴史にきちんと残っているのが我が国の国柄なのです。

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話しを尊徳の「徳」に戻しましょう。

報徳思想(報徳仕法)とは

二宮尊徳(にのみやたかのり、通称そんとく、自筆文書では金治郎とも、)の思想や方法論を「報徳」と呼びます。尊徳の生きた時代は天明7(1787)年から安政3(1856)年です。亡くなった安政3年はペリー来航から吉田松陰先生も斬罪された井伊直弼による安政の大獄のちょうど間の時期です。江戸幕藩体制の末期ともいうべき時代です。
「報徳」の思想は、「万物にはすべて良い点(徳)があり、それを活用する(報いる)」という彼の思想に対して、小田原藩主・大久保忠真から「汝のやり方は、論語にある以徳報徳(徳をもって徳に報いる)であるなあ」とのお言葉をいただいたことによります。これら「報徳思想」や「報徳仕法」は、尊徳の子孫や弟子たちに受け継がれ、広まっていきました。
渋沢栄一、安田善次郎、鈴木藤三郎、御木本幸吉、豊田佐吉といった明治の財界人・実業家や、松下幸之助(※生成発展論、ダム経営、松下政経塾)、土光敏夫(※質素倹約、率先垂範)、稲盛和夫(※ダム経営、フィロソフィ(思想・哲学)による経営)といった昭和を代表する経営者たちにも多大な影響を与えたといわれています(以上、報徳博物館HPを参照、※は尊徳の思想の影響ともいえる代表的な経営仕法、価値観を筆者加筆)。

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尊徳の「地方創生」事業 ~小田原藩桜町領の事例~

文政5(1822)年、小田原藩の飛地「下野国桜町領」(現在の「栃木県芳賀郡二宮町」)へ村の再興を藩主大久保忠真に3年間も粘って請われた末に赴任します。一度挫折して山に籠るなどしましたが再び村民に請われ、見事村を再興するのみならず、その後に起こった天保の大飢饉も今でいう「ダム経営」によって克服します。
尊徳は徹底した領内三村の復興事業を徹底した現地調査から行いました。調査結果によると、当時村々は荒廃し博徒の跋扈する村になっていたようです。一時は450件以上、年貢4000俵を修めていた領民は三分の一以下に減り、年貢は800俵程度にまで減っていたようです。現在も地方創生として様々なチャレンジが社会起業家によりなされていますが、同じような状況は今もあるでしょう。さあどうするか。ここに、尊徳が藩主忠真に送った報告書があります。引用します。荒廃しきった村の様子を淡々と述べた後、「仁術さえ施せば、この貧しい人々に平和で豊かな暮らしを取り戻すことができます」と尊徳は報告のなかで述べました。その上で、下記のように綴ります。

「金銭を下付したり、税を免除する方法では、この困窮を救えないでしょう。まことに救済する秘訣は、彼らに与える金銭的援助をことごとく断ち切ることです。かような援助は、貪欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こすもとです。荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはなりません。殿には、この瘦せた地域からは相応のあがりで足れりとなし、それ以上を望まないでいただきます。もし一反(一反は一エーカーの約四分の一)の田から二俵の米が取れるなら、一俵は人々の生活を支えるために用い、残る一俵は、あとの耕地を開墾する資金として使わなくてはなりません。このような手段によってのみ、わが実り豊かな日本は、神代に開かれたのです。当時はみな荒地でした。外からいかなる援助もなく、自分自身の努力により、土地そのものの持つ資源を利用して、今日見られるような田畑、庭、道路、町村が成ったのです。仁愛、勤勉、自助これらの徳を徹底して励行してこそ、村に希望がみられるのです。もしも誠心誠意、忍耐強く仕事に励むならば、この日から一〇年後には、昔の繁栄を回復できるのではないかと考えます」      (典拠:前掲、内村 鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)より)

内村鑑三が本書においてこの報告書と尊徳の再興策について「道徳力を経済改革の要素として重視する」と付言したことは、まさに成果の根底には道徳が重要であることが示されているのです。また敷衍すれば、尊徳は土地の荒廃を人心の荒廃と捉えていたことがこの報告書から読み取れます。これこそ、成果とは何か、を考える際の大いなる意味をもったヒントとなるでしょう。更に内村鑑三は本書でこう付け加えています。尊徳にあるのは小手先の権謀術策ではなく「ただ魂のみ至誠であれば、よく天地をも動かす」と。

真の成果主義とは何かを尊徳に学ぶ

さらに本書『代表的日本人』や『報徳記 』(いづれも岩波文庫)には、現代の評価制度にも役立つ至言が詰まっています。2000年代初頭、日本企業がこぞって米国企業の真似をして成果主義を導入しましたが、信賞必罰の本質を完全に見誤った制度導入でした。下記一文でその誤りを指摘できます。

部下の評価にあたっては、自分自身に用いたのと同じように、動機の誠実さで判断しました。尊徳からみて、最良の働き者は、もっとも多くの仕事をする者でなく、もっとも高い動機で働く者でした。           (典拠:前掲、内村 鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)より)

村に役人の見えるときだけ三倍の量の働きをする者がいました。ある日村民からもこの男に最大の報酬を与えるよう請願もありました。しかし、給与支給日の日、最高報酬を与えたのは1日分の仕事も覚束ない老人に対してでした。老人はとんでもないことだと一旦は受け取りを拒みました。なぜ最高評価、最高報酬をこの老人に与えようとしたのか。この老人がやっていたのは、休憩中も自身の働きが悪いのをカバーしようと一心に働いていた姿勢も素晴らしかったのですが、真に評価されたことは、誰もやりたがらない荒野の木株の根っこ刈りでした。その一心不乱に村全体のことを考え、耕作地を増やす根っこ刈りを行っていた姿を、尊徳はきちんと見ていました。一方、三倍の仕事をしているとされた男は、役人のいる前だけで行ったパフォーマンスであり、役人がいなければ怠慢であったことを尊徳はとうに見抜いていたのです。根っこ刈りの老人はその評価基準を聞き、大いに感激し、また村民たちに道徳心を惹起させ、仕事への考え方に大きな意識変革を起こしたのでした。しかし、さらに困難は続きます。変革とは古今変わらずこういうものだとつくづく思わされるエピソードがこの復興事業には現れます。村にどうしても尊徳の方針に従わずに批判をまき散らす男がいました。これは現代でも変革を進めていくうえで必ず存在する人物です。詳しくはここでは述べませんが、この男をも尊徳は仁愛と姿勢を以って動かします。改心したこの批評家はのちに最大の協力者になったとのことです。詳しく知りたい方は、是非前掲書を手に取ってお読みいただけると、現代でも全く変わらない変革の作法、精神、そして成果を上げるための要諦を学ぶことが出来るでしょう。最後に報徳思想の要諦を提示して本稿を閉じたいと存じます。心理学の叡智から得た成果の知見はまた別の機会に書きたいと思います。

「徳を以って徳に報いる」報徳思想の真髄

尊徳は日々の生活の中で、「徳を積むこと」の大切さ、さらに「恩に報いること」の重要性を説いていたといいます。前々回投稿した拙著「未来創造セッション」で現在から未来を創造するためにはこの「報恩」つまり恩に報いようとする感謝の念が重要だと申し上げました。そのセッション設計の思想と実践から得た考え方は、すべてこの報徳思想の教えが強力な支えになっています。未来へのヒントは、先人が教えてくれている一例です。報徳思想には「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の4つの理念があります。その前提にあるのが道徳心としての「報恩」の念です。下記、尊徳による村民たちへの教育により広く教養として根付いた「報徳訓」を共有します。過去現在未来を繋ぐのは成果の土台に何が内在しているか、改めて、報徳思想から何かを感じて頂ければ幸甚です。

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「報徳訓」(書き下し文)
父母の根元は天地の令命に在り
身体の根元は父母の生育に在り
子孫の相続は夫婦の丹精に在り
父母の富貴は祖先の勤功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り
子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り
衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り
今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り
年年歳歳報徳を忘るべからず

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